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 泣き続けるわたしを、サーデグが迎えた。サーデグは黙ってわたしを膝に抱き、赤ん坊をあやすように背中を小さくたたき、体を揺らした。

 なぜふたりはわたしを助けたのだろう。あのまま、殺されてしまえばよかった。父さま、母さま、兄さまたち、すべてを失ったのに。これからどうすればいいのか、分からない。

「おい、おまえ」

 ゾランの声に体がふるえた。

「なんですか、大声出して」

 非難めいたサーデグの声を無視して、ゾランはわたしに麺麭を押し付けた。

「食え、とにかく食え。泣くのは、飯を食ってからだ」

 わたしは首を横にふった。食べられるわけがない。むごたらしい光景はまだ生々しく目に焼き付いているのに。

 サーデグの制止などものともせず、ゾランは干しぶどうを一粒、無理やりわたしの口に押し込んだ。

「な、何するんですか」

 涙がたまる喉の奥で、芳醇な香りと強い甘みが弾けた。とたんに、ぐうとわたしの腹が鳴って飢えが目を覚ました。

 思わず開いた口に、ゾランは次つぎと干しぶとうを放り込んだ。もう何日も水だけで過ごしていたのだ。体はとっくに悲鳴をあげていたのに、わたしは気づかなかった。

 渡された水を口に含んで干しぶどうを噛みしめると、まるでもぎたての葡萄をかじっているように感じられた。わたしは部屋の器に盛られた色とりどりのぶどうを思い出した。

 メイが実を軸から外して、三個に一個しかわたしに食べさせてくれなかったことまで思い出す。メイは、ずっとわたしのことが嫌いだったのだろうか。わたしを敵に売るほどに。それでも、気まぐれに優しい時があった。器用な手先で髪を複雑に編んでくれたり、眠れない夜には、子守唄を歌ってくれたこともあったのに。

 ゾランはわたしの手に、麺麭を乗せた。次には乾酪を、木の実を。

 父も母も兄たちも亡くして悲しいのに、お腹はへっている。出されたもの、出されただけ食べてしまう。

「ゾラン、そんなに食べさせてだいじょうぶなのですか」

「うるさい、おまえは歌でも歌っていろ」

 泣きながら食べ続けるわたしのそばについているゾランは、ぞんざいに答えた。ひどい言い草ですね、とサーデグは口をとがらせてからウードを抱えると、すうっと息を吸い込んだ。

 高らかに鳴らされるウードと共に響いたのは、聞いたことがないほどの澄んだ歌声だった。

 まるで空高く啼く小鳥のような……。ゆったりとした音色をウードは奏で、サーデグの声はどこまでも優しかった。

「手が止まってるぞ、ほら、もっと食え」

 ゾランに言われて、わたしは柘榴にかじりついた。噛むと、甘酸っぱい果汁が口の中を清浄にする。

 サーデグの歌声に引き寄せられるように、物かげに隠れていた人々がひとり二人と集まりだした。サーデグの前までたどり着き、呆然と座り込む人も、膝を抱えてうずくまる人もいる。その多くは年寄りだった。奴隷にする価値もないとみなされた人々なのかも知れない。

 いつしかサーデグは多くの人に囲まれていた。

 サーデグの歌声は何もかも壊された町並みの中に穏やかな場を生み出しているように感じられた。荒れ地にともされた、あたたかな灯だ。

 歌に耳をかたむけ、肩を寄せ合って涙を拭う人たちがいる。

 やがて集まった人々は、少ない食べ物を持ち寄り分け合った。誰もが不安を抱えている。明日の命も知れない。

 父さま、母さま、兄さま。

サーデグの奏でる旋律が心をゆらす。わたしは麺麭を噛んだまま涙を流した。

「泣くな。俺たちがついている」

 歌をやめウードをつま弾いているサーデグが、ゾランへと視線を投げかけて笑った。ゾランはため息をひとつつくと、わたしの頭に手を置いた。あたたかく、頼もしい大きな手を。


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