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三人は壁にもたれてぐったりしている。治癒を掛けたものの、すぐ完治して元気になるほどではないので、本当は今直ぐ医師に診てもらったほうがいいのだろう。
さりとて、現在異常事態が起こっているため、向こうの状況がわからないのに、無責任に転移させるわけにもいかない。
壁を叩く音がして、横目で様子を伺う。
「己の野望のために国民を実験に使おうとするなんて許せない。」
一番危ない目にあったクロードが壁に拳を叩きつけたまま、忌々しげに吐き捨てた。
今、生きているからいいものの、一歩間違えば復活した聖獣に一番に攻撃されたり、踏み潰される位置にいたのだ。怒る気持ちはよくわかる。
自分の父親に裏切られたクロードは気の毒だ。
でも、あの本に最初に触れる確率が高いのは、と考えて、慰めにもならないけれど、と前置きをしつつクロードに声をかける。
「クロード、本来なら、私が魔力を吸い取られる予定だったのでは?実際、あの本に気がついたのは私が一番先だったし。私の古代魔術文字への傾倒具合を知っていれば、そう考えるのが普通だよね。クロードが犠牲になるとは陛下も思ってなかったと思うんだけど。」
「ラシェル、それは本当に慰めにもならないよ。身勝手な理由で大事な国民を一人でも犠牲にしようとした時点で、もう上に立つ者として失格だよね。」
クロードは憮然として、そう返した。
彼と父親は気持ち的にも決定的に別れてしまったようだ。
私はため息をついて、魔力残量を確認する。もう四割を切りそうな勢いだ。
拘束している聖獣も抵抗の度合いを強めてきている。
助けが来そうな気配もない。
ずっと杖を握りしめて魔力を流しているので、掌に汗が滲んで杖が滑りそうになっている。
左頬の傷もじくじく痛んで全身から脂汗が滲ん
でいる。おかげで余計に体力が消耗していく。
聖獣の変化を見逃さないように見つめ続けている目も、乾いて瞬きするたびに痛みがある。
集中の限界も近いかも。
その心のゆらぎを悟られたか、拘束している聖獣が術を振りほどこうと力を込めて跳ねた。
朦朧としかけていた私は、その勢いに対処しきれず、ずるりと汗で手が滑り、支えをなくして倒れそうになった。
それで、術が解けた。
聖獣はここぞとばかりに私めがけて高温の白い炎を吹きつけてきた。
ああ、しまった、私、死ぬわ。
レオさん、アンヌさん、クロード、守りきれなくてごめんなさい。
聖獣を押さえることに失敗をして、私が死ぬのは仕方がない。自分の能力が及ばなかっただけのことだ。
今まで生きてきた人生にもさほど後悔はない。魔術学校に入ってから今日まで、楽しかったし、幸せだった。
ただ、彼ともう少し一緒に生きていきたかったという、心残りはある。贅沢をいえば年老いて白髪になるまで一緒にいたかった。
でも、もう無理。
防御魔術をする余裕も気力も今の私には残っていない。
迫る炎に覚悟を決めると目を閉じて、全てを諦めた。
それなのに、いつまで経っても熱さはやって来なかった。代わりにふわりとした何かに包まれ、支えられる。
「ラシェル、生きてるか?!助けに来るのが遅くなってごめん。」
聞き慣れた声に目を開けると、私は死んでなくて、前には透明の防御壁が張られ、誰かに背中から包むように抱きこまれていた。
後ろを振り返るまでもなく、それが誰か直ぐにわかった。
「ルキウス・・・。」
上を向いてつぶやいた私を見て、ルキウスが顔を強張らせた。
「ひどい傷だな、痛いよな、本当にごめん。こんな怪我させるくらいなら、譲位なんて放って飛んでくればよかった…。」
泣きそうな顔で言いながら傷に手をかざしてあっという間に治してくれる。
私はお礼を言って、小さく首を振る。
「ルキウスは自分のやるべきことを先にやって。私はいつでも最後でいいんだよ。」
いつも思っていることを口に乗せると、彼は傷ついた顔をした。
そして、そのままぎゅうっと抱きしめてきた。
「そんなこというなよ。俺はお前がいなくなったら生きていけないんだ。本当に生きててくれてよかった。頼むから俺を置いていかないでくれ。こんなになる前に俺を呼んでくれよ。俺、ラシェルが思っているより、うんと強いから。」
「うん、心配させてごめんなさい。次は呼ぶね。」
「やっぱり、次なんてなくていい。こんな思いをするのは一度で十分だ…。」
泣きそうな彼の頭を撫でてあげたかったけれど、届かないので腕をぽんぽんと優しく叩いた。
そこで、はっと気づく。
拘束が解けた聖獣はどうなった?!と慌てた私に、もう一つの聞き慣れた声が掛かった。
「ラシェルさん、お疲れ様です!もう大丈夫ですよ!後は私達に任せてください。うわー、所長のローブ血塗れじゃないですか?!ラシェルさんの血ですか?!大丈夫ですか?」
「テレーズ、ありがとう。さっき治癒掛けてもらったから、大丈夫。」
テレーズの言葉にそう返しながら、周りを見れば、壁が崩れたところから研究所の人達が聖獣に向かって拘束術をかけてくれていた。
クロード達にも治癒術やら魔力回復薬やらが渡されている。
さらに何かの器具を携えた人達が続々と入ってきて、聖獣を取り囲み始めていた。
助けが来たのだとやっと理解したら、腰が抜けてその場に座り込んでしまった。
ルキウスは私の前に回りこんで、しゃがんで視線を合わせると安心させるように頭を撫でてくれた。
「ラシェルが聖獣を抑え込んでくれたおかげで、こちらの方はうまくいった。ありがとう。」
頭を撫でる大きな手が気持ちよくて、ゴロゴロいう猫の気持ちになっていたら、視界に映る彼のローブの袖が血塗れなのに気がついた。そういえば、さっきテレーズが言っていたのはこれか。
私の肩に染み込んだ血が、さっきので移ったのね。
私みたいに黒いローブなら目立たないのに、なんで儀礼用の白を着ているのだろうか。
普段、儀礼用なんて年に一回も着ないのに。
そう思って辺りを飛び回っている研究員達をみると、皆、白ローブだった。
「なんで白ローブなの?皆は何をしていたの?」
彼の目を見ながらそう尋ねると、
「ああ、これは譲位の際に儀礼用を着てこいと新女王に言われて皆、着替えただけだ。」
と返ってきて余計混乱した。
「譲位?新女王?」
オウム返しに聞いた私と、その言葉に驚いて近寄ってきたレオさん達三人に彼が説明してくれた。
「ここのところ、王の横暴さと軍拡方針に耐えきれなくなった者達が密かに、第一王女を女王にするために水面下で動いて準備していたんだ。俺はちょっとしたしがらみで、それを手伝わされていた。そして、あとは最終的なきっかけを待つばかりになっていた所に、都合よく聖獣が現れたわけだ。俺としてはラシェルの保護魔術が強く作動するわ、魔力量がとんでもない勢いで減っていくわ、ついには保護が消えて気が気じゃなかったが、貴方方が恐怖の対象である聖獣を抑え込んでくれたおかげで、譲位の方はあっという間に終わりました。」
レオさん達に礼をしながらそう締めくくった彼は、また私の方を見ると、
「それで、やっと救出にきたら、お前が聖獣に攻撃されるところで、人生で一番焦った。」
と恨みがましげに言ってきた。
「次は、貴方を呼ぶから、もう言わないで・・・。」
私はぼやいた。
私達が聖獣の相手をしている間に、この国の王が交代していたという事実は私もだが、三人を驚愕させた。
特にクロードは自分の家族のことでもあり、動揺が隠せない。
「姉上が即位?」
そう言ったっきり、絶句している。アンヌさんがそれを見て慰めるように背中を擦っている。
「陛下が譲位されたとは、これまた驚いた。よくもまあ、すんなりとできたもんだ。」
レオさんが思わずというように呟いた。
近くで作業をしていたテレーズが、目を輝かせて教えてくれる。
「ラシェルさん達が聖獣をすぐに拘束して、耐えてくれたおかげですよ!それで、聖獣より魔術師の方が強いことに前王は気がついたようです。」
お役に立てて何よりです、と心の中で返す。でも、聖獣は強かったよ?
ここまでお読みいただきありがとうございます。次話で完結です。