第五話 出歯亀幽霊
「湯加減はどうー?」
壁の向こうからジュリが声をかけてくる。
薪で炊いた風呂なんて初めて入ったが、悪くないな。
「ああ、いい感じだ」
風呂は命の洗濯って奴だよな。
今日は俺の歓迎会ってことで、ジュリが風呂炊きまでしてくれていた。
明日からは交代制らしいが、最初は付き合ってくれるらしい。
何でもコツが有るのだとか。
しかし格子窓越しに話すっていうのは、なんかおつなものがある。
まるで時代劇みたいというか、ちょっとした浪漫があるよな。
「明日から水汲みよろしくね」
「あいよー」
毎日の水汲み、これだけでも結構な重労働だ。
そのためジュリは毎朝六時前に起きているらしい。
水を汲んだあとは、畑から作物を収穫し鶏から卵をもらって朝食の支度と。
……。
これ、農家の生活じゃね?
どう考えても冒険者とは違うというか。
はぁ、金が無いというのは辛い。
早く借金を返しきって一般寮に戻りたいわ。
「で、だ」
「うん?」
風呂を済ませばあとは寝るだけ。
そのはずだったのだが……。
俺は今、食堂でジュリとテーブルを挟み向かい合って座っていた。
「なんか屋根裏から音がするんだけど」
「そうね、するわね。あぁ美味し……」
食堂の椅子に腰掛け、のんびりとお茶をすするジュリ。
リラックスしてふにゃふにゃとなった顔には特に動揺した様子も見られない。
なるほど、特に問題はないのか。
「なんか部屋に誰かの気配がするんだけど」
「そうね、するわね。あ! 見てみて! 茶柱立ってる! 明日はいいことありそうね」
なるほどなるほど、これも当たり前と。
うん、無事にその明日が迎えられるならそうかもな。
「なんか、そこに変な影があるんだけど」
「そうね、あるわね。うー……、どうしよ……」
煎餅に手を伸ばそうとして、やはり戻す。
二十時以降は間食を控えているらしい。
なるほどなるほどなるほど、これも普通のことなのか。
……・、んなわけあるか!
「どう考えても何か変なものいるよねここ!?」
「えー? 気のせいじゃない?」
ジュリの言葉に合わせて椅子に座る影がその言葉を肯定するかのようにコクコクと首(?)を動かした。
「そんなことよりお茶冷めるわよ?」
「そんなことよりってお前……」
幽霊の存在よりお茶が冷めるほうが重要なのか?
そりゃここではお茶を温め直すことも出来ないし、暖かいお湯を用意するのは一苦労っていうのはわかるけどさ。
「仮に居たって問題ないでしょ? 別に寮費が必要なわけでもないし」
「そういう問題なの?」
ちょっとおおらかすぎやしませんかねぇ。
それとも俺がおかしいのか?
堂々と言われると自信がなくなってくる。
「それじゃ早く寝たら? 明日は入学式なんだから」
「あ、うん。ジュリは?」
彼女も糠床の世話をしたら寝るそうだ。
代々この寮で受け継がれている大切なものだそうだが、王女様がそれでいいのだろうかと思ってしまう。
本人が楽しそうだから別にいいか。
俺は軽く影へ会釈すると自室へと戻った。
明日は入学式。
ようやく俺の輝かしい冒険者人生のスタートだ。
枕元においた剣を軽く撫で、俺は布団へと潜り込んだ。
「いや絶対おかしいって!」
五分後、俺はジュリの部屋の戸を激しく叩いていた。
「なによぅ、ハヤト……。トイレ? 怖くていけないなら一緒に行こっか?」
違うから!
そりゃ確かに夜のトイレは若干怖いっちゃ怖いけど、それよりもじっと俺を覗き込んでくる影のほうがよっぽど怖いわ!
そしてパジャマにナイトキャップ姿で枕を抱え、眠そうに戸を開けたジュリの肩には黒い影。
それ、どう考えても憑かれてるよね!?
「あ、私だと恥ずかしい? なら花子さんに頼もっか?」
「違うから! ……、花子さん?」
「花子さん、そういうわけだからよろしく……」
それだけいうと、ジュリはフラフラと部屋へ戻り、扉を締めた。
彼女の肩にあったはずの黒い影は、居なくなっていて。
俺の周囲にある気配が一つ、増えていた。
「いやああああああああ!!!」
夜のトイレが怖いから、幽霊に付き添い頼むとか意味がわからないんですけど。
その幽霊が怖いんだろうが。
「悪霊退散悪霊退散……」
「アクリョウタイサン、アクリョウタイサン」
「ドーマンセーマン」
俺の祈りに合わせて周囲に声が広がる。
そして俺が祈りを止めても周囲の声は収まらない。
「なんでお前らが退散とかいってんだよ!?」
というか踊るな、何その機敏な動き。
え? 体重がないからブレイクダンスも余裕?
そんなこと聞いてねえよ。
「なんなんだよお前ら!!」
多数の気配に囲まれながら、夜は更けていった。
「結構な重労働だなこれ」
翌朝、俺は眠い目をこすりながら水桶を運んでいた。
天秤棒は初めて使ったが、なかなか難しく、結構な量の水が溢れてしまった。
花子さんたちは溢すことなく運んでいるのに。
早く俺も慣れないとな。
「それ、体幹を鍛えるのにはいいと思わない?」
台所に入るとジュリが声をかけてくる。
言われてみれば確かにトレーニングにはなるかもしれない。
天秤棒にぶら下げた水桶を大きな壺の脇に下ろす。
ここに水を入れておいて使うそうだ。
「ありがと、助かるわ」
「いや、こちらこそ料理サンキューな」
電磁調理器とかガスコンロならともかく、カマドでの料理なんて俺には出来ない。
蛇口をひねれば直ぐに水が出るような環境ではないし、勝手が違いすぎるんだよ。
「ジュリは王族なのによくこの環境に適応できてるな」
「あはは、三年に一回、魔界から何人か留学生が来るのよ」
毎回入学の一月程度前から引き継ぎをしているらしい。
出来ないと飢えることになるので必死なんだとか。
「それに死ぬ気になれば、なんだって出来るわ」
遠い目で呟くジュリに何があったのか。
幽霊に家事を手伝ってもらうことに違和感を感じなくなるくらい、いろいろとあったのだろう。
そういう俺も、一晩で染まったからな。
話してみたら案外皆まともだったというか、彼らは昔からこの寮にいて寮生を見守っていたらしい。
幽霊っていうよりも守護霊に近いかもしれない。
なんせ遅くまで起きていると早く寝ろとうるさいし、朝はちゃんと起こしてくれる。
舎監代わりにいろいろと寮生の面倒を見てくれているようだ。
不純異性交遊は厳禁って釘刺されたりもしたけど、枕の下に近藤さんを仕込んだのは誰なのか。
とても気になるところですね。
「ハヤト。なんか枕元にあったんだけど、これ何かわかる?」
「……、それは俺が責任持って処分しておくから忘れるように」
俺だけじゃなくてジュリの枕にも仕込んでいたらしい。
それ、完全にセクハラだからな?
というか俺とジュリはそういう関係じゃないからね!?
「さ、早く食べちゃいましょ」
「そう、だな……」
手早く朝食を食べた俺たちは、片付けを幽霊さんたちに任して学校へと向かった。