第十一話 決闘
「あら、逃げ出さなかったのね?」
シャルロットは手に持つ扇子を口元に当てながら、何が面白いのかクスクスと笑う。
時刻は午後一時十五分。
運動場の一角に作られた屋外決闘場。
そこには既にシャルロットとその取り巻きが集まっていた。
どこからか話が流れたのか、フェンスの外にはクラスメート以外にも多数の生徒が詰め寄せている。
ここには生徒たちの安全を確保するための魔法が掛けられている。
肉体へのダメージは装備へと変換されるのだ。
そのため怪我をすることはないが、敗者は装備を破壊され誰の目から見ても分かる敗北が下される。
決してノーリスクではない。
敗者は装備と尊厳、そして掛けたもの。
その全てを失うのだ。
「逃げるわけ無いだろ」
お互いの距離が十メートル程度離れた位置で足を止めて答える。
顔に笑顔を張り付かせていたつもりだが、こわばっていなかったか自信がない。
正直なところ脚が震えそうになるのを耐えるので精一杯だ。
「その意地だけは認めましょう。そうですわね、今降参するならこれから三年間私の奴隷になるだけで許して差し上げますわ」
「はっ、言ってろ」
「貴様! シャルロット様が慈悲をくださるというのになんだその態度は!!」
随分とバカにしてくれる。
だけどそれで良い、お前たちの慢心は俺にとって有利にこそなれ不利にはならない。
勝算はゼロ。
馬鹿な男が感情を暴走させただけの、あくまで一矢報いてやろうとしているだけの戦い。
そう思ってるんだろ?
「良いのです」
「しかしっ!」
「野良犬に情けをかけた私が愚かだったのです」
激高する取り巻きを抑える体で、俺を煽ってるつもりかな?
野良犬上等、その程度じゃ俺は怒らないぞ。
そんな余裕はないからな。
「そんな事はありません! シャルロット様の慈悲を理解できない野良犬が悪いのです!」
「ふふ、ありがとうクローゼ。ではその野良犬を私が調教してあげましょう」
しかしあまり続けられても困る。
強がってはいるが、今にも恐怖に呑まれそうでたまらない。
この決闘で負ければ、貯金をはたいて買った鉄の剣は破壊され、そして退学となる。
それを考えるだけで喉が乾き、ひりつくように痛む。
「茶番はいい加減にしないか?」
「ふふ、そうですわね。時間がもったいないですわ」
シャルロットはそういうと胸元からステータスカードを取り出した。
それに合わせて、俺もポケットからカードを取り出す。
「来なさい、雑種。王女に懸想した罰、その身に刻み込んで差し上げますわ!」
ステータスでは負けているが、北島からの情報では彼女は後衛らしい。
そして俺は前衛だ。
俺もそうだが彼女もブレザー姿のまま。
特別なアイテムを身に着けているようには見えない。
ならば魔法を発動する前に接近すれば勝機はある。
「祝福開放!」
「祝福開放!」
ステータスカードが光の粒子へと変わり、身体を包み込む。
周囲の動きが徐々に緩やかになっていく。
全身に力がみなぎり、思考が加速する。
凄い、これがステータスの力か。
普段と体の感覚がズレているのがわかるが、それすら問題なく思える万能感。
「誰よりも速く! 全てを置き去りに!」
不意に口からこぼれた言葉は、この瞬間の俺の全てだった。
一歩踏み出すと同時に前を見れば、シャルロットは扇子を持ったまま詠唱に入ろうとすらしていない。
「余裕だな、お姫様!」
「……」
無視か。
だが、その余裕が命取りだ。
「はああああああああ!!」
ねっとりと絡みつく空気を切り裂き俺は突き進む。
砂埃を巻き起こし、ただ前へ前へと。
あと八メートル。
黄金の輝きに包まれたシャルロットが一歩、また一歩と近づく。
あと五メートル。
それでも彼女は動こうとはしない。
カウンター系の魔法でもセットしていたのだろうか。
微動だにしない彼女を見て、不安がよぎる。
決闘前に仕込み?
それも補欠合格者の俺を相手に?
ははっ、俺も大したものだ。
主席様にそこまで警戒していただけるなんてな。
あと三メートル――捉えた。
ならば、その仕込みごと斬り裂いてやる!
脇構えから太もも、そして胴へと斜め上に向けて斬撃を放つ。
俺の剣が彼女の制服を、そして柔らかな肉体を切り裂いていく――姿を幻視した。
「っ!!」
だが、それは現実のものにならない。
ギリギリのところで躱され、ブレザーの裾を少し切り裂くだけで終わる。
「ならっ!」
返す刀で振り下ろし、そして突く。
だが、そのいずれもがあと一歩というところで届かない。
「く……」
「……」
少し距離をとって再び剣を構える。
相変わらず彼女は魔法の詠唱はしようとしていない。
「遊んでいるのか?」
「そう、見えるかしら?」
決闘開始して、初めてシャルロットが口を開いた。
俺を見据える十字に割れた瞳は、金と朱を混ぜたような輝きを放ちまるで燃えているようだ。
「貴方を見間違っていたわ」
「……なにがよ」
扇子を投げ捨てた彼女に話を合わせる。
息を整える時間を稼ぎたい。
今しばらく、おしゃべりに付き合わせてもらう。
彼女は余裕ぶっているが、実際はそこまでの余裕はないはずだ。
「何が? とぼけているつもりかしら」
「別にとぼけているつもりはないんだけどな」
俺の剣は全てギリギリで躱されはした。
しかし彼女の制服に、ほんの少しではあるがダメージを与えたのだ。
分かりづらいが、たぶん敏捷は俺が上回っている。
だからこの拮抗状態だ。
「そう……。でも私はサタニア王国の王族。一筋縄には行かなくてよ!」
「っ!」
おいおい、お前後衛じゃなかったのかよ!?
どうして前に出てくる!
速い。
金の輝きが地面を滑るように俺へと突き進んでくる。
格闘戦狙いか。
ジュリの体捌きを思い出す。
たとえ後衛でも、魔族の膂力は人間のそれを大きく上回る。
ましてや長剣を持っている俺では懐に潜り込まれたら不利だ。
「ハアアアアア!」
「くっ!!」
牽制をして、距離を取ろうとするが食いつかれる。
「うおらあああ!」
「ハッ!」
剣を振るうが掌底を当てられ、逸らされる。
そんなバカな。
完全に動きが読まれてる!?
「シッ!」
「くっ!」
速度では勝っているはずなのに、まるで詰将棋のように一手毎に追い詰められていく。
後衛職相手に、前衛の俺がだ。
俺の脇腹へ迫りくる掌底を剣の柄頭で打ち据える。
しかし感触が薄い――フェイント!?
「もらいました!!」
俺の剣の柄を軸に彼女は身体を回転させる。
「くそがああああ!」
俺の頭上へと彼女の踵が迫る。
だめだ、躱せない。
畜生、ここで終わりなのか?
仲間を、ジュリをバカにされたまま、俺は……。
(仕方ないな、ちょっとお節介を焼かせてもらうよ――発現『無限接続』)
この声、カオスさん!?
「ガッ……?」
『無限接続』、その言葉と同時にまるでステータスを開放したときのような力が全身に満ち溢れる。
違いは一点。
身体を満たした力は、まるで全身を焼くような激痛を俺にもたらす。
(ここで負けてもらっては困るんだよ。頑張りなさい)
思考すら焼き尽くす激痛の中、カオスさんの声が脳内に響く。
「ぐあ……?」
声が消え去っても痛みは変わらず俺を侵してくる。
しかしそこで気がつく。
すぐに来るはずの後頭部への衝撃がやって来ない。
「なに、が……」
目の前にはシャルロットの身体が中に浮かんだまま止まっていた。
いや、よく見ればゆっくりと動いている。
「ぐ……」
何が起こったかはよくわからない。
だけどたった一つだけ、分かることがある。
それはこれが千載一遇のチャンスだということだ。
この奇跡、必ず――掴み取る!
「うおらああああああ!」
剣を全力で握りしめ、シャルロットの浮いた身体めがけて渾身の斬撃を放つ。
ミシリ……
握った柄から、剣の悲鳴が聞こえる。
ミシミシ……ピシッ
すまん。だが今だけ、この一撃だけでいいから耐えてくれ。
パキリ
振り抜き終えると同時に剣は折れ、切っ先がフェンスに向かって飛んでいく。
パリン
その音は、切っ先がフェンスに張られた障壁を叩いた音か。
それとも、生徒を守る魔法が発動した音か。
ゴウゥ(――能力解除)
強烈な暴風が巻き起こり、砂嵐とでも呼ぶのが相応しいほどの砂塵が舞う。
その際、カオスさんの声が再び聞こえた気がしたが俺はそれどころではなかった。
「きゃぁ!?」
「うわっ!?」
ともかく、気がついたときには俺たちは砂埃の中にいて。
シャルロットの制服は塵に変わり、地面にへたり込んでいた。
「なんで……、いやそれよりも!!」
あんなのでも一応ジュリの姉。
幸い今は砂埃が視界を遮ってくれているが、このまま放置して辱めを受けさせるのは可哀想だ。
混乱する頭で上着を脱ぎ、彼女に掛ける。
「貴方、何をしたの……」
身じろぎもせず前を向いたまま、彼女はそれだけを口にした。
だが、俺にもわからないから答えようがない。
ここははぐらかすしか無いだろうな。
「きゃーとかありがとうとか言えないのか?」
「……」
顔をこちらに向け、目を細くし、じっとこちらを見つめてくる。
一体何を思っているのか、今も赤銅色に輝く瞳からは読み取れない。
無言を貫くシャルロットに俺はため息を吐く。
「シャルロット様!?」
「卑怯者! 姫様に一体何をした!」
外野が騒ぎ出して思い出す。
そうだ、今は決闘中だったか。
「それで、聞くまでもないと思うけど」
「私の負けよ。見てのとおりね」
上着の端を内側に寄せ、胸元を隠すようにしながらシャルロットは首を振る。
中々の破壊力だが、俺にはその光景を楽しめる余裕はなかった。
「言葉は取り消すわ」
「もう二度とあんなこと言うなよ」
大丈夫とは思うが、一応念を押す。
「わかってるわよ……」
「ならいい、立てるか?」
へたり込んだままの彼女を放置するわけにも行かず、手を差し伸べる。
一瞬迷ったような仕草をしたが、彼女は無言でその手を取り立ち上がった。
「能力解除、祝福返却」
赤銅色に燃えていた瞳が金色へと戻る。
気が付かなかったが、いつの間にかスキルを使用していたようだ。
「その上着は貸しといてやる」
「ありがと……」
素直に言われると反応に困るが、布を持って駆け寄ってくる取り巻きの姿を確認し俺は無言で踵を返す。
正直、もう限界だ。
彼女の手を取った時にそのまま倒れそうになるくらいには。
「姫様! 大丈夫ですか!」
「この変態! 姫様から離れろ!!」
「じゃあな」
彼女にそれだけ告げ、俺は混乱の渦中にある決闘場を後にした。
足早に決闘場から逃げ去り、校舎の影へと飛び込むとそのまま座り込む。
そして周囲に誰もいないことを確認してからようやく息を吐く。
「なんだよあれ……」
意味がわからない。
ステータス、神の祝福の力は絶対だ。
だけどあんなふうになるなんて聞いたことがない。
「それにこの疲労感はいったいなんだ?」
立っているのも辛いほどの疲労感が全身を襲っている。
強力な力には反動がつきものではあるが、これはいくらなんでもおかしい。
っと、ステータス付与したままだった。
一応返しておかないとな……。
「祝福返却。へ? うぁ……」
ステータスを解除すると手元に光の粒子が集まり、やがてステータスカードが現れる。
それを手に取ると同時に、猛烈な眠気が脳内に広がっていく。
なんとか横にはなったが、そこで俺の意識は途切れた。




