Who is I?
5日後。
3人は死屍累々であった。
正体の分からない妖2人とも、全くといっていいほど情報は少なく、昼間っからギャンブルに明け暮れ羽衣荘にいるところを見るのは夕食の時間から次の日の朝食の時間、つまり夜のみ。しかも前日までの4日間中2日は別々に朝帰りである。
「……ふざけんな、俺は降りる」
右京がこめかみに青筋を立てて勢いよくロビーの椅子から立ち上がった。それを深雪が必死に止める。
「ちょっ、ちょっと待って!!まだ今日合わせて3日あるから、大丈夫だって!!!?」
「何だその最後の疑問詞は!!!?」
「フンッ、途中で降りるんですの?まるで負け犬……」
「ブッッッ殺すぞクソ女……」
「やれるものならやってみなさいよ」
雛子の一言に更に青筋を額に増やし、右京と雛子は睨み合いを始めた。殺意がロビー全体に広がる。
少しの間。深雪がまた間に割って入り落ち着きを取り戻した両者だが、向かいに座ったお互いを睨み続けている。深雪はまるで虎と龍の間の蛙のように身を縮ませる思いで2人の隣になるような位置に座った。
「右京、飯作るの手伝ってくれないかい?」
覚が暖簾の奥から顔を出して右京を呼んだ。
「そう言えばキョウちゃん、ここに来てからずっとご飯作るの手伝ってるよね」
深雪がさりげなく声をかけると、右京は心なしかいつもより表情が優しくなったように見えた。
「……山にいた頃から飯は自分で作っていたからな、料理してると気も紛れる」
それだけ言って暖簾の先にある厨房へ入って行った。その様子を雛子は頬杖をついて聞いていた。
「ムカつくけど、ご飯は美味しいのよね……特に米」
「あはは……」
そこへ、件の女妖怪がひょっこりと現れると「よう」とだけ2人に挨拶して暖簾の奥へと姿を消した。深雪と雛子の2人はきょとんとしてお互い顔を見合わせた。数十秒後、女は走って厨房から出てきた。その直後、右京が鬼の形相で包丁片手にそれを追いかけるように出てきたのだ。
「いい加減にしやがれこのクソ女ぁ!!!!」
右京が投げた包丁は女の髪を掠めてその先の玄関のドアへ刺さった。間一髪、女は外へ出て逃げた。その一瞬の出来事にロビーにいた2人は呆気に取られていた。
「右京、落ち着いて……いつものことだから」
以前聞いたような台詞を覚が言う。右京は息を切らしながら包丁を取りに玄関へ向かった。今彼に話しかければあの包丁で刺されかねないと全員が顔を青ざめた。が、何があったか聞かないわけにも行かず。
「あ?またつまみ食いされたんだよ!毎日の如くしつこいったらありゃしねぇ……」
そんなことで……と雛子は呟くが、実際彼にしたら大問題なのだろう。右京はこれで、家賃の支払いができない代わりに働くという人間らしい真面目さがある。
そして、深雪は少し考えた。
「いつものようにつまみ食いをする……か」
深雪の呟きに他2人の頭の中は疑問詞だらけになった。それを見ずに深雪は覚に質問をした。
「ねえ、つまみ食いの他にあの人がここで何か似たようなことはする?」
「え?あー……そうだな、早々無いが……いつも、いつの間にか帰ってきてるってのはある」
成程、と深雪は頷いて2人を振り向いた。
「女妖怪が何者か分かったよ」
「本当に⁉︎」
「本当か!」
同時に声を上げた雛子と右京は一度だけ顔を横目で見たがすぐにそっぽを向いた。実は素晴らしく気が合うのでは、と内心考えている深雪である。
それはさて置き、深雪は2人に自分の考えを告げる。
「毎日さっきのように突然現れ、居座ったと思ったらいつの間にかいなくなってる。そしてつまみ食いをしたりしていたずらしてるんでしょう?それに彼女が去った後のこの匂い……そんな妖怪、この世にたった1匹しかいないよ」
深雪の言葉に右京がスン、と一度だけ辺りの匂いを嗅ぐ。
「……煙草か」
「うん、それも他人から貰ったものだったら大体検討がつくよ」
「!もしかして……」
次いで、雛子が閃き、それに深雪が頷いた。
「彼女は『ぬらりひょん』だ」
ぬらりひょんはそののらりくらりとした習性から名付けられ、江戸時代の絵巻物にも多数登場する有名な妖怪である。伝承によると、老人の姿で他人の家へどこからともなく入り茶や煙草を飲むなど、自分の家のように振る舞う少々厄介な妖怪と伝わる。一説には、仲間を率いる親玉であるとも、妖怪の総大将とも云われている。
外見は相違があるものの、その他特徴はそのままである。突然現れたり、煙草を好んでいること。自信ありげな表情や昼間から人間に紛れて行動するその様は、そこいらの弱くひっそりと暮らす妖怪にはない上位の、それも長年生きた妖怪のものである。
「へえ、凄いじゃないか」
覚は拍手で褒めてくれるが、3人は焦りを感じていた。それを追い詰めるかのように鳴り響く正午を知らせる時計の鐘。
「……1人当てるのに4日半かかるとはな」
「あとは大家の方……あちらはもっと情報が少ないですわよ……」
「うーん……てっきり夫婦か兄妹なのかと思ったけど、どうも違うようだし」
ぬらりひょん……と仮定して、彼女とは違い大家はつまみ食いなどの小さないたずらは目撃されておらず、完璧に自分の情報を断つ程の周到さまで兼ね備えている。彼こそ、本当に警戒するべき大妖怪なのかもしれない。
「……力尽くで行くしか無いんじゃないのか?」
右京が包丁を傾け、その刃は輝いてみせる。それはちょっと……と雛子が退くが、深雪が同意したため、驚愕した。
「そっか、その手があったか!」
「えっ深雪くん!!??」
「ただの力尽くじゃないよ、2人とも!ご飯食べたら作戦会議をしよう!」
少年少女が必死になって一つのことに一生懸命になるのはいいことだ、と関心する覚であった。
*
夕食前。
大家がロビーへ向かうと、1人の青年と1人の少女がこちらへ殺気を立てているのが分かった。
「あはは、僕、何かしたかな?」
大家がそう言い終わらぬうちに、右京はその愛刀を抜き、大家の腹を一閃した。それは一瞬のことで、並みの人間では目に止まらぬ速さであった。
すらりと高い大家の体は長い脚からぐらりとよろめいたが、すぐに立ち上がった。その腹には傷一つついていない。その様子に右京は驚いた。
「……俺の退魔の刀が通じないだと……?」
「あはは、ごめんねぇ人間くん。刀じゃ僕は殺せないよ」
「あら、でしたら……貴方を確実に殺す他の手段があるんですのね?」
大家が少女の声が聞こえた先に目を向けると、雛子が先に夕食を済ませていた。雛子は少女という年齢にそぐわぬ妖艶な笑みを浮かべて大家を見ていた。
「そんなもの、どこにあるんだい?」
弱点は他人に決して教えない。その飄々とした笑顔の中には、絶対の自信が見えた。
「貴方自身に教えて貰う気はなくてよ?私の魅了の力で、他人の弱みを見透かすことができる誰かさんに教えて貰うことだってできるから」
その言葉に彼の体が強張ったのを、彼自身感じた。そして彼らを甘く見ていたことを内心唇を噛んだ。
ーー閻魔王の息子を名乗るあの少年は、こちらを見向きもせず、ただお茶を啜っていた。
きっと、この2人を諭したのは少年であろう。期限までの時間も残り少ない、強行突破の方法を彼らは考え行動に移した。
余裕なのか、それを装っているのか。まるで読めない。
なんて奴だと、大家は今生で二度目の焦りを感じていた。
「いいだろう。こちらも本気で君達と対抗すると誓うよ」
その時、初めて大家の笑顔の裏にもう一つの感情が浮き彫りに見えた。
初めて見た感情は、明らかに敵意であった。
(この瞬間を待っていた!)
深雪はそこで、大家に微笑んだ。立ち上がり、彼の目の前へ歩み寄り対峙する。
「質問してもいいかな」
「どうぞ」
「ぬらりひょんとの関係は?出会ってどのくらい?」
「はは、彼の正体を突き止めたのか……ぬらりひょんとは寛永……江戸時代初期の頃に賭博場で会ってね、覚と3人で羽衣荘創建当初の大切な仲間であり、親友だよ」
「恋人?」
「まさか。彼は友人でありそれ以上それ以下でもない。僕も彼も独身主義だからね」
「そっか。じゃあ君自身のことに関して質問。君はいつの時代の妖なの?」
「うーん……これなら言ってもいいかな。江戸の中期にちょっと有名になったことはある。それっきりさ」
分かった、と深雪は微笑み最後の質問を投げかけた。
「人間を驚かすのは、好き?」
大家にとってそれは痛い質問だった。
妖の本質は人間を驚かすものである。弱い力しか持たない、大半の付喪神を始めとする妖怪は人間を驚かすことしか力を持たない者も多い。そこに理由はなく、自分の存在とイコールとして人間を驚かすことが本質としてある妖がほとんどだ。
「ああ、もちろん」
そこに意味などはない。
*
期限前夜。
荷物の整理をした雛子は、午後10時を過ぎたことを時計で確認し、灯りを消して寝床に入った。
雛子が深い眠りについた頃、そのドアの前を通る一つの人影。その影が戸をノックしようとした瞬間、首を誰かに掴まれ、顔の近くにランプを向けられた。
「よう、ひょはいはぁはんひんひへーはぁ」
そのドスの効いた低い声が、咥えているのが鞘に納められた刀だと分かると人影は小さく驚いたように体を跳ねさせた。それと同時に雛子の部屋のドアが開き、なぜかそこにいたのは深雪であった。
「やあ、こんばんは。大家さん」
その人影の正体は大家であった。大家は逃げる素振りもせず、ため息を吐いて右京の手を払った。
「……なんで僕だって分かったの?」
「雛を手にかけるとしたら、今日かなって思ったんだ。君に対抗する術を持つのは唯一、雛だけだからね」
成程……と大家は肩を竦めた。
「君には完敗だ」
「いいや、君達は僕らに負けるんだ。だって昨日の作戦を考えたのは僕じゃなくて、君が侮っていたのはこの子達だからね」
深雪のその言葉に右京も頷く。
「まあ、大まかな流れはこいつが決めたんだがな。俺が刀を使えばきっとボロが出るんじゃないかと雨宮雛子が考えた。予想より易々とボロが出たな」
2人の様子に驚愕している大家に、深雪が更に畳み掛ける。
「子供だからって舐めたのが仇になったね、大家さん」
大家は項垂れた。得体の知れない子供3人に負けたことを認めるかのようにーー否、
彼は喉を鳴らして、腹を抱えて笑っていた。
その様子に2人はお互いの顔を見合わせた。そして右京が漸く異変に気付く。
「……おい、雨宮雛子は?」
頃合いになれば深雪の部屋から出てくる雛子が現れない。そこで深雪もようやく状況を理解した。
(嵌められた!)
深雪が冷汗を背筋に感じた途端、大家は顔を上げてその紫にも青にも見える瞳で2人を見た。
「久し振りに楽しませて貰ったよ、ねえ?」
大家が呼んだと同時に姿を現したのは覚だった。その笑みは冷たく、妖のそれであった。
「せっかく大ヒントをあげたっていうのに君達は……大親友だって言っただろう?」
深雪と右京は全てを察した。つまり覚は元々3人を誘う囮であって、更に大家らの情報源であったのだ。
「雛をどこにやったんだ!」
「そんなに声を荒げないでやってくれ、閻魔王の倅。覚は他人の感情には過剰反応を起こすんだよ」
大家の言葉に深雪は我に返る。彼らの思うツボだ。
深雪は後悔した。彼らを侮っていたのは僕らの方だ、と。おそらく苦虫を噛み潰したような表情の右京も同じ事を思っているだろう。
彼らはあくまで純粋な“妖”。それもぬらりひょんと肩を並べる程の“大妖怪”だ。
(思い出せ!きっと自他共に認めるような“大妖怪”なんて早々いないはずだ!)
深雪が頭を抱えた途端、何故か以前見た夢の景色を思い出した。
月はもしかして彼を知っているのではないか?
「さて、僕は誰でしょう?」