三頁目
数日後。
4人は旧校舎の玄関の前に立っていた。
期末考査1週間前の週も半ばとなり、新校舎にも残っている生徒は少なく、部活動も休止のため行われていない。
「皆……ごめんね、忙しい中テストも近いのについてきてもらって……」
茉由がいつものように目を潤ませて申し訳なさそうに小さく礼をした。
いいの、いいの、と茜が明るく返す。璃花子に至っては今からピクニックに行くかのように目を輝かせ、手には愛読書か分厚い意味深な本を抱えている。
いつもの3人であることに少し呆れと、安心を抱え雛子は行きましょうか、と軽く指示した。
「雛子ちゃんがいれば安心だね」
と、玄関に入ったところで嬉しそうに茉由が言う。他の2人も首を縦に振る。
「超・現実主義な雛子ちゃんなら、どんな超常現象も科学的に分析しちゃいそぉ〜」
「うんうん、極めつけは蹴っ飛ばしそうだな!」
「ちょっと、それ褒めてるの?」
馬鹿なこと言ってないで……と、よくある台詞を口にして4人は旧校舎へ図書館へ向かう。玄関から図書館へは2階へと階段を上らなければならない。運動部であり一応犯人へ対抗する術を持っていると考えた茜を先頭に、2人を挟んで雛子が最後尾を務め、足早に且つ後ろを振り向かないように図書館へ向かう。階段から図書館へは幸いにもすぐ近くであるため、上ってすぐに図書館の引き戸を開けた。図書館へ入っても何も変わったことはない。
その後すぐに茉由は頼まれていた本を探し出し、4人は安堵に包まれた。
しかし事が起きたのは、何事も無く用事を済ませ、すぐにでも旧校舎を出ようとした時だった。
「……璃花子ちゃんは?」
茉由が顔を青ざめて囁いた。図書館を出た時、オカルト好きで好奇心旺盛な璃花子がいない。まさか図書館内にまだいるのかと、鍵を開けて茜が大声で璃花子の名を呼ぶ。
返事はない。
「……嘘だろ?」
少しの沈黙の後、茉由はワンピース調の制服のスカートを両手で握り締め、目にいっぱい涙を溜めて嗚咽を漏らした。それを見た茜と雛子は慌てて、もう一度璃花子の名を呼ぶ。しかし返事は来ることはない。
「だ、大丈夫よ茉由さん!もしかしたら、もうここから出ていったかも……」
「うんうん、好奇心旺盛な璃花子のことだ、先に旧校舎の他の教室見て回って先に下りたかもしれないな!」
茉由を宥め、自分達自身にも言い聞かせるように言い、彼女らは一旦1階へ下りることにした。
その間にも璃花子の名を呼ぶが、返事は返ってくることは一度もなかった。
そしてもう一つ、恐れていたことが起こった。
1階へ到着した時、先頭の茜が急に足を止めた。高身長のため、それよりも低い茉由が背中にぶつかる。
立ち止まった理由を聞こうと雛子が身を乗り出した途端、茜はふらふらと千鳥足で前を進んでいく。
「あ、茜ちゃん……⁉︎嘘、どうしたの……⁉︎」
その瞬間、雛子はまずい、と頭をフル回転させた。4人……もとい今は3人だが、この中で運動部で身体能力が高いのは唯一、茜だけ。つまり、これが『華錦の怪』で、あの噂が本当ならば、この2人に考えている暇はない。
「茉由さん、こっちよ!」
「えっ⁉︎ひ、雛子ちゃん⁉︎」
雛子は無理矢理茉由の手を取り、先程来た方向へ戻る。階段であれば例え身体能力が高くても、あの千鳥足と正気が保てていない分、昇る時間がかかると考えたからだ。
予想通り、正気を失った茜が振り向いた時には2人は既に2階への階段を半分昇り切った所だった。これで少し時間が稼げる、と丁度鍵がかかっていなかった『学校記念室』という部屋へ入った。そこは明治時代から受け継がれてきた当時の学校の様子が写された写真や制服などが飾られた、校外からの賓客向けの部屋であった。現在の学校の実績が飾られている1階の応接室とは違い、こちらは華錦女学院の歴史を感じることができる。
「凄い……ここ、高校に入学してすぐしか入ったことなかったから、こんなにじっくり見るの、初めてかも……」
茉由が落ち着いた様子を見て、雛子は少しほっとした。茜はおそらく雛子達が2階へ走って逃げた事は気づいておらず、上ってくるとしたら歩いてくるだろうと考えた。
自分達が警戒し慌てたら、相手も警戒する。しかし先に逃げた方が勝ちである。それはどの動物でも言えることだ。おそらく正気を失った彼女は本能で動く獣に近いと、雛子は考える。なら、それ相応の対処法をするまで、と。
「あれ?雛子ちゃん、これ……なんだろう?昔の制服のポケットに何か……」
茉由がガラス越しの制服に手を伸ばす。その先には、当時の制服であろうセーラー服の胸ポケットから見える小さな花柄の巾着が見える。
それを見た瞬間、雛子は全身の血管が収縮するような感覚と、同時に頭が真っ白になるほどの安堵を感じたのだ。
「そう……やっと見つけたのね」
「え?」
雛子が茉由に手を伸ばした時、彼らは現れた。
「そこまでだよ」
雛子が振り向くと、先日会った白髪に季節感の無い服装の少年と黒ずくめの青年が立っていた。先日と違うのは、少年が自分の前腕ほどの長さがありそうな大きな扇子を片手に持っているのと、青年がその右手に黒漆の鞘に納めた刀を持っていることか。
「……何?学校は関係者以外立ち入り禁止よ」
「やあ、また会ったね、えーと……『華錦の怪』さん?」
「はあ?意味の無い、失礼な呼び方はやめて」
こっ酷く非難され、少年ーー神永深雪と言ったか。深雪は、少し涙目になった。雛子の言う通りなので更に落ち込む。
「はー……怪異に一々感情的になるのはやめろ。疲れねーのか」
「いてっ⁉︎キョウちゃんまで!」
「その呼び方やめろ」
青年は低い声で呆れたように刀で深雪を小突く。……にしては少し音が大きかったが。仲間にしては容赦無しだ。
完全に相手のペースに気を取られ、雛子は呆然とした。しかし、彼らが自分に止められる理由も分からない。
「ちょっと……意味が分からないんだけど。説明してくれる?私が『華錦の怪』と呼ばれる所以は?」
雛子が言うと深雪は真剣な表情でこちらを見た。その青い瞳は全てを見透かしているかのように透き通っている。
「そのまんまだよ。君が噂の全ての発端で、怪異の正体なんだ」
深雪は手にした扇子を肩に軽く当ててパチリと鳴らした。
雛子は真剣に答える深雪へ呆れて溜息を吐いた。
「身に覚えの無いことを言われても……私が、注目を浴びたいからこんな噂立てたって言うの?それに、どうせ今までの私達の様子を見てたんでしょう?それなら私がどうやって友人の茜さんを操ったの?璃花子さんは?」
雛子は次々に質問を投げかける。
もう1人の友人を見ると彼女は振り向いた時のまま、固まっていた。辺りを見渡すと、3人以外、そこで時間が止まっているようであった。
「……あり得ないわ」
雛子が驚きの声を漏らすと、そうでもない、と深雪が答えた。
「この世にはね、あり得ない事なんて幾らでも存在するんだよ。例えば、怪異だって……君のようにね」
「やめて。いい加減にして頂戴!」
そう言うと彼は少し困った顔をして、「荒療治も必要か」と呟いた。
そしてもう一度深雪は雛子を見て、その言葉を放った。
「君、自分が“妖怪”だって気づいていないの?」
その瞬間、雛子の時間も止まったように感じた。
雛子は考える。
(何、言ってるの……この人?だって私は、この16年間、れっきとした人間としてーー)
考えは浮かばなかった。
彼女には、思い出など出てこなかった。
(嘘よ、おかしいわ。だって、そうだとしたら、今までの私はなんだっていうの?本当の私はーー)
『お前はもうよくってよ。退いていて』
頭の中に自分と同じ声が響いた瞬間、頭が割れる程の頭痛が襲い、雛子は頭を抱えて叫んだ。
「ああああーーーッッッ!!!!」
その悲鳴とも呼べる叫びに、青年が思わず構えて刀を抜こうとするも、深雪が制する。
叫ぶと同時に、雛子の外見は見る見るうちに変わっていった。
焦げ茶色のハーフアップにしていたストレートヘアは漆黒に、大袈裟ともいえる癖がつき、髪の長さも肩甲骨のあたりより更に、彼女の体を囲むように腰辺りまで伸びていった。茶色の虹彩も山吹色に爛々と輝き、人間のものとは思えぬ物へ変わっていく。絶叫に開く口から見える犬歯も人間のものより発達し、牙と言えるものとなっている。
「君は、見たところ『鬼』かな?」
「ーーいいえ。正確には鬼と人の半妖ですわ」
その叫びが収まった頃、ガラスは砕け床に散り、壁には倒壊には至らぬ程の小さな亀裂が入っていた。
深雪が彼女に聞くと、彼女は以前よりも丁寧な口調で答えた。確かに、少し見た目が変わっただけで人間と同じような姿は保っている。よくイメージされる鬼のツノも生えていない。
「どうして私が『華錦の怪』の真相だと?」
雛子……であった半妖の娘は深雪に問うと、彼は少し照れ臭そうに、そして申し訳なさそうに答えた。
「……元々僕ら2人、この学校からの妖気には気づいていたんだけど、僕達が立ち入れない程高度な結界が張り巡らされているようだった。だから、結界の持ち主……君を、探し当てないといけなかった。どうやったかはまたいつか。
そうして君に気づいた僕らは、まずどうやって『華錦の怪』を起こしているか考えた」
「……どうやっていると?」
深雪はすぅ、と一度息を吸って答える。
「君には“魅了”の能力があるんだよね」
娘の体がその言葉に反応した。深雪は続ける。
「その魅了の力を使って、この学校全体に大分昔から結界を張っていた。君がこの学校の生徒として紛れるように。半妖なら、さっきの人間の姿に化けて紛れる事も可能なようだから、昔は本当に生徒だったかもしれない。
けど、君は探し物がこの学校に存在することを知ってしまい、ここへ留まる事を決めた……でも、君は触る事ができなかった」
「……御名答、素晴らしい推理ですわね。魅了も、結界も、探し物のためにこの学校に留まったのも貴方の言う通り。……ただ、当時の私は卒業できず中退することになってしまったけれど」
「……君は、時が流れていくうちに自分自身にまで魅了の力を当ててしまったんだね。だから鬼としての記憶や昔の記憶は封じられて人間としての側面である彼女が分離してしまった。深層心理に押し込められた鬼としての側面である君は焦りを感じた。
だから、人間の彼女が無意識のうちに君が力が入りやすい時間帯ーー夕方の、逢魔が時に一瞬だけ表に出てその瞳で生徒を魅了して、旧校舎にあるであろう探し物を彼女らに探してもらった。
……そこに、運悪く正気を保った被害者は遭遇してしまったって訳だ」
「……そう、『私』は『私』に見放された。私だって、私なのに……私は私も、本当の目的も、過去だって捨ててしまった!」
ガラスにまた、亀裂の入る音がする。この衝撃は魅了の力の応用なのかもしれない。
深雪はまた続ける。
「今の君は、半妖ではなく人々に影響を与える“妖怪”そのものだ!このままでは本当の妖怪どころか化物や怪物の類になってしまうよ!」
「構わないわ!だって私はーー!」
そこまで言葉を口にした途端、娘は止まった。
その先の言葉を口にすることができなかったからだ。
その様子に深雪は微笑んだ。
「……そうそう、君はそれでいいんだよ。『私は人間が』って言うつもりだったでしょう?……その先はきっと、君が一番知っている」
そして彼女は、その場に崩れた。
彼女は、人間を嫌いになる事ができなかった。