帰還後の虚無感
今日はずっと晴れていた。別に太陽が嫌いとか。太陽の光で死んでしまうとか。そんなことはないけれど。何となく太陽は好きになれない。どちらかというと曇り空の方が好きだし。寒い方を好む。
ほら、体育系の人種って暑苦しいじゃない?どうしてもそういう人達とは仲良くなれないわけで。
つまりは暑いのも。熱いのも苦手というわけだ。
「はぁ~ぁ。」
今日も今日とて長い1日が終わりを迎えようとしていた。相も変わらず、僕の1日は最底辺であり、いつも通りの日々であった。
いつも通りが一番の幸せだ。そんな言葉をいつだったか聞いたことがあったが、いつも通りが地獄のような人間にそんな言葉はただただ、不愉快でしかない。
「…今日もお金、取られちゃったな。」
何となく風に当たりたく、学校の屋上に僕はいた。夕陽の光は予想以上に眩しく、少し失敗したと思った。
「まぁ、いいか。どうせ、使い道もなくなったし…。」
ゲームの世界に閉じ込められたと勘違いしたあの日からまだ三日。だからというのか。未だゲームという名の玩具に芽生えた、トラウマめいた感情を払拭できないであった。
「これからどうしよう…」
本来なら学校が終わると同時。素早く支度を済ませ、家に帰宅。ゲームの世界へダイブするのだが。あんなこともあって、ここ最近はゲームではなく。リアルの世界でしか存在を具現化させていない。
本当にこれまでの人生。僕の中にあったゲームという存在は思っていた以上にとても大きな存在だったのだ。
だが、ソレももう…
「はぁ~ぁ…。」
何度目かのため息。目の前の夕陽が酷く恨めしい。
人生、輝いている人達はこんな悩みとかないんだろうな…。
持ち前の卑屈が思わず前に出る。そんな妬みを言っていても仕方がないというのに。
「帰ろっ…」
これ以上、こんな所にいても陰気になっていくだけだ。夕陽の光を浴びて陰気になるとか…。ほんと、笑えないな。
「ねぇ?君?君ってこの前、ウチの店でゲーム買ってくれた人だよね?」
「へ?」
帰ろうと背中を振り向かせたところ、いつの間にいたのかキャピキャピした、化粧薄めの女の子に捕まった。
「え…えっと…?」
制服は当然、同じ。…いや、女性物ではあるのだが。同じ学校指定のという意味で。背丈は僕と同じ位かちょっと低い。声は高く、髪の色も脱色しているのだろう。少し茶色が目立つ。目にはマスカラ。手には薄めのマニキュア。脇に抱える鞄にはキーホルダーがジャラジャラ付いている。
ギャルではないのだが、クラスの中にいたら絶対に目立つ輪の中にいるであろうオーラを放つ。そんな存在だ。
「…僕に何か用ですか?」
何でか敬語口調になってしまう。恐らくは同い年か後輩であろうと分かっているのだが。
「はは…何で敬語だし?いいよ。いいよ。君、二年三組の相原でしょ?私は二年五組の遊芽﨑(ゆうがさき) なな。同い年なんだから砕けていいよ。」
「は…はぁ。」
やはり、同い年であった。
「んでさっ、さっきの質問。相原さ。あっ、相原って呼ぶけどいい?」
「うっ…うん。」
何とも軽いノリ。そしてグイグイくる。
「相原さ!この間、私の店でゲーム買っていったでしょ?どう?あれ、面白かった?」
「え?…ゲーム?」
普段、女の子はおろか。人とも会話をしていない僕にこの手の人種はラスボス系に属する難易度があった。思考が上手く回らず、彼女が僕に何を言っているのかが瞬時に理解できない。
結果、「あっ…うっ…はい。」などという言葉を小さく漏らすことしか出来ず。これが短気の人間ならばここらで怒鳴られるか、暴力を振るわれている。
「はは…。相原ってコミュ障?まぁ、そんな感じするしね!見た目通りだ!ははは。」
どうにか思考を正常に回そうと四苦八苦している所に、そんな彼女の笑い声が耳と脳に響く。
ほんと、裏表がないというか。素直で真っ直ぐというか。苦手なタイプだ。
「…それが分かっていて何で僕なんかに話し掛けてきたのさ?嫌がらせか何か?」
やっと、慣れてきたのか。ようやく、会話のキャッチボールが成立する。とはいえ、誰が聞いても分かる位に乗り気ではないのだが。
「いや、だからさ。何度も言うけど、相原さ。私の店でこの前、ゲーム買ったでしょって!あれ、私の所有物を店に出してたんだけど中々、手にして貰えなくてさ。そしたら相原が買ってくれたから感想聞こうと思って!どうせ、その様子だと幹部は倒したんでしょ?」
「えっ!?」
この女。何を言った?ゲーム?感想?幹部?何の話をしている?
「またまた、黙っちゃって。沈黙は全てを認める事と同義だって理解してる?今頃、人違いですなんて、そんな言い訳、通用しないからね!相原があのゲームをやった事は既にバレているんだからさ。逃げようなんて考えちゃ駄目だよ?ていうか、逃がさないから。」
笑顔で何を恐ろしい事を言っているんだ?
彼女とかにしたら絶対にめんどくさいぞ。この人。
…て、今はそんなこと言ってる場合ではなく!
どういう事だ?
ゲーム。ゲーム。 …ゲーム?
「まさか…アレの事を言ってるのか?あのレトロで古風で古くさい冒険ファンタジーの…。あのゲームの事を?」
よくよく、見たらこの女。あのゲーム屋のレジ前にいた店員さんだ。
「古くさいは余計だよ。確かに今となっては流行らないかもだけどさ。」
「何を…。あの、ゲームに何かあるのか?」
「何をか…。白々しいね。君を見れば分かるよ。あそこ まで辿り着いたんでしょ?」
「……あれは、バグだ。何もおかしな事は起きてない。」
「フンフン。なるほどね。相原はそう解釈したのか。まぁ、それも表面上。そう思う事で自分自身を納得させているに過ぎない保護意識だろうけどさ。」
「…ッ。」
「あれは、バグじゃないよ。あそこの時点でアレはただのゲームじゃなくなった。」
「それは…どういう…。」
「魔王の幹部。君が倒した奴は誰なのか知らない。けれど魔王の幹部を倒した。それが呪いのトリガーに指を掛けた。」
「呪い…?」
「そう。呪い。あのゲームは生きているんだよ。ゲーム内に意識を飛ばせば魔王はそのプレイヤーをその中に閉じ込めようとする。そして、ゲーム内で命を落とせば文字通り死ぬ。意識は消え、現実世界での肉体はただの脱け殻となる。それがあのゲームの真骨頂。」
「待った!待った!ちょっと待ってよ!」
いきなり、色々な事をぶっちゃける遊芽﨑さんに僕は慌ててストップを掛ける。
「ゲームが生きてるとか何言ってんのさ?大体、途中まではちゃんと、ログアウトできてたし、セーブだって自動でしてくれた。それが、いきなりアニメが如くデスゲームに切り替わるとかあり得ないでしょ!第一、あれにもちゃんとオンライン機能が付いていた!オンラインにしたらどうなるんだよ!あのゲームをプレイしていたプレイヤーは全員が閉じ込められるのかよっ!」
自分でも分かる位のテンパり具合だ。それがどういった事を意味するのか位、自分自身のことだ。分かっていた。
「まぁ、落ち着きなよ。ちゃんと説明はするからさ。さっきまで、何言ってるのかも分からない小声だったのに、急に大声出すとか止めてよね。ビックリしたじゃん。」
ははは。と遊芽﨑さんは軽く笑う。
「まず、第一の質問。いきなり、ゲームに閉じ込められる件だけど。それは魔王自身が幹部を一人、倒された事実を把握して、その人物を初めて敵と認めたからだね。」
「それは、つまり…」
「そう。それまでは魔王自身がプレイヤーを認識していなかった。だから、普通のゲームとしてプレイできていたんだよ。だけど幹部を倒された。そこで初めてゲームの核が動き出す。ゲームは私達をウイルスとみなし。それを駆除しようとまずはログアウトという選択を封じる。けれど、それと同時。出てくるモノがあった。」
「セーブポイント…」
「そう。元々、セーブポイントはゲームの中に複数、存在していたの。けれど、ゲームを創り直した製作者がオートセーブに切り替えた。ゲームの核が動き出すと言うことはゲーム自体が切り替わる事と同義。ゲームは創り直る前に戻り、セーブも手動で行うものとなった。ゲーム自体はソレに気付いてないから、プレイヤーはそこに到着さえすればゲームから抜け出る事はできる。」
「いや、だけど…セーブはできてるんじゃ…。それなら死ぬなんてことは…」
「残念。そこまでのご都合主義は働かない。セーブポイントはゲームの穴であるだけで命を繋ぐものではない。例えるならば洞穴に閉じ込められて家に繋がるまでの不思議な扉が出来た。そんな感じだね。家には帰れるし、また洞穴にはいけるけど命が増えるわけではないでしょ?」
「…つまり、セーブポイントはリアルに繋ぐ為だけの通路に過ぎない。そういうことか?」
「そう。あの中に入れば私達は現実となんら変わらない。命は一つのただの人。ゲーム…というか、ゲームを支配している魔王によって意識を消され、永遠に甦らなくなる。」
「クッ…」
「…なら、次の質問。オンラインなら。ってやつだけど残念。それに関してはそもそもがあのゲームをプレイしている人間がいないの。だから、オンでもオフでも変わらない。閉じ込められるのは一人だけ。」
…ッ!?
「それは、おかしい!あんた、さっき言ったよな?このゲームを創った者がいるって!それはこのゲームは公式に発表!販売されたということだ!それがたったの一つな訳がない!」
「ううん。あのゲームは公式に発表なんてしてないの。」
「え?」
「あのゲームは私の兄が創ったArtifcial Intelligence
System Virtual Dive。 略してAISVD(人知的ダイブ型仮想映像システム)。あのゲームは人為的に創られた生きるゲームなの。」
・・・・・・・
「…それはつまり?」
「言った通りの意味だけど?私の兄は別にエンジニアでもなければプログラマーでもない。ただ、あの人は自分のやりたいことにただただ貪欲で真っ直ぐだっただけ。その時もただ、ゲーム創りに嵌まっていただけなんだと思う。」
「嵌まっていただけって…」
そんなのまるで
「うん。そう。ただの趣味だよ。私の兄はただの趣味でとんでもない物を創ってしまったの。でも、それは何もあのゲームに限った話ではない。私の兄は属に言う天才ってやつなの…。」
「…そう。」
何故か小さく乾いた声しか出なかった。上が天才であったとしても下も天才とは限らない。彼女の様子を見ればそんなこと分からない筈もなかった。
「はは…変に気を遣う必要なんてないよ。慣れてるし…。」
そうは言うもその表情は決して元気あるものとは思えない。
才能ある者と比べられる事に慣れる。例え、それが本当だったとしても。辛いモノは辛いのだ。一人っ子で身内にそんな人種がいない僕には到底、理解できない問題なのだが。
「小説を書けば賞を取り、紙に絵を走らせれば美術館に飾られる。料理を作れば皆を虜にし、歌を歌えば涙を流させる。そんなんだからゲーム作りに嵌まっていた頃もとんでもない物を創るであろうことは予想していた。でも、まさかあんなモノができるとは思わなかった。」
天才の思考を凡人が理解する事はあり得ない。そう彼女は言いたげだった。
「…そんな凄いお兄さんの創ったゲームなら返すよ。未発表のゲームなら数もあれだけなんでしょ?間違えたのか何なのか知らないけどあんなカートの中に入れる方が悪いからね。」
明日持ってくるよ。と、言葉を残し、遊芽﨑さんに背を向ける。彼女が言いたかった事はきっとそういう事なのだ。感想が聞きたいとか何だのというのは僕に話し掛ける為の口実であって、本来の目的は兄のゲームを取り返す事にあったのだ。
大方、天才である兄に嫌がらせでもしたくて取った行動なのであろう。見かけによらず可愛い所もあるのだな。
「ちょっと!何、帰ろうとしてるのさっ!」
「はい?何でって、話は終わったんじゃ…」
「誰がそんな事、言った!肝心な事を言ってないっ!!」
「肝心な事?」
そう、言われれたのであるならば、動いていた足を止めざるを得ない。正直に告白すると夕陽も沈み、薄暗くなってきたのでそろそろ帰りたいのが本音だ。
「そう!何の為に私が相原に話し掛けたと思ってんのさ!私は相原に頼みたい事があるの!!」
「…頼みたいこと?」
体を前にずかずかと行進してきたので、仰け反りながら言葉を返す。
「そう!最初の質問、覚えてるよね?」
「えっと…ゲームの感想?」
「そう!それ!」
「えっと…その…面白かったとは思います。途中までは…」
「ほんと!!」
「あっ…えっと…その…はい。」
満面の笑みで迫られると頬が引き吊る。最後の言葉、絶対聞いてないよこの人…。
「そうか!そうか!面白かったか。」
ほらね。
「なら、話は簡単だ!相原にはあのゲームをまたやって欲しい!」
「は?」
今、何て言った?この人?
「まぁ。今の話、聞かせて頼むような事ではないってのは分かってるんだけどさ。それでも、私にも事情があるから。」
「…いや、僕は…」
「頼むよ。相原!」
「あっ…いや…。」
事情があるというのはどうやら嘘ではないみたいだ。その必死な表情が演技であるならばとんだ名優がいたものだと拍手喝采を送る。
…だけど。
「…無理だよ。」
いくら、女の子の頼みでも、僕には荷が重い話だ。
「そこをなんとか!」
どうやら、引けない理由はそちらも同じのようだった。
「…じゃぁ、遊芽﨑さんが同じ立場だったらやるの?本当に死ぬかもしれないあんなゲーム。普通の人だったらやらないと思うけど…」
そもそもあれは、ゲームなんて言っていい代物ではない。ゲームを装った殺人道具だ。
「それは…」
「自分がやりたくない事を他人に強要するのは僕としても言うことがあるよ。」
そんな台詞をいつも僕を苛めるアイツ等にも言えたら。
…と、こんな時だが思ってしまった。
「ちがっ…そういうことじゃなくて…。」
「?」
どうやら、思う以上に複雑な理由があるのかもしれない。遊芽﨑さんは今までとは、うって変わってゴニョゴニョと何事かを口ごもっていた。
「よく分からないけど、僕はやらないから。明日、あのゲームは返しに行くから。それじゃぁね。」
これ以上は付き合ってられない。下手に時間を消費して、変な事を頼まれる恐れすらあるのだ。ここは適当に別れを済まし、素早く帰るに越したことはない。
…のだが。
「待ってよ!」
「うっ…」
素早く動いたのは彼女も同じだった。僕が扉に手掛けるよりも早く、扉前。僕の前に立ちはだかってきた。
いや、僕が動きを止めたのはそれだけが理由ではないのだ。
「うっぐ…私には無理なの。私はあのゲームに選ばれなかった…だがら…」
乙女の涙はなんとやら。それは女性になんの耐性を持たない僕にとっては効果は絶大。完全に彼女の話を聞かなくてはならない状況となった。
「ゲームに選ばれなかったって…。遊芽﨑さん…何を言っているの?」
「…言葉通り。相原はさ…幹部を倒すのに何回、数を要した?」
「え?えっと、一回?ギリギリだったけど、初見で…。」
「はは…だよね。」
「ん?」
会話の矛先が見えない。一体、彼女は何の為にこんな質問をしているのだろうか?
「…あのゲームが脅威と認めるのはそういう人間だけ。コンティニュー無しで始めに幹部を倒したプレイヤーのみ。その人物だけがゲームの世界の住人となる。…だから、私は選ばれなかった。」
「…。」
なるほど。そういう理由か。
彼女はその全部を話してはいないが、僕もその意味が分からないほどには鈍くわない。
「けど、だからって僕があのゲームをやる理由にはならないよね?お兄さんに頼まれてテスターとか探してるのかもしれないけどさ、命の掛かったゲームなんてやっぱ…」
「だから!違うの!」
「ッ!?」
僕の言葉は遊芽﨑さんの大声によってかっ消された。
「違うってだから何が…?」
戸惑いながらも真意を尋ねる。そうしなければならないと、こんな僕にも男のプライドがあったのか。そうしてしまう。
「…私の兄はあのゲームにいるの。」
「は?それは…」
「私の兄もあのゲームの中に閉じ込められたのよっ!!」
感情を剥き出しに遊芽﨑さんは吼えた。それが必死過ぎたのか。それとも単純に反応できなかっただけなのか。僕のその時の姿勢は、棒立ちだった。
「閉じ込められたって…でも、帰ってこれるんでしょ?」
遊芽﨑さんの威嚇めいた大声により、数秒間の硬直をしいたげられる。それをどうにか解いた後、オドオドと情けない声を耳に届かせる。
「……」
だが、遊芽﨑さんは沈黙。
声が小さかった為に聞こえていないという可能性も十分にあり得た。今度は先刻よりも声量を上げてみることにしよう。
「だから、お兄さんは帰ってこれるんだよね?」
今度こそは届いた筈である。だが。
「……」
彼女は下に俯いたまま。沈黙を繰り返す。
いつだったか彼女が言っていた。沈黙はそれを認めるも同義だと。
だが、この場合は違う。僕の問い掛けに反応しないのは、僕の言葉を認めたからではない。
「…お兄さんは帰って来れないの?」
ギリッ!
言葉を投げた瞬間。遊芽﨑さんはこちらにも聞こえる程に強く。歯を食い閉めた。
「…ごめん。」
「…いや。」
何に対しての謝罪なのか。何に対しての許しなのか。僕達は分かっている様で分かっていない。ただ、言いたい事は理解していた。それは彼女も。僕も。
「…いつからなの?」
最終下校を報せる為の校内放送が流れると同時。乾いた声を喉から鳴らす。
「…三ヶ月前。」
遊芽﨑さんからも同じ様な声が発せられた。
「なら…」
「違う!兄さんは生きてる!きっと…まだ…うぅ。」
「…」
何て声を掛ければいいのか?
分からなかった。
ただ、遊芽﨑さんも理解しているのだとは何となく分かった。じゃないと、あんな会話の途中で泣き出したりはしない。
「…生きてる。生きてるんだよ…」
「……。」
認めたくない事実を僅かな希望で埋め尽くす。そんな感情を僕はよく知っていた。
苛められてるという事実を認めたくなくてゲームに逃げる行為や。現実が辛くて妄想に逃げる行為に。それはよく似ているから。
「…お兄さんは今は?」
「…ひっぐ。…病院。病院でずっと寝てる。」
「そう…。」
「…がい。…お願いだから、助けてよ!私、何でもしてあげるから!相原が兄さんを助けてくれたら私はあなたに何でもしてあげるから!」
「!?」
涙を目に溜め、必死に懇願してくる彼女を哀れだと思った。
…いや、綺麗とさえ思ったのかもしれない。身内とはいえ、そこまでする覚悟は素直に尊敬するし、凄いと思う。
「…何でそこまで。」
だからこそ、そんな言葉が出た。僕には理解ができなかったから。自分を売ってまで人に何かを頼むという事が。理解できない。
「…言ったでしょ?兄さんは天才だったって。私の命よりも兄さんの命の方がよっぽど価値があるの。それだけ。」
こんな時。素っ気なく言い捨てる彼女にどこぞやの漫画主人公なら反吐が出るような綺麗事を声高らかと言い響かせるのであろう。そうでなくても、普通の人であるならば命は命だ。人も他人も関係ない。とか言うのであろう。
だが、しかし。僕は違った。
彼女の言葉に対して、僕は何も言えなかった。いや、それは違う。何も言わなかったのだ。
確かにそうだから。価値ある命とそうでない命。この社会。確かにそうした価値基準が存在する。
そして、僕なんかの命は言うまでもなく後者。価値のない命だ。
人には言わないけれど。僕としての考えは彼女と同調している。
「…遊芽﨑さんは分かっているの。僕が遊芽﨑さんのお兄さんを捜す行為は、遊芽﨑さんの僅かな希望を砕いてしまうかもしれないんだよ?」
三ヶ月も帰ってこないのだ。そうなれば可能性としてはかなり低い。遊芽﨑さんとしての考えは、その可能性に届かせる為の人材を見付けた。だから、こうして僕に頼んだのだろうがその行為は自らの首を締める行為でもあるのだ。
「…分かってる。けど、何も知らない方がもっと辛い。」
「なるほど…。」
…大体の、理由は分かった。僕にゲームを売った理由。僕にゲームをさせた理由。あのゲームがどういう物なのか。彼女が抱える悩みも。その覚悟も。頼みさえも。細かい所以外は分かった。
ただ。それでも。あの時の恐怖が消えたわけではない。ゲームの世界に独り残される孤独と恐怖。死ぬかもしれないと思った感情。
先刻、僕は言った。命の価値基準は存在すると。だが、それでも命は大切だ。どんな命も塵みたいな命も。価値があるだけで簡単に棄てていいわけではない。
死にたくない。そう、思った命を。塵みたいな命を僕はどうしても喪いたくはなかった。
そう、思うと自然。口は動き、声が出ていた。
「…ごめん。その頼みには乗れない。悪いけど、他を当たって。僕には荷が重いよ。明日、ゲームは返すから。」
「え?ちょっ…」
屋上に出る扉先で遊芽﨑さんの声が微かに聞こえた。それでも僕は足を止めない。
校内放送は何度目かの放送を繰り返す。
階段を下り、昇降口で靴を履き、正門を潜る。
何気なしに空を仰ぎ見ると空は薄暗くも晴れていた。
そんな空を見ながら思う。
帰って何をしよう?