ここは乙女ゲームの世界らしい。私の愛らしい想い人について。
__私の従者は綺麗で可愛い。そして有能だ。
出会いはまだ幼い時分、母を亡くした頃でした。 周囲全てを牽制するような鋭い雰囲気をしていた私を案じて、父が連れてきたのが、麗菜でした。
まだ10にならないだろう幼い外見に反し、中身は大人と同等、あるいは上回っているかもしれませんでした。 明確な知性と強固な理性の光を、その蒼氷の瞳に宿し、じっと此方を見る様は好ましく映りました。本当ですよ?
ですが、私は麗菜を従者にする気は微塵もありませんでした。 母を亡くしたばかりの私にとって、世界は敵でしかなかったのです。
特に……女は。
私は齢12にして既に立派な女性不審に陥っていました。女は怖いものです。 母が亡い当時、父の跡継ぎは私だけでした。……えぇ、時雨家に嫁入りすれば贅沢放題我儘放題でしょうね。腐る程金はありますし。
同年代の少女や年上のお姉さん、幼い少女にと毎日告白されていただけならまだましでしょう。
……ある女子の告白を断ったら、襲われかけました。性的に。 護衛が取り押さえ事なきを得ましたが、それから私は益々女子…それも顔が良い女子を嫌うようになりました。
そんな私が、幼いながらに将来は誰もが振り返る美人になるだろうと思わせる美貌を持っていた麗菜を好んで従者にするわけがないでしょう。
警戒心MAXでした。 万一既成事実が作られてしまうと、家に負担を掛けかねません。しかも立場は従者。家で接する機会も多く、襲いやすい立場でした。
……まぁ、従者になってから暫くしたら、麗菜が倒れたのですが。
原因はこれまでの栄養不足と急激な環境の変化によるストレス過多。発熱もしたようです。
…父は勿論、私も驚きを隠せませんでした。 私の目の前で倒れるまで、麗菜は今まで通りだったのですから。
麗菜は幼いながらに何もかもを自分で抱え込む人でした。不調を押し殺し平然と振る舞うのに長けていました。
…目覚めた麗菜は、周囲に目を走らせ、瞬時に状況を理解したようでした。起き上がりそうな気配を察した父がそれを止めると、きゅ、と目を瞑り、「申し訳御座いません」と掠れる声で言いました。
父は「此方の配慮不足だったよ。ごめんね」とただの使用人に向ける声より大分優しい声で言いました。 それから、私に目配せしたかと思うと、医師を連れて部屋から出ていきました。
私にどうしろと……と固まっていると、麗菜がまた謝ってきました。 それで……、私は漸く、さっきの謝罪も私に向けられたものだと気付いたのです。
麗菜にとって、最優先すべきは私でした。 雇用人で態度も良い父よりも、冷たい態度をとる私でした。
それに気付いた私は、愕然としました。 何故、麗菜がそこまで私を優先するのか…わからなくて。混乱する私が返事をしないままでいると、麗菜は私が怒っていると思ったのでしょう。もう一度、掠れた謝罪が響きました。
「……、構いません。私の配慮不足でした。 今は体を休めなさい」……そう言って退室してからも、私の頭の中にはずっと、疑問がぐるぐると渦巻いていました。
それから、麗菜の体に負担が少ないようにと治療はゆっくりと進められました。 私は、最初は2日に1回、段々と毎日病室と化した麗菜の部屋へ足を運び、特に何をするでもなく本を読みました。 その合間に、私は麗菜を観察しました。
結論から言うと、麗菜は私の周囲にいた女性の誰とも違っていました。
麗菜は、何か欲しいかと訊かれても、首を振ります。 私の話に真剣に耳を傾け、疑問や感想をしっかり言います。 服やアクセサリーより本を喜びます。
私はそんな麗菜に、段々と心を許していきました。
半年が過ぎた頃、麗菜は私の従者に復帰しました。私がいない間に礼儀作法などを学んだ麗菜は、どこに出しても恥ずかしくない従者になっていました。
麗菜はまるで犬のように私の後をついて回りました。 名を呼んだり微笑んだり気遣うと、麗菜は頬を赤く染めて笑いました。
それを「可愛い」と思ったのだと早々に気付いた私は、困惑してしまいました。 私は時雨家の嫡男でした。私の結婚相手は時雨家に相応しい人でなければいけません。__麗菜は、顔も才能も性格も合格でしたが、ただ1つ、どうにもならない家柄だけが駄目でした。時雨と並び立つには、低すぎました。
この時点で、私は“種”を捨て去るべきでした。 芽を出してしまえば、手遅れだったのですから。
中学1年生の夏、父が私を正式に跡取りとする旨を発表しました。それが__私の社交界デビューでした。
女性に囲まれ辟易として帰宅した私は、様子が可笑しい麗菜を問い詰めました。
下を向いて黙秘し続ける麗菜に痺れを切らし上を向かせた私は、固まりました。
__麗菜は世界に絶望したような瞳をしていました。迷子のような、酷く不安そうな顔をしていました。
私は、その時。
私が麗菜に抱く気持ちを、正しく理解しました。
私は悩んだ末、父に打ち明けました。父は目を柔らかに細め、私に告げました。
待っていてあげなさい、と。
私が正式に跡取りと公表された少し後から、私は学業の合間に父の仕事を習ったり、人の使い方を本格的に学んだり、子作りの仕方を習ったりしました。……最後のは可笑しいですが、まぁ、それから暫くして性的に襲われかけることが増えたので、その対処法だと思うことにしました。
……最後のを学ぶ途中で、私は麗菜に対する接し方を決めました。 妹に対するように接しよう、と。 性を知った私は、私から麗菜を守るためにそうすることを決めました。麗菜の気持ちを知りませんでしたし。
やがて高校に入学すると、麗菜は少しずつ忙しそうにすることが増えていきました。
なんとなく、麗菜が今まで研究の合間合間にやっていたことを本格的に始めるのだろうと思いました。
入学の前日、父の企てで麗菜も同じ気持ちだと知った私は、接し方を少しずつ変えていきました。恥ずかしそうにする麗菜は可愛らしくも危うい色香を漂わせて、背徳感を味あわされました。 接し方を少しずつ変える内に、年々美しさに磨きがかかる麗菜に群がりそうな男を裏から排除しまくる手間が減っていきました。時雨の嫡男の“お気に入り”に手を出すことを恐れたのでしょう。
……弊害もありました。…麗菜が18になるまで自分の理性が持つのか真剣に悩みました。 結論は、無理、です。
発育発達がはやいのか、ただでさえ女性らしい曲線を有する麗菜が可愛らしい顔をするのです。すぐにでも美味しく頂きたい程の破壊力を今でさえ有する麗菜は、年を重ねる毎に更に美しさを磨くでしょう。そうなれば理性が消えるのは一目瞭然でした。
高校2年生になって少しすると、麗菜は学園の有力者に次々接触する怪しい女がいるため、少しの間研究をストップし私の傍に居ることを告げてきました。麗菜との時間が増える! と喜んでいられたのは。
あの女が、現れるまででした。
顔は中の上、品性は下の下、スタイルは中の下。 家柄だけは合格ラインを越している女でした。
アレが現れてから、私は麗菜を酷く意識せずにはいられなくなりました。ぶっちゃけるなら、手を出したくて堪らなくなりました。 徹底的に合わない相手と話した麗菜は、二人きりになるといつもより甘えてくるようになりました。 その様子のなんと可愛らしいことか……! 健全な高校生男子としては、拷問に似た、けれど甘美過ぎる苦痛でした。
__夏季長期休暇が始まるより少し前から、私は麗菜を避けるようになりました。 理性が本格的に危なくなったので。
…傷付いたような目をした麗菜が、忘れられなくなっても。 歯止めが効かなくなって襲ってしまうよりはマシだと、そう信じて。
ただ。
離れて尚、目にちらつき脳裏をよぎり夢に出てくる麗菜に……自分の執着の深さに思わずぞっとしたのは、完全に予想外でした。
麗菜のいない夏季長期休暇が終わって少しして、私はある令嬢と手を組むことにしました。
友人である常磐 詩音の婚約者であり、麗菜の友人で、麗菜と共通の友人がいる、瀬良 理乃さん、です。
彼女は理想的な共犯者でした。
彼女は詩音にぞっこんなので、間違っても私に惚れることはありません。 その上、麗菜と共通の友人だという少女の知識……それはとても役立ちました。
私と彼女が仲良くし始めたのに激しく嫉妬した詩音が、私の目の前で彼女と既成事実を作ろうとしたり(彼女が「嫉妬してくれた…!」と喝采したことにより未然)といったアクシデントを挟みつつ、詩音も「打倒電波系転生ヒロインの会」(もう1人の転生者命名)に加わり、少しずつ人数を増やしていった、矢先のことでした。
__麗菜に、「どうしても話したいことがある」と手紙を貰ったのは。
そして__私は絶望しました。
「 お暇を、頂きたく 」
学園のカフェのテラス席。
席から立ち上がった麗菜はその場に膝をつけ、深く頭を下げました。
(ひ、ま……? 暇……?)
つまり__解雇しろ、と。
麗菜が私のもとからいなくなる。 そう理解した瞬間に、私は仄暗い…なんて可愛らしいものじゃなく、ドス黒い思考に頭が埋まりました。
(このまま別邸に連れ帰り、監禁してしまいましょうか。 子供を作れば、優しい麗菜のことです。逃げ出したりはしないでしょう。
むせぶ程に快楽を注ぎましょうか。 抵抗する気力さえ奪うように、快楽を与えその狭間に囁きましょう)
そんな暗い愉悦をなんとか抑えながら、私は麗菜と会話を続けていきました。
(麗菜の漆黒の髪に白い肌には甘い色も似合うでしょう。__蜂蜜色の首輪でも作らせましょうか)
ドス黒い狂気に__けれど私が染まることはありません。
考えたことを実行すれば、家に、時雨に、父に、多大なる迷惑を掛けてしまうでしょう。恩を仇で返すことと、今までの全てを無に帰すこととなるでしょう。
__それだけは、「時雨家次期当主」として避けなければなりませんでした。
それが、私の歩む道でした。
愛する少女を、心を、手放してでも。 私は、進むべきなのです。
__父の期待を知っています。母の言葉を覚えています。使用人達の気遣いに気付いています。 私はそれに、報いたいのです。
麗菜、私が歩むこの先は、長く険しいものでしょう。
だから……だから、それに巻き込まなくて良かったと、そう思うことにします。
「……………………わかり、ました。 暇を、……与え、ます」
ぱぁっ、と華やいだ顔を、忘れないようにと痛む胸に刻みました。いつしか心をまるごと明け渡していた少女のこの先に、どうか幸あれかしと祈りました。
(愛しています、麗菜)
結局、言えないままだった告白を、別れのかわりに胸の中で告げた時。
「私と結婚を前提に婚約してください、悠様」
「……………………………………………は?」
理解の範疇を、ちょっと越えていた。
__どうやら麗菜は私に逆プロポーズをしたかったようだ、とどうにか納得して、私はプロポーズをし返し、麗菜を抱き締めました。
そのまま…固まる麗菜の耳に、
「…こんな心臓に悪いこと、もうしないでくださいね、麗菜」
と、周囲に聞こえないように囁くと、腕の中で麗菜はふるりと身を震わせ。こくん、と小さく頷きました。
……可愛すぎる婚約者に、理性が試されすぎて死にそうです。