夜鯛/やたい
【夜鯛/やたい】
夜鯛が空き地に打ち上げられているという一報が入ってきたのは、朝晩の冷えを感じ始めた頃。菊薫る季節であった。
夜鯛とは、祭りの日に姿を現す珍しい魚である。
何のために姿を現すのか。ただの祭り好きか。それとも、何か知られざる金銭的補食行為でもしているのか。謎である。
色鮮やかな尾鰭や背鰭をゆらゆら揺らめかせ、騒々しく泳ぐ夜鯛は一晩で夢のように消えることもあれば、数日間留まることもある。
数は年々減少している。天敵である野生の詐欺が増えてきたせいかもしれない。夜鯛を養殖で育てようという試みがあるが、そういった夜鯛は総じて短命だ。
春は桜、夏は花火に紛れ、冬は除夜の鐘に乗って、かなりの数が現れる。四季を楽しむ夜鯛の姿は、子供の頃から誰でも目にする。騒がしい彼らの姿を見ることも、今は祭の一部だ。
その夜鯛が、うらぶれた空き地に打ちあげられていた。芒の膨らんだ白い花穂に紛れて静かに横たわり、巨大な木製の骨を晒している。普段の騒々しさの欠片もない、寂しい姿であった。
元が何の夜鯛であったのか分からないほど薄汚れている。今にも千切れそうな赤い鰭には、黒く擦れた「おでん」という模様が浮かび上がっていた。
珍しい夜鯛であった。
先述した通り、夜鯛は通常群れで現れる。
しかし「おでん属」「ラーメン属」「焼き芋属」といったごくごく一部の夜鯛に限っては、群れでは無く個で生活している。
他の夜鯛が期間限定で出没し、様々な祭りを渡り歩いているのに対し、これらの夜鯛は一カ所にとどまる。大抵は夜行性だ。
持ち帰って解剖したいが、何せこうも巨大である。押せば何とかなるという次元をはるかに超えている。
骨格標本にするしか無い。そう決めたものの、どのようにして骨にすればよいかと頭をひねった。
土に埋めて微生物に分解してもらうか。いや、骨になる前に私の生命活動が終わる。
ならば薬品で周囲を溶かすか。いや、夜鯛の骨組みは酸やアルカリに弱い。丸ごと溶けてしまう。
こうなったら、分解して手作業で肉を取り除くしかあるまい。長丁場になるだろうが、土に埋めるよりかは短い時間で済む。
大工道具一式を借り受け、もくもくと夜鯛を解体する。
空き地に響く金づちの、カーントーンというリズミカルな音が心地よい。
冷たい秋風が汗を拭う。金木犀の甘い香を楽しむ暇もなく、金づちを振るい続ける。頭に巻きつけた商店街のタオルを外しながら、大工として食いつなげる自信を得た。
腐って痛んでいる木骨は取り換え、欠損している部分は型を取り、木材をカンナで削る。
そうやって一か月も経った頃、立派な夜鯛骨が組み立てあがった。
我ながら見事な出来栄えの標本だと感心して見上げていると、骨が微かに動きだした。
それは生木の軋む音を暫くさせていたが、遂には頭を上げ、キャタキャタと泳いで行ってしまった。
夜鯛は元々生存本能が強い。骨だけでも動くほど頑丈にできている。
そんな話を聞いていたものの、実際目の当たりにすれば驚くしかない。不屈の闘志を妨げることなど出来ず、自然へ帰っていく後ろ姿を見送った。