偽貝/ぎかい
【偽貝/ぎかい】
見切り品のアサリを砂抜きしていると、その中に見慣れぬ姿を見つけた。
すべすべとした石のような手触り。卵の殻のように白く、親指の先ほど小さい。ザァーザァーとラジオの雑音によく似た扇状のそれを、我々は偽貝と呼んでいる。
偽貝というほどなのだから、見かけ通りに貝ではない。
ならば何なのだと問われると「解散物」としか返答のしようが無い。この偽貝、殻以外の生態や構成といったすべてが不透明な存在だ。噂によると、数年に一度総入れ替えをして、まったく別の偽貝になるのだとか。
中国の昔話に「偽貝を見つけた者は皇帝となる」というものがある。日本にも「偽貝を手中に納めたものが天下を取る」という類似の言い伝えがあり、似たような偽貝の言い伝えは世界中で散見されている。
つまり偽貝にはそういった「何か」を予見させる生態が隠されていると考えられている。
食事を前にした、とんだ大発見に私は盛大に浮かれた。
偽貝の生態は知らぬが、アサリと一緒にパック詰めされ販売されるくらいだ。
海水に漬けていれば一晩は保つであろう。研究室へは明日の朝持って行けばよい。
三パーセントの食塩水に漬けておけば、アサリは砂を吐き、ハマグリは蜃気楼を吐き、苛めっ子は毒を吐く。
ならば偽貝は何を吐くのだろうか。かつてその堅い口が開いた所を見たモノはいるのだろうか?
慎重に事を進めなければならない。様子を見守っていると遂に白い殻に亀裂が走った。横一文字に開いたその隙間から現れたのは、意外な物であった。
『それでは次の入札はB会社さんの値段にしましょう。明日の入札会議はよろしくお願い致します』
『広告に表示する国債利回りは実際より0.3パーセント高く設定致します』
『次のアメリカ大統領はC氏で決定だそうだ』
『当社は明日破産手続きを行う。公表は一週間後に』
『GG国の首相が訪問先で急死された』『暗殺ですか』
『不信任決議案、いつ頃に出すのがよろしいか』
私は走った。偽貝を抱え、原付に跨ると、時速七十キロで走った。
四十五分で辿り着いた夜の海はどこまでも暗く、地平と夜空の境目すら曖昧である。星々が輝き、打ち寄せるコールタールの波がひたひたと足元を濡らす。
「封印!」
渾身の一投。
偽貝は月光を反射しながら美しい放物線を描き、勝色の海の中へぽちゃりと落ちた。
四十五分もの間、明日の世界を揺るがしかねない情報をペラペラと喋っていたあの声はもう聞こえない。
ようやく理解した。
偽貝の存在はけして表に出してはならないものだ。
世界が滅ぶ。
偽貝自体の口は軽いが、口が固い者の所にしか来ないのだろう。
それが分かっただけでも、十分だった。今日はもう帰ってアサリの酒蒸し食べて寝よう。そして全てを忘れよう。
今日、私は人知れず世界を救った。