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思いの茸/おもいのたけ

【思いの茸/おもいのたけ】


 月見山菜そばの文字を見る度、秋の訪れを感じる。

 食券販売機に燦然と輝くその文字を見つけた瞬間、カツカレーを押す筈の指は遥かに離れた月見の文字を押していた。


 N大学の学食はレベルが高い。お世辞ではなく真剣にそう思う。

 空いている席に腰を落ち着け、合掌した。

 

 こりこりとした歯触りのゼンマイの煮つけ。すっきりとした清涼感のワサビの若葉。

 ほんのりと甘みを感じる細竹の輪切り。しゃきしゃきとした水菜を思わせる出汁の染みたセリの茎。

 それらを取りまとめるように擦りおろされた山芋が添えられ、長ネギの白く甘い実が横たわり、上には雲に隠れた満月を象徴する温泉卵が乗っている。

 そっと箸を入れると、中から半熟の黄身がトロトロと溢れだした。昆布のきいたつゆと山芋を軽く混ぜ、箸を一気にどんぶりの中へとつっこむ。

 そのままゆっくりと引き上げれば具材の絡まった蕎麦が黄金色に輝きながら姿を現した。

 啜る。無心で啜る。今年も美味い。


 そうやって蕎麦の味を堪能していると、向こうから浮かぬ顔をして歩く友人の姿を見かけた。其の手には盆にのったカツカレーの香しい湯気が纏わりついている。

 おぅいと声をかけると、相手も此方に気が付いたのか。弱弱しい笑みを浮かべて応えた。


「患者の病の原因がな、さっぱりと分からんのだよ」

 カツの衣をスプーンで崩しながら、我が友人であるところの五十一号が溜息を吐いた。

 濃厚なカレーに負けじとサクサク音を立てていた衣が、無残にも中の肉汁と共にカレーの海へと沈んでいく。懊悩は人を駄目にする。


 五十一号は医学部所属だ。謎博物に関係する成分研究を合同で行って以来、このように時たま顔を合わせる仲となった。

「問診はしなかったのか」

「問診どころではない。只管患者は泣いている。泣きづくめだ。涙が病によって流れる症状の一つなのかも判別できぬ。部屋で発見された時から泣き通しだそうだ」

 外部の者に、そのような個人情報を漏らさぬ方が良いと告げると、五十一号は快活に笑った。

「聞かれてしまったからには仕方ない。そういう訳で君にも助力を仰ぎたいのだ」

 その明らかな既定路線に対し、疑惑の眼差しを向ける。

「もしかして、私ははめられたのか?」

「なに、身近に食物で釣れそうな友人がいたので、手を貸してもらえないかと試しに言っただけさ。君、今日の午後はちょっと私に付き合いたまえよ」

 五十一号は私を巻き込むために、物憂げな表情でカツを惨殺し、この話を始めたとでもいうのか。

 何という策士。気付いた時には遅く、既に逃げられないところまで踏み込んでいた。

「構わない。が、代わりにそのカツを一切れ欲しい。無事な所を」

 月見山菜蕎麦とカツカレーのカツを同時に食べる至福と引き換えに、私は午後の時間を失った。


「これはまずい部屋だ」

「同感だ」

 患者は我々と同じくN大学の学生である。寮に足を踏み入れた瞬間から感じていた気配は、扉の前に立つことで確信へと変わった。

 着替えを取りに来るついでに病の原因を探りに来た我々は、未知の領域に足がすくんでいる。

 謎博物収集の為、数多の秘境へ赴いた私もこれには肝を抜かれた。

 開けた扉の先には脱ぎ散らかした服が落ちていた。タオルも落ちていた。弁当のからも落ちていたし、空いたビールの缶が中身を廊下に撒き散らしながら銀色の姿を横たえていた。さながら発表前の仮眠室を五倍の濃度にした惨状だ。

 カーテンも窓も閉め切られた部屋の中はじめじめと薄暗く、黴臭かった。タオルや下着、歯ブラシといった日用品を探しに風呂場を覗いた五十一号が無言のままに開けた扉を閉めている。


 私も私で、とんでもないものを発見していた。

 きのこである。部屋の中にキノコが生えている。

 群生地とまではいかないが、色々な箇所から茸が顔をのぞかせていた。

 傘の先端部はほんのりとした桃色に染まり、下にいくにつれ白くなっていく。大きいものから小さいものまで、その数、十。


 それら全てが思いの茸であった。食用ではないが、毒でもない。

 一応だが飲み込むことも出来る。もっとも口に入れた時点で吐いてしまった方が楽な味だ。

 少量であれば薬にもなるが、十である。一室に対して、これは明らかに抱え込み過ぎだ。

 散らかった部屋(マッシュルーム)の要素は持っていると思ってはいたが、まさかこれほどのキノコにお目にかかれるとは。予想外の収穫であるが、真似をしたいとは思わない。


 桃色に染まる思いの茸から離れた場所、窓際に一本だけ、見事な金色の茸が生えていた。

 ――身の(たけ)である。

 身の茸だけが、この散らかった空間の中で凛と聳え立ち、厳かな空気を纏っている。

 この部屋には明らかに異質であり、そぐわない存在であった。


「どう思う?」

 五十一号が尋ねた。

「恐らく、恋の病が悪化したのだろう」

 私が自分の知見を述べると、やはりそう思うかと五十一号は私の見立てに同意を示した。

「あれだけ重度なら、早急に失恋科に回した方がいいな。気の済むまで泣かせてやろう」

 そうと決まれば早速だ。五十一号は慎重に部屋の罠床を避けていく。その途中で振り返りこう言った。

「駄賃替わりに、その茸は君の好きにしていい」


 いらぬと言った私の叫びは届かなかった。

 しかし悲しいかな。謎博物に携わるものとして、いつだって無意識のうちにシャーレとピンセットを取り出してしまうのだ。これまた予想外の収穫である。月見山菜キノコ蕎麦も、悪くない。 


 その後、失恋球菌音株を持って走る菌音第二研究室の面々とすれ違った。行先は恐らく医学部棟なのだろうが彼らの耳の速さには、いつだって驚かされる。




【身の茸/みのたけ】

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