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長蝶/ちょうちょう

【長蝶/ちょうちょう】


「音楽と数学はまったくの別物だと人は言う。

 一見すると繋がりは見えないだろう。しかし美しい音楽の背後には、必ず美しい数字が隠れているものだ。どちらも調和だよ。重要なのはね。この場で持論を長々と述べても良いが、自らの力で驚くべき共通項を発見するほうが面白いだろうな」


 林檎の香りがする茶を含みながらそう熱弁していた八号准教授に唆された訳ではない。ないのだが、長蝶の採集に来ている。別に好奇心を刺激された訳でもない。本当に、たまたま、偶然の一致である。


 高速鉄道で一時間の距離にある五線府の森には様々な謎博物が生息しているのだが、やはり音にまつわるものが多い。

 細く折れそうな縦線の樹木が等間隔に生え、常黒樹の音符の木はオタマジャクシのように葉を連ねて茂らせている。一年中、この森の景色が変わる事はない。

 芸術的、というよりは表グラフや升目といった幾何学的な印象を抱く森である。


 眩しいばかりの白線をたどって歩いて行くと、甘く悲し気な旋律が見えた。

 

 一匹の短蝶がそこに居た。

 譜面を古文書のように緩やかに開閉させ、灰色の石の上で瞑想している。

 口から長く伸びたグリッサンド記号が時折動き、石の上にたまった雨水を啜っていた。


 陽に焼けた譜面の褐色は退廃的であり、しかし艶やかな黒銀で所狭しと書かれた譜面は、見事な飾り文字も映えて優美である。一頻り、夕暮れの物悲しさを寂し気な音色で奏でていた短蝶は、骨休めを終え飛び立っていった。

 

 短蝶のいたすぐ傍には、大きなシャープ記号で出来た鳥居が立っていた。

 ちょろちょろとした湧き水が集められた簡単な水琴窟があり、柄杓は無いが代わりにフラット記号が添えられている。


 誰が作ったかは知らないが見事なものだ。ついでに、少し休憩させてもらうことにした。

 森を包む土や空の雪白色に目が疲れてしまった。次に来るときは、色付き眼鏡かゴーグルをもってこようと決意する。

 私は虫取り網を地面に置いた。先程まで短蝶が宿っていた石に腰かけるのは戸惑われたが、他に座れそうな場所も無い。心の中で頭を下げながら、浅く腰掛ける。


 疲れた目を閉じると、どこか近くから荘厳な旋律が聞こえて来た。

 先ほどの短蝶の音楽が夕焼けの郷愁を彷彿とさせるなら、今、聞こえている音楽は爽快で楽しいクリスマスの前夜を音楽にしたものであった。


 幾重にも重なった音階が互いに共鳴し、心地よい振動を生み出している。

 こんなにも沢山の音が同時に動いているというのに、不協和音一つ無い。

 計算し尽くされた数字の規則的な美しさを芸術と呼ぶのならば、この完全に一致した溶け合う音色の美しさもまた芸術といえるに違いない。


 目を開けると、一斉に白い羽ばたきが足元から飛び立っていった。


 雪白色の、長蝶の群れだった。

 地面からにじみ出る様に、次から次へと現れた何百、何千という小さな羽が、旋律を歌いながら螺旋状に上昇していく。

 あれはこれから北国へと飛び、聖夜の中、星明りの下で静かに楽し気に歌うのだろう。


 そんな長蝶を捕獲するほど、野暮では無い。私は虫取り網を手に取ると元来た道を歩き始めた。


 森を抜ける前、フォーと猛々しいほら貝の音と共に、白衣の一団が全速力で駆けて行った。

 手に持った集音マイクが葉擦れの音を立てている。

 各自が小節を飛び越えていく中、一人が複縦線につまずきリピート記号まで飛ばされて行った。彼は再び、此処まで走ってくるのだろうか。


 謎博物には謎が多い。

 しかし、同じくらい菌音研究室にも謎が多い。

 かの研究室こそ我が宿命のライバルなのかもしれない。

 

 

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