どろぼうを追え
翌日、楠警部と桐生は、とあるボウリング場に来ていた。なぜ、ボウリング場にいるかというと、警部のボウリング好きからではなく、西澤新の弟の、西澤レンがそこにいるという情報が警部の耳に入ったからだった。ボウリング場で実際にレンに会ってみると、インド人の店員が言っていたように、兄とそっくりで、身長も兄と同じくらいだった。声は、兄のような金属的で不快な声ではなく、低いがしっかりとした声をしている。それに、身長が低いというハンデがあるにもかかわらず、警部よりも高いスコアを出していた。
「なかなかお上手ですね、レンさん。プロになったらいかがです?」
右手にボールを持ったレンは、立ち位置を微妙に調整した。意識を集中して、ボールを投げる。決して美しいフォームではないが、投げられたボールは理想的な角度でピンに命中し、見事にストライクになった。
「警部、今日はお世辞を言いに来たんではないでしょう。用件があるなら、遠慮しないで話してください」
警部の投げたボールは一番手前のピンに、ほぼまっすぐ進んでいった。結果は奥にある左端と右端のピンが残った。
「あー、なんてこった」
警部の2投目は右端のピンを狙いすぎて、ガターになった。
「たいした用でもないんです。HMT社の事件は聞いてるでしょう。お兄さんの勤めている会社で、杉浦という男が殺されたんですが、いちおう、お兄さんのアリバイを訊いておこうと思いましてね。訊いてみたんですが、お兄さんはインド料理屋にいたっていうんですが、お兄さんとレンさんは双子なんですってね。ちなみに、おとといの9時前後はどちらに?」
レンの投げたボールは1番ピンと2番ピンに当たり、結果は左奥のピンが1つ残った。
「その時間は家にいました。会社が休みだったものですから。でも私は1人暮らしなんで、誰もこのことを証言してくれませんけど」
「そうですか。会社はいつも決まった曜日に休んでるんですか?」
レンは2投目で残っていたピンをたおし、スペアを取った。
「そうです。警部、ちょっと休憩しませんか」
そう言って、レンは自販機に向かって歩いていった。缶ジュースを3つ買って戻ってきた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとうございます。相棒、おまえの分も買ってもらったぞ」
ボウリング場に入ってから、桐生は1投も投げずに、持ってきた本を読んでいた。
「ごちそうさまです」
「おまえ、よくこんなとこに来てまで、本を読んでられるよな。少し投げてみたらどうだ?」
「やめておきます。肩が外れそうな気がするんです」
桐生の言葉に苦笑いしながら、レンは椅子に腰かけた。
「警部さんは、おととい、インド料理屋にいたのは、ひょっとすると、兄さんではなく、私かもしれないと考えているようですが、私ではありません。私はインド料理は好きじゃないんです。それに私と兄さんは、声が全然違うから、店員は間違えないと思いますよ」
警部は無煙たばこに火をつけた。
「確かにそうですね」
「訊きたいことはそれだけですか?」
「ああ、あとお兄さんに最近変わったことなんかなかったですか?なんでもいいんですが」
「うーん、特にこれといったことはないですね。兄さんは研究一筋で、遊びに行ったりしませんからね。平凡な毎日を送ってると思いますよ」
警部が桐生に質問させようと思っていると、警部の携帯に着信が入った。警部たちの所属するK警察からだった。
「もしもし」
電話の相手は女警察官で、声の調子からすると、なにかあせっているようだ。
「楠警部、大変なことが起きました。昨日、警部が署に持ってきた被害者の遺留品なんですが、つい5分ほど前に、何者かに盗まれてしまいました」
警部は、杉浦の左手が持っていた謎の黒い物体をK警察署に持っていって、小さいが頑丈な金庫に保管したのだ。科捜研による分析結果は、既存のいかなるものとも類似点がないというものだったので、警部はとりあえず、署に保管することにしたのである。
「盗まれたって、どうやってあの金庫を開けたっていうんだ?」
「金庫ごと盗まれたんです」
「なんだって?」
それから2,3分電話で話してから、警部はレンに向き直った。
「そういうわけで私たちは、金庫泥棒を追いかけることになりました。レンさん、また機会があったらやりましょう。今度は負けませんよ」
警部と桐生は足早に、ボウリング場を後にした。
ホバーカーに乗りこむと、警部はさっそくナビ画面を出した。ナビ画面には、逃走車両を追跡していると思われるホバーカー型パトカーが3台、赤い点で示されている。逃走車両はT県を南西方面に向かっている。
「このホバーカー、けっこう飛ばしてやがるな」
警部は赤色灯ランプをつけて、緊急車両用の通行帯に入っていった。
「相棒、ちょっと荒っぽい運転になるから、ちゃんとつかまっておけよ」
「荒っぽいのは、いつものことじゃないですか。ところで、愛内さんのことなんですが、彼女のアリバイはどうだったんですか?」
「あーそうだった。おまえにまだ言ってなかったな。彼女のアリバイは確認されたよ。彼女が言ってた通り、あの時間はロボットとドライブをしてたのが、高速道路のカメラに写ってた」
「ふーん、そうですか」
ナビ画面の赤い点の1つが、スピードを上げていった。他の2つの点はそのままのスピードを保っている。
「1台が前に回り込もうとしてるな」
しばらく画面を見ていると、先行していた赤い点は、スピードを緩めだした。他の2つの点は、その様子をうかがっているようだ。空中で待機している。それから、3つの点は西の方向に進路を変えた。そのタイミングで、待機していた2つの点がそれぞれ離れていき、3つの点は逃走車両を取り囲んだ。
「もうちょっとで、追い詰めるんじゃないか」
警部が運転するホバーカーは、すでにかなり近くまで接近していた。
「でも、いったい誰なんでしょうね、あれを盗んでいったのは」
「オレたちが会ったやつの中にいるような気がするな。あれ、なにがあったんだ?」
ナビ画面の3つの点の1つがその場で動かなくなった。その後、その赤い点が画面上から消えた。他の2つの点もその場にとどまっている。場所はT県でも有数の霊園地帯だった。
「あと5分くらいで着くな」
2つの赤い点はそれから全く動きを見せなかった。小高い丘の斜面に作られた霊園に警部のホバーカーがさしかかると、1台のパトカーが霊園の一角に墜落しているのが見えた。傍らにパラシュートがあるのが見えたので、中にいた警官は脱出したらしい。上空には、2台のパトカーと逃走車両と思われるホバーカーが静止状態を保っていた。お互いに相手の出方をうかがっているようだ。楠警部のホバーカーが現れたのに気づくと、逃走車両は急発進して、北の方向に走り出そうとした。その途端に、警察車両の1台から、まばゆい光が発せられた。光が逃走車両に命中すると、ホバーカーは大きな爆発音とともに、車体の一部が損傷し、スピードが遅くなり、ついにはゆっくりと下降し始めた。警部たちがそれを見守っていると、ホバーカーからパラシュートが出てきて、霊園の中に落ちていった。
「霊園に落下したな。相棒、銃は持ってるな。行くぞ」
警部は霊園用の駐車場にホバーカーを着陸させた。先に来ていた2台のパトカーも近くに停めようとしている。
パラシュートが落下したところは、駐車場から300メートルくらいある。警部と桐生はそれぞれ銃を手にして、急ぎ足で進んで行く。すると、警部がすぐに立ち止まった。
「ああ、そうだった。オレはねんざしてたんだ。相棒、頼んだぞ」警部はその場に座り込んだ。
「1人で行くんですか、しようがないですね」
桐生は整然と並んでいる墓の中を、駆け足で進んでいった。パラシュートから、50メートルくらいの距離まで来ると、パラシュートの近くに倒れている人の後ろ姿が見えた。15メートルくらい接近したところで、桐生は思い切ってその後ろ姿に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
桐生の声が聞こえると、倒れていた人物はパッと起き上がって、桐生から遠ざかるように逃げ出そうとした。
「あっ、待ってください。待ってくれないとレーザー銃を撃つことになりますよ」
その人物は黒っぽいコートで、全身を覆っているので、桐生が近づいても、誰なのか分からない。
桐生がそう言うと、少しためらったが、また逃走を始めた。桐生は威嚇射撃として、空に向かって空砲を撃った。それでも、金庫泥棒は足をゆるめなかった。
「次は本当に撃ちますよ」
桐生と金庫泥棒の距離は縮まるどころか、遠ざかっている。
「ほんとーに撃ちますからね」
金庫泥棒の足は速く、どんどん遠ざかっていく。
「どうなっても知りませんよ」
桐生がそう言った後、金庫泥棒は何かに足を取られたのか、地面に倒れ込んだ。そのまま動かなくなった。桐生は駆け足でその場に向かう。金庫泥棒はうつ伏せで倒れている。桐生がゆっくりと、顔を覆っているフードをめくった。
「追いつかれちゃった」
倒れていたのは、杉浦の助手でアンドロイドのココアだった。
警部が他の刑事といっしょにやってきた。警部は倒れているココアと桐生を見た。
「相棒、すごいじゃないか」
「ええ、まあ」頭を掻きながら桐生は言った。