思ってもみないところから、被害者の腕が見つかる
楠警部と桐生、星出鑑識官は死体が見つかった『死の部屋』を出ると、エレベーターに乗って、1階にある守衛室に向かった。そこで警部は『死の部屋』のドアを開けるためのカードを貸し出してはいないか尋ねた。カードは、ここ1週間以上貸し出してはいないということだった。また、カードは1つあるだけで、いつも守衛の目の触れるところにあるから、部外者が持ち出すことはできないということだった。それだけ確認すると、3人はホバーカーが停めてある屋上に向かって歩いていった。エレベーターに乗ろうとすると、警部の腕時計型端末に着信があった。警部の部下からだった。
「どうした?小津崎」
「なんだって?それで?」
3人はどんよりとした空が広がる、蒸し暑い屋上にやってきた。
「よし分かった。今そっちに向かう」警部は通話を切った。警部は神妙な顔つきで、桐生と星出に向き直った。
「被害者の切断された左腕が見つかった」
「ど、どこでですか?」桐生の顔色は曇り空の下で、いっそう青白く見える。
「ここから西南西に15キロほど行ったところだ。県道7号線沿いだそうだ」
星出鑑識官はホバーカーのエンジンをかけながら、
「これでまた私のランチがおあずけね」と警部に微笑んだ。
「こいつの捜査が終わったら、おごるよ」警部も鑑識官に微笑み返した。
2台のホバーカーが着いた場所は、辺り一帯に梨園が広がる、のどかな雰囲気のところだった。県道沿いに2台の車、一台は警察車両、もう一台は白い乗用車が停まっている。楠警部がホバーカーから降りると、警察車両から背の高い、がっしりとした体格の男が降りてきて、警部に近づいていった。
「警部、お待ちしてました。あそこに停まってる車がそうです」と言って、前方の路肩に停まっている車を指さす。警部は移動中に、桐生に電話の内容を教えていた。その内容によると、2人の目の前に停まっている車が、この県道を南に向けて走行中に、いきなり上空から、なにかが落ちてきたというのだった。車の運転手はとっさのことだったので、よけられなかった。落ちてきたものは、フロントガラスに当たった。運転手は車を降りて、落ちてきたものを確かめた。初めはそれが何か分からなかったが、よく見てみると、人間の左腕だということが分かり、110番通報したそうだ。
警部が白い乗用車の前方に回り込んでみると、確かにフロントガラスに、ひびが入っている。ひびはそんなに広範囲ではないが、何かが当たったのは間違いなさそうだった。運転席には、顔の浅黒い男が乗っていた。警部に気がつくと、車から降りてきた。
「とんだ災難だったですな」警部が話しかけた。
「本当にビックリしましたよ」男は外国風のイントネーションで答えた。
「失礼ですが、お国はどちらで?」
「フィリピンです。もう日本に来て2年になります」
「なかなか日本語が上手ですな。ところで、落ちて来たものはどこにあるんです?」
「あそこです」フィリピン人は道路脇のコンクリートの路肩を指さした。そこには、人間の左腕と思われるものが、無造作に置かれていた。星出鑑識官は、一連の道具を持って近づいていく。
警部が腕時計を見ると、時計の針は14時になろうとしていた。
「あれが落ちてきたのは、何時ごろだったんですか?」
「うーん、そうですねえ」男は腕を組みながら、考えているようだ。
「だいたいでいいですよ」
「9時ごろだったかなあ」
警部は一瞬、自分の耳を疑った。
「9時ですか?間違いないでしょうな」
「そうです、9時3、4分でした」
警部はもう一度、腕時計に目をやった。
「今、14時ですよ。それまでずっとここにいたんですか?」
「それがその…」
男の態度に、警部は何か不審なものを感じ取った。
「ちょっと免許証をいいですか」
「ええ」
免許証によると、男の名は島袋ロイ。生年月日からすると、27才。確かにフィリピン生まれらしい。
「島袋さん、もう一度訊きます。9時にあの腕がフロントガラスにぶつかってから、今までどうしてたんですか?」
島袋は大きく深呼吸をしてから答えた。
「友人の家に行ってました。実はこの車は友人のものなんです。フロントガラスになにか当たったので、友人にそのことを話しに行きました」
「友人のですか。それで友人はなんて言ったんです?」
「何がぶつかったのか、確認しに行って来いって言われました。それで戻ってきたんです」
島袋の話は、いちおうは筋が通っているが、警部はなにか、引っかかるものを感じていた。
「ちなみに、その友人の家はどこにあるんです?」
「O市K町です」
警部は頭の中に地図を思い浮かべた。ここからK町までは、どんなに道が混んでいても30分はかからない。
「おーい、星出君、その腕を調べ終わったら、この車の中を調べてくれないか」
「し、調べるって、な、何にもないですよ」
「まあ、形式的なもんですよ」
警部が島袋と話している間、左腕から顔をそむけていた桐生が口を開いた。
「ちょっといいですか。腕が空から落ちてきたのは9時3,4分ごろって言ってましたよね」
「そうです」
「警部、そうすると変じゃないですか」
「なにが変なんだ」
「だって、あの腕が被害者のものだとすると、被害者があそこの研究室で殺されたのは、9時前後でしたよね。あまりにも、時間が近すぎませんか?」
「そういえばそうだな。あそこの研究室から、ここまで、ホバーカーの最高速度100キロで飛ばしてきても10分はかかるもんな」
「島袋さん、腕が落ちてきたのは本当に9時3,4分なんですね?」
「間違いないです。私の時計はぴったりです」
「じゃあ、死亡推定時間が間違ってるのか」警部は、しゃがんでいる星出に視線を向けた。星出が立ち上がって、警部たちの方に歩いてきた。
「あの腕は被害者のものに間違いないわ。それから腕は、この人の言ったように、上空から落ちてきたのも確かよ。だいたい20メートルくらいの高さね。フロントガラスの割れ方も、この腕の落下の衝撃と考えていいわ。それと、これ」と言って、星出は黒いスティック状の物体を2人に見せた。大きさは12、3センチくらいある。
「なんだ、これは?」警部はその黒い物体を手に取った。
「分からないわ。あの左腕が持ってたの」
警部が目を近づけて見ると、横の方にディスプレイがあり、時間が表示されているようだ。その時間は警部の腕時計と1秒の誤差もない。またそのディスプレイには、ベルのマークが表示されていて、おそらくはアラームかなにかの表示だろうと思われた。ディスプレイの右側には、いくつかのボタンがあり、その2つにはプラスとマイナスの記号が表示されている。裏側には、電源をオン、オフするスイッチがあるだけだった。
「あの被害者が持ってたのか」警部はそれを桐生に手渡した。
桐生はディスプレイの横にあるボタンを押してみた。ベルのマークが点滅して、ディスプレイには10分という表示がされていた。さらにボタンを押してみると、1メートル、2メートル、5メートルと言う表示が出てきた。設定では2メートルになっているようだ。
「何なんでしょうね、これは」とつぶやきながら、桐生は裏返して、電源のスイッチを見た。スイッチはオンの状態になっている。桐生はそのスイッチをオフにしてみた。ディスプレイの表示が消えたのを確認すると、スイッチを再びオンにした。ディスプレイには、さっきと同じ表示が出てきたが、オンにしたと同時に、アラームと思われるベルマークの10分がカウントダウンを始めた。
「この被害者は10分という時間を測っていたんでしょうかね」
「10分を測るんなら、自分の時計があるだろう」警部は無煙たばこに火をつけて、星出鑑識官が車内を調べ終えるのを待っている。車の運転手は不安そうな表情で、星出の様子を見ている。星出が車内から出てきた。
「お待たせ」
「どうだった?何か見つかったか」
「後部座席から、微量の麻薬成分が検出されたわ」
星出がそう警部に話すと、島袋は後ずさりして、逃げ出そうとした。
「おい、待て。小津崎、あいつを捕まえろ」
結局、島袋は梨園に入っていったところを、小津崎に追いつかれて、身柄を拘束された。
「違うんだ。それは友人の車だから…」
警部が息を切らしながら、小津崎のもとにやってきた。
「小津崎、こいつを署に連れて行って、たっぷり話を訊きだすんだ」
「了解しました」
「じゃあ、オレたちは遅めのランチでも食うとするか」