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一秒の殺意  作者: 滝元和彦
2/11

現場の捜査

 室内は密閉されていたためだろう、血の匂いで充満していた。室内は、ほぼ真っ暗闇で、部屋の奥行もはっきりしない。死体の保存のためだろうか、空調が効いていて、ひんやりと涼しい。

「ちょっと待ってください」

 星出は壁のスイッチに手を伸ばす。とたんに部屋が明かりで包まれた。それと同時に、1人の人間が、右端の壁近くの床に倒れているのが見えた。その人間は男性のようで、全裸だった。警部が部屋に入りながら、その死体に視線を釘づけにしていると、さらにその死体は左の肩から左腕全部と右臀部みぎでんぶから右足の全てが欠損しているのが見てとれた。

「こりゃあ、ひでえな。相棒、見てみろ」警部は死体に接近しながら観察する。

 死体はその2か所の外傷以外には、傷はなさそうだった。

「なにしてんだ?相棒」

 桐生は入口のドアの前に立ったまま、目を手で覆うようにして、死体を遠目に見ている。

 そんな桐生を見て、星出が桐生の肩に手をのせながらなだめる。

「大丈夫よ。もう出血はしてないわ。桐生君、血を見るのが怖いなんて、言ってられないわよ。刑事なんだから」

 実際、死体付近には血痕はなく、欠損している左腕にわずかに血の痕が残っているだけだった。それでも、桐生は足を床にるようにして、ゆっくりと近づいていく。死体の目の前に来ると、桐生は左右にふらふらと揺れだして、倒れそうになった。

「大丈夫かよ」警部は腕を組みながら、やれやれといった様子で見ている。

 桐生はリュックから小さな紙袋を取り出して、中に入っているものを口に運んだ。それから大きく深呼吸した。心配そうな目で見ている星出に向かって、

「気つけ薬です」と言って、照れたように頭をいた。

 2人の刑事が死体を一通り観察した後、星出が鑑識で得た結果を話した。要約すると、死体が発見されたのは、9時50分ごろで、発見者はここで働いている西澤新にしざわあらたという男。死亡推定時間は、おおよそ8時55分から9時5分の間。死因は、左腕と右足を切断されたことによる出血多量での失血死。これを聞いて、楠警部は、

「っていうと、なにか?犯人は生きたままこの男の体をバラバラにしたってのか」身震いしながら言った。

「そういうことになるわね」と星出は淡々と答えた。

 凶器はとても鋭いものを使ったようだが、特定できなかったらしい。星出は、

「こんな傷は見たことがないわ。こんなこと言うと、死んだ人に失礼かもしれないけど、傷口がとてもきれいなの。スパッと切断されたみたい」と2人も傷口をよく観察するように促した。星出の言う通り、切断面は、のこぎりなんかで切った時に、ギザギザになる感じでは全くなかった。

 死体の男は、発見された時にはすでに全裸だったようだ。男の身元は現在、調査中だと話すと、桐生が壁の方向を向いている死体の顔を覗きこんだ。

「あれ?この顔、どこかで見たことがあるような気がするなあ。どこだったか?あっ、そうだ!この男性、ケーブルテレビの科学情報番組の名物コメンテーターですよ」と言ったが、警部と星出はポカンとしている。

「何の番組だって?」警部も覗きこむ。

「2人は見たことないですか?毎週火曜日の午後9時から放送してる番組で、最新の科学から、身近な科学の疑問なんかを解説してるんです。けっこう面白いですよ」

「オレは9時には寝るからな」

「私はその時間はフランスの恋愛映画を観てるし」

 桐生は死体の顔をまじまじと眺めた。目は閉じられているが、桐生は生前の顔を想像してみた。

「やっぱりそうですよ。名前はなんて言ったかなあ?す、杉浦だったような。どこかの理工系大学の教授だったと思いますよ」

「そうか。じゃあ、署のひまな奴に調べさせてみるか」楠警部は腕時計型情報端末を操作して、署にいる部下にメッセージを送った。

 それから、部屋中のあらゆる場所の指紋検査をした結果、指紋が検出された人物は、この研究室で働いている第一発見者の西澤という男と、同じく研究員の愛内かすみ、それと被害者の3人だけだった。つまり犯人は一切、指紋を残していなかったのだ。

 警部は一通りの鑑識の結果を聞くと、あらためて部屋を眺めた。無惨な死体に気をとられていたために、部屋に小さな窓があることに気づかなかった。それは縦横1メートルもないくらいの窓で、近づいて見ると、ガラスが割れているのが分かった。

「どうりで風が吹いてるわけだ。窓ガラスが割れてるじゃねえか」

「私が来た時には、もう割れてたわ」星出が腕を組みながら警部のそばに歩いてきた。

「犯人はこの窓をぶち破って入ってきたってことか」警部は開いている窓から外を眺める。窓の外から見ると中庭のようになっていて、周りは他の研究棟で囲まれていた。

 顔が青ざめたままの桐生も窓に近づいていく。桐生は一歩下がって、窓の真下の床を観察してから、

「ガラスの破片が1つも落ちてないですけど、星出さん、破片は撤去したんですか?」と訊いた。

「それが変なのよ」星出は視線を桐生に向けた。

「ガラスの破片は部屋に1つも落ちてなかったのよ。それで、もしかしたらと思って、1階に降りてみたら、1階の喫煙ブースのコンクリート床にガラスの破片が飛び散っていたの」

「そうすると、犯人はガラスを破って部屋から出て行ったっていうのか?」警部は身を乗り出すようにして、窓から地面を見た。

「ここから飛び降りたら、無事ではいられないでしょうね」星出は冷静な口調だ。

 桐生は窓の外は見ずに、窓の周囲を観察している。窓の左横には、研究資料などが閉じられているファイルを保管する棚が壁に沿って置いてある。それらのファイルはきちんと並べられているが、窓の近くにあるものの何冊かが、棚からはみ出していたり、ファイルが開かれていたりしていた。

「星出さん、これも来た時には、こんな状態だったんですか?」桐生はビニールの手袋をして、ファイルを一冊手に取った。中は、一般の人間には理解できないような記号や数式で埋め尽くされていた。

「そうよ、そのままよ」

 桐生はファイルを元の場所に戻して、視線を窓の右側に向けた。そこにはプレゼンテーション用で使うようなスクリーンが壁から吊り下げられているが、それも一部が裂けていた。

「犯人が逃げていく時に破れたのかな?」桐生が後ずさるように歩いていると、かかとに何かが当たったような感触があった。桐生は一瞬、よろめいた。

「おい、相棒、気をつけろよ」

 桐生の足元にあったのは、縦横30センチくらいのプラスチックでできた黒い物体だった。桐生はそれを床から拾った。

「これは何だろう?」

 星出は桐生に近づいてきて、黒い物体の側面に小さく書いてある文字を指さした。

「なにかのバッテリーみたいよ。そこにN601用バッテリーって書いてない?」

 見ると、確かにそう書いてある。

「これも、ここに置いてあったんですか?」

「そうよ、そこに転がってたわ」

 桐生がその黒い物体を床に戻そうとすると、部屋のドアが開く音がした。正確には、音はほんのシュッという程度のものだった。開いたドアに現れたのは、身長120センチくらいの子供だった。その子供が入ってくると、窓のかたわらで無煙たばこを吸っていた楠警部が、

「おい、そこの坊や、お母さんとはぐれちゃったのかな。ここは入ってきちゃだめだぞ」とたしなめると、その子供は、

「誰が子供だって?お前たちは何者だ?」と聞いたこともない金属的な声で怒鳴った。星出はドアの近くに歩いていきながら、

「ごめんなさい、西澤さん。こちら、事件を担当することになったK警察署の楠警部に桐生刑事です。警部、こちらが死体の第一発見者の西澤さん、ここの研究員の方です」と子供のような背丈の人間の顔色をうかがいながら、3人を引き合わせた。西澤という男は、相手が警察関係者だと知っても、おくする様子もなく、

「そうか、だったらさっさと、この死体をどうにかしてくれ。ここは死体安置所じゃないんだからな」かん高い金属声で言った。

 西澤という男はよく見ると、確かに子供というには、顔が大人びていた。あごにはひげまで生やしている。

「そうでしたか、申し訳ありませんでした。西澤さんでしたな、死体の第一発見者ですか。ちょっと話を訊かせてもらえますか」警部は丁寧な口調で頼んだ。

「15分だけだ。それ以降は3人とも出て行ってもらう」

 再びドアが開き、作業着姿の男たちが2人入ってきた。男たちは星出の部下で、担架で死体を運び出していった。警部は無煙たばこを灰皿で消した。

「西澤さん、死体を発見した時の状況を話してくれませんか?」

「状況っていっても、今あんたらが見てるのと同じだ」

「つまり、死体はあの場所にあって、左腕と右足は切断されていたわけですな。西澤さんが来たときには、切断された左腕と右足はもうなかった?」

「そうだ」

「窓はどうでした?ガラスは割れてましたか?」

「そうだな、割れてたと思う」低い金属的な声で答えた。

「刃物みたいな凶器はなかったですか?」

「犯人が被害者を切り刻んだって言う意味の凶器だったらなかったな。もっともここにはレーザーハサミはあるけど、そこのねえちゃんが調べたみたいだけど、レーザーハサミは使われた形跡はなかったようだが」

 星出は小さくうなずいた。

「うーん、オレたちが入ってきた時と同じか。あの窓の近くが荒らされてるのも同じなんでしょうな」

 小さな男は無言でうなずく。

「何か、なくなってるものは?」

 警部がそう尋ねると、西澤は荒らされているファイル保管棚の方に歩いていった。そこから1つのファイルを取り出した。そのファイルをテーブル越しに警部たちの方に放り投げた。

「まあ、あんたらが見ても、理解できないとは思うがな」

 ファイルの表紙には、『人工知能バージョン4.0の研究』とあり、表紙の下端に『愛内かすみ』と名前が書かれていた。楠警部がファイルを開くと、さっきのファイルと同様に、難解な数式が羅列されている。警部は桐生に見せた。

「おまえは分かるか?」

 桐生はしばらくパラパラとファイルをめくってから、

「初めの方しか分かりませんが、これはロボットか何かに搭載する人工知能のプログラムですか?」

 桐生がそう発言すると、西澤の目つきが変わった。

「兄ちゃん、ちょっとは『科学』が分かるみたいだな。そうだ、この論文はここで働いている愛内研究員の論文なんだ。この論文が正しければ、現在、国内で稼働しているロボットは飛躍的な頭脳を手にすることになる」

「それで、このファイルがどうしたっていうんですか?」

「真ん中から後半部分が盗まれているのだ」西澤はテーブルを拳で叩きながら、怒りを示した。

「盗まれた?それは確かなんですか」

「確かだ」

 桐生はファイルに綴じられている用紙のページ番号を見ていった。確かに23ページから47ページまでなくなっている。

「犯人が盗んでいったってことですかな」警部は無煙たばこに火をつけた。

「そうだろうな」

「そうすると、犯人はこの難しい論文を理解できる人間ってことか?」警部は独り言のような口調でつぶやいた。それから、警部は椅子から立ち上がり、ドアの方に向かった。ドアの前に立つと、西澤の方に向き直って、

「ちなみにこのドアはどういうセキュリティになってるんです?」と質問した。

 西澤は椅子からポンと飛び降りて、警部の近くにやってきた。

「全身認証という高度なセキュリティで守られている」

「何ですか、全身認証って?」

「言葉の通り、顔から指紋から体のサイズなど、あらゆる身体的なデータを照合して、許可された者かどうか判断するものだ」

「つまり、許可された人間以外は、このドアから部屋には入れないってことですな」

「そうだ」

「許可された人間は誰ですか?」警部はたばこの灰を落とすため、テーブルに向かった。

「私と愛内君だけだ」

「じゃあ、おふたり以外は絶対に部屋に入れないんですな」

 西澤はちょこちょことした歩き方でテーブルに戻ってきた。

「守衛室に入室カードがある。それを使えば誰でも入れるが、入るにはきちんとした理由が必要だ。むやみに貸し出したりはしない」

「なるほど、全身認証ですか」警部はドアを上から下へと舐めるように観察していった。高度なセキュリティのわりには、ドアの横に小さなカメラが1つあるだけだった。そのカメラの存在を確かめた後、警部は再び窓の方に向かった。

「そんなにすごいセキュリティなら、施設内からここに来るのは無理なのか」

 警部が窓から見える中庭を眺めていると、警部の視界に、あるものが映った。それは小型無人機のようだった。その物体は部屋の近くまで接近して、警部の数メートル手前で一時止まってから、また右側の方向に向けて飛んで行った。

「西澤さん、あれは何ですか?」

「あれは移動型の防犯カメラだ。この施設の周辺を移動しながら映像を記録している」

 警部が質問する前に、星出鑑識官が口を開いた。

「あの移動型の防犯カメラの映像は、さっきみせてもらったんです。楠警部が興味を引くようなものは映ってませんでした。ただ、1台、不審な動きをするホバーカーは映ってましたけど」

「そのホバーカーはこの部屋の近くまできたりしたのか?」

「いいえ、なんか施設全体を見渡してるようでした。3分くらいしたら、西の方向に飛んでいきましたわ」

「そうか」

 警部はテーブルに戻ってきた。正面から西澤を見据えた。

「これは形式的な質問なんで、悪く思わんでください。西澤さんは、9時前後はどこにいました?」

「アリバイ確認か」と言って、ある場所の名前を出した。警部はその名前をメモした。

「相棒、おまえから何か質問はないか?」

 桐生はまだ、愛内という研究員が書いた論文を見ていた。

「え?し、質問ですか?ええと、人工知能の進歩ってすごいですね。西澤さんは、さっき、この論文が正しければロボットはすごい知能を得るって、おっしゃいましたけど、具体的にはどういう知能を得るんですか?」

 西澤は不気味な笑みを浮かべた。

「創造的な知能だ」

「つまり、人間みたいに新しいものを生み出したり、考えたりできるってことですか」

「そういうことだ」

「おい、相棒、事件に関することを訊けよ」

「あ、そうでした。ええと、そこの床にある黒い物体なんですが、あれは何かのバッテリーなんでしょうか?」桐生は床からその物体を拾ってテーブルに置いた。

 西澤は黒い物体に視線を向けた。

「これはN601型アンドロイドのバッテリーだろ」

「N601型?」

「あんたらがよく街で目にする、人型ロボットだ」

「ああ、あのアンドロイドですか。人間そっくりで、一見すると、人間なのか、アンドロイドなのか、見分けがつかないってやつですよね。それのバッテリーがどうしてここに落ちてたんでしょう?ここの研究所には、N601型がいるんですか?」

「3体ほどいるが、そのバッテリーはここのアンドロイドのものじゃない」

「確かめたんですか?」

「あんたらが来る前に確かめた。それは間違いない」

「じゃあ、どうしてここにあったんでしょうか」桐生は左手の人差し指を鼻のてっぺんに当てた。何か考え事をする時の仕草だ。

「おれが分かるわけがないだろ。もうとっくに時間は過ぎてるぞ。そろそろ出てってくれ」腕時計を警部たちに見せた。

「じゃあ、あと1つだけ。被害者に見覚えはありませんか?」

「見覚えがあるもなにも、あれは杉浦研すぎうらけんだろ」

 その名前が西澤の口から出た時、桐生の目が大きく見開かれた。

「やっぱりそうですよね。大学の教授で、ケーブルテレビでコメンテーターをしている人ですよね。彼とは知り合いだったんですか?」

「おれは学会でちょっと話す程度だったが、愛内君の方はけっこう親しくしてたみたいだった。もうこれでいいだろ」西澤は小さな体で左右に揺れるように、ドアに向かって歩いていった。

「じゃあ、お邪魔しました」警部はいつになく丁寧な口調で言った。


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