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一秒の殺意  作者: 滝元和彦
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インドア派刑事の推理


 楠警部のホバーカーには、警部と桐生、それから金庫を盗んだココアが乗っている。ココアは後部座席にうつむいて座っている。ホバーカーは自動運転にして、K警察署方面に向かっている。3人はホバーカーに乗ってからずっと無言だったが、桐生が口を開いた。

「やっぱり、自動運転の方が安心して乗れますね」

「それはどういう意味だよ。これでもオレは優良ドライバーだぞ」

「自動運転は無茶な追い越しとかしないですもん。そうだ、ココアさん、なにか飲みますか?お茶か強炭酸オレンジジュースならありますけど」

「じゃあ、お茶もらえます?」

 桐生は自販機で買ったお茶をココアに渡した。ココアはのどが渇いていたのか、いっきに飲み干した。アンドロイドでも、のどが渇くらしい。

「ココアさん、よかったらこれ食べてみませんか」警部は筒状の入れ物を手にして、後部座席に手を伸ばした。ココアは警部からそれを受け取って、ふたを開けた。

「これはなんですか?」

「ココアさんも知らないですか。それはイナゴって言うんですよ」

「昆虫ですよ」桐生が言うと、

「わたしは結構です」とふたを閉めて警部に返した。

「そうですか、うまいんですけどね」警部は中から1つ取り出して、宙に投げて口でキャッチした。

「ココアさん、どうしても教えてくれないんですか?なんであれを警察署から盗んだのか」

「そ、それはお答えできません」ココアは、きっぱりとした口調でそう言った。

 警部は眉間にしわを寄せた。

「そうなると、やっかいなことになりますね。署に帰っていろいろと話を訊かなくちゃならなくなるし、事件の手がかりはつかめないし、それでもって、オレは今月末にインドにオリンピックを観にいくのを、あきらめなくちゃならなくなるし」

 警部が何気なく言った言葉に、桐生は反応した。

「オリンピック、オリンピック…」

「どうした?オレといっしょにインドに行きたくなったか?」

 一台のパトカーが赤色灯を回しながら、追い越し車線を猛スピードで飛んでいった。

「オリンピックというと…」と言ったきり、桐生は5分間、警部の問いかけにも答えずに、何事か考えていた。やがて、

「楠さん、事件の真相が分かったかもしれません」と落ち着いた口調で言った。

 桐生の発言に、後部座席でうとうとしていたココアは、体をピクッと震わせた。

「桐生さん、本当ですか?」

「たぶん、正しいと思います」

「オリンピックと杉浦の事件と、どういう関係があるっていうんだ?」

 桐生はフロントガラスに小さくナビ画面を表示させた。画面にはK警察署に到着するまでの予測時間が出ている。予定ではあと約30分で着くようだ。

「30分あれば話せるか」

 桐生は強炭酸オレンジジュースをいっきに飲み干した。

「楠さん、ぼくは一昨日、この事件が発生してからずっと、あることが頭から離れませんでした。まあ、順を追って話していきましょう。まず、杉浦はあの研究所内で自殺したんじゃないってことは確認しておきましょうか。彼の体は左腕と右足が切断状態で、それによる出血多量が原因で死んだのですから、これは自分でできることではありません」

「そんなことは知ってるぞ」

「確認しておくのは重要なことなんです。また、星出さんの鑑識から考えて、杉浦の体からの出血からすると、どこか他の場所で切断したのではなく、あの研究所内で、切断されたと考えた方が合理的です。そうすると、犯人と杉浦は、あの小さな窓と厳重なセキュリティという、言ってみれば『密室』みたいな部屋にどうやって入り、どうやって出て行ったんでしょうか?」

「あの小さな窓のそばまでホバーカーを近づけて入ったんじゃないか?」警部はクーラーのボタンを押した。それからたばこに火をつけた。

「それも含めて考えてみましょう。あの部屋に入るには、楠さんが言うように、小さな窓と厳重なセキュリティで守られているドアの2つしかありません。ドアは全身認証というセキュリティで、ここを通れるのは、研究員の西澤さんと愛内さんの2人だけです。入室カードを使って入ることもできますけど、あの時間には、カードの貸し出しはされていないのは分かってます。ですから、犯人がドアを通って入ってきたとすると、犯人は西澤さんか愛内さんのどちらかということになります。でも2人とも、事件があった時間にはアリバイがありました」

「愛内っていう女はその時間は高速道路にいるところをカメラで確認されてるが、西澤がインド料理屋にいたってのは、あれは弟の方かもしれないじゃないか?」

 桐生は端末を操作して、フロントガラスに西澤がインド料理屋で食事をしている映像を流した。

「ここに映ってる男性はHMT社の研究員の西澤新で間違いないです」

「なんでそう言い切れるんだ?」

「映像に映ってる男性の利き手ですよ。この男性は左手でナイフを持っているので左利きです。兄の新さんは、ぼくたちが研究室に行った時に、左手でパスタを食べていました。一方、弟のレンさんは、右手でボウリングの球を投げてたので右利きです。よって、映像の男性は新さんです」

「ちょっと待って」後部座席のココアがいつもより大きな声をだした。

「インド料理屋にいるこの男性は、実はレンって人で、この人は本当は右利きだけど、左手で食事をしてたんじゃないでしょうか。つまり、お兄さんのアリバイをつくってやったとか」

 桐生はココアの方を向いた。

「それはないんです」と言って、映像を早送りした。

「これを見てください。これは、インド人の店員がトレイで料理を運んでくる時に、つまずいて中にあった小皿が床に落下しそうになった時の映像です。この時、ここに映ってる男性は、とっさに左手を出しました。ふつう、無意識的に手が出る場合、利き手の方を出すと思うんです。だから、やっぱりこの男性は新さんなんです」

「そう言われれば、そうですね」ココアは納得したようだ。

「映像の男性が新さんということになれば、研究員の2人ともアリバイが成立します。そうすると、西澤さんと愛内さんは犯人ではなく、また犯人はドアを通って入ってきたのでないこともはっきりしました。繰り返しますけど、全身認証のドアを通れるのはあの2人だけですから」

「じゃあやっぱり、オレが言った通り、窓から入ってきたわけだ」

「犯人が窓から入ってきたとしましょうか。西澤さんの話だと、窓は鍵を閉めていたそうです。犯人が窓から入ってきた場合、犯人は窓を壊すしかないですね。でも妙なんですよ。楠さんも覚えてるでしょうけど、窓ガラスの破片は全部、あの建物の一階の床でみつかってるんです。室内には全然、破片はなかったんです。もし、犯人が外側からガラスを割ったのなら、室内にも少しくらい破片が残っていてもよさそうなものでしょう。これから考えると、犯人は窓からは入ってこなかったと思えるんです」

 後部座席からまたココアの声がした。

「その西澤って人が、うそをついていて、本当は窓は開いてたってことはないですか?」

「開いてたら、そのまま入ってくればいいじゃないですか。なにも、わざわざガラスを割る必要はないと思いますよ」

「そうなると、どうなるんだ、相棒」

「そうなるとですね、どうなるか…」

「もっていぶってないで早く教えろよ」

「驚かないでくださいよ、ココアさんも」

「わたしは大丈夫です」と言いながら、どこか緊張しているようだ。

「じゃあ話しますね。部屋に入るには、全身認証のドアを通るか、窓から入ってくるしか方法はないっていうのは、今説明しました。ところが、犯人と杉浦は、ドアからも窓からも入ってくることはできなかった。だから、このように結論するしかないんです。犯人と杉浦は、あの部屋に突然現れた。つまり、テレポートしたんです」

 警部とココアは、桐生の言葉を聞いても、すぐには反応しなかった。

「テレポートっていうと、要するに」警部はその言葉に該当する日本語を思い出そうとしていた。

「瞬間移動ってやつですよ。SFにはよく出てくるんですよ。ゾンビ映画には出てこないでしょうけど」

「ゾンビ映画も最近はSFっぽくなってきたぞ。オレがこの前観た映画は…」

「それは後で聞きますよ。それでですね、ココアさんが金庫ごと盗んでいった杉浦の遺留品ですけど、あれがテレポートするための装置だったんじゃないかって考えたんです。違いますか、ココアさん?」

「えっ?」

「ココアさんは、あれがテレポートする装置だったって知ってたんじゃないですか?」

 ココアは数秒間、黙っていたが、

「実は知ってました」と聞き取れないくらい小さな声で答えた。

「杉浦の助手という立場にいたので、当然知ってると思ってました。そろそろ教えてもらえませんか、あの装置を盗んだ理由を?」

 ココアは後部座席に深く座りこんだ。それから、小さくため息をついて、話し出した。

「桐生さん、楠警部、テレポーテーションがこの世界に与える影響を考えてみてください。たぶん、想像もできないくらいのインパクトを与えると思うんです。世界はめちゃくちゃになってしまうでしょう。人間は、科学を常に良い方向に使うとは限りません。必ず、犯罪行為に使う人が出てきます。わたしは、テレポーテーションは人間には、まだ早すぎるテクノロジーだと思ったんです。それで、あの装置が公になる前に、封印してしまおうと考えたんです」

 桐生はココアの話をうなずきながら聞いていた。

「確かにココアさんの言う通りかもしれませんね。楠さんがあれを手にしたら、何に使うかわかったもんじゃないですから」

「オレを犯罪者と同格に扱うなよ。オレがもし、あの装置を自由に使っていいって言われたら、ボウリング場に瞬間移動するだけに使うよ」

 桐生とココアは苦笑いした。ココアは盗んだ理由を話したせいか、明るい表情が戻っていた。

「話を事件のことに戻しましょうか。あれがテレポート装置だとすると、事件のいろいろな現象がうまく説明できるんです。一昨日、十文字という私立探偵が、杉浦の研究室の前で見張っていたにもかかわらず、杉浦は部屋に入ったきり、消えてしまったというのも、杉浦が自分の研究室でテレポートしたと考えればいいわけです。それから、ココアさんのバッテリーが、杉浦の死体といっしょに見つかったという現象なんですが、ちょっとあの装置を思い出してみてください」

「思い出せって言ったって、黒くて細長くて、なんかディスプレイに時間とかが表示されてたな」

「時間だけじゃなくって、2メートルっていう表示があったと思うんです。それはテレポートする範囲だと思うんです。あの装置から周囲2メートルにある物体がテレポートするっていう意味じゃないでしょうか。杉浦が部屋であれを使った時、2メートルの範囲内に、ココアさんのバッテリーがあったんでしょう。それで、杉浦といっしょにテレポートしたんです」

「でも、なんで杉浦と犯人はHMTの研究室なんかにテレポートしたんだ?」

 ナビ画面には、あと15分でK警察署に到着すると出ている。

「それは、愛内研究員の論文を盗むためですよ。そうじゃないですか、ココアさん?」

「たぶん、そうだと思います」

「杉浦は彼女の人工知能に関する論文に興味があった。何度か、彼女に接触して、人工知能について、詳しく話を訊き出そうとしていたが、彼女は話そうとしなかった。それで、杉浦は最近ようやく完成したテレポート装置を使うことにした」

「杉浦は犯人といっしょにテレポートしたのか?」

「テレポートしたのは、杉浦だけです」

「ん?じゃあ、犯人はどこから入ってきたんだ?」

「犯人はどこからも入ってきていません」

「どこからも入ってきてないって、どういうことだ?」

「言葉の通りですよ。この事件には、そもそも犯人なんて、いなかったんです」

 警部とココアは、キョトンとした目で、桐生を見た。

「桐生さん、さっき確か、これは自殺ではないって言いましたよね?」ココアが訊いた。

「そうです。これは自殺じゃありません。これは事故だったんです」

「事故?」警部はビックリして、手からたばこを落とした。

「はい、事故です。杉浦は論文を持って帰ろうとして、テレポートを失敗し、死んだんです。ちょっと説明します。杉浦はHMTの研究室に来る時は、テレポートを成功させたんですが、帰ろうとした時に、うまくいかず、体がバラバラになってしまい、左腕は空中から落下して、右足と愛内さんの論文と西澤のマグカップが刑務所で復元されたんです」

「なんで失敗したんだ?」

「テレポーテーションのリミットの600秒を過ぎてしまったからです。楠さん、思い出してください。杉浦が愛内研究員に相談していたことを。杉浦は、自分の研究している内容について、愛内研究員に助言を求めてましたよね。それは、情報を瞬時に送信させる方法を見つけたが、それが600秒しか安定しないというものでした。ぼくは詳しい理論的なことは分かりませんけど、杉浦がその方法を情報だけじゃなく、物理的な物体にも応用したんじゃないかって考えたんです。そうすると、そのテレポートした物体も600秒しか安定しないんじゃないか。杉浦はその600秒を過ぎてしまったために、体が不安定になって、バラバラになったんじゃないか」

 警部は眉間にしわを寄せながら、桐生の話を聞いていた。

「その600秒を過ぎちまったっていうのは、杉浦があの装置に付いてたボタンを押し忘れたってことか?それとも壊れたとか?」

「押し忘れたのでも、壊れたのでもないです。あの装置には10分という表示がありましたね。言い換えると600秒です。ぼくがあれに付いているスイッチみたいなボタンを押すと、600秒からカウントダウンが始まりました。それは、たぶん一種の保険のようなものだったんだと思うんです。テレポートしてから600秒経つと、自動で起動することになってたんでしょうね。でもぼくたちが手にした時には壊れていて、起動しませんでした。壊れたのは、杉浦の左腕が空中から落下して、島袋っていう男の車にぶつかった時です」

 ココアが身を乗りだして質問した。

「壊れてなかったのに、600秒を過ぎてしまったのは、どうしてなんですか?」

「それはですね」

 目の前にK警察署が見えてきた。ホバーカーは警察署の屋上にある駐車場にゆっくりと近づいていき、所定の駐車場所で着陸した。

「それはですね、601秒が経過してしまったからです」

「601秒?どういうことですか?」

「1秒よけいに経過したんです。これを思いついたのは、実はついさっき、楠さんがオリンピックって言った時なんです。ちょっと質問しますけど、オリンピックがある年って、同時に、またある年でもあるんですが、なんだと思います?」

「相棒、急になぞなぞか。オリンピックの年はオリンピックの年だろ」

「桐生さん、もしかして、うるう年ですか?」

「ココアさん、その通りです。オリンピックがある年は、うるう年でもあるんです。楠さん、うるう年は知ってますよね。4年に一度、2月が29日まである年です。実は、うるう年は、この杉浦の件とは関係ないんですが、ぼくがうるう年という言葉を聞いて、連想したことがあるんです。それは、うるう秒というものです」

「うるう秒って、何年かに一度、1秒を追加したり、減らしたりすることですね」ココアは頭の中で、即座に『うるう秒』を検索した。

「そうです。うるう秒は簡単に言えば、地球の自転周期とカレンダーの誤差を縮めるために、挿入されるんです。通常は6月30日か12月31日、日本時間で言えば、7月1日か1月1日の午前9時に挿入されるんです。これをふまえて、杉浦の件を見てみましょう。杉浦の体がバラバラになって、各地に飛び散ったのは、証言や鑑識から8時55分から9時5分くらいということでした。つまり、うるう秒が挿入される9時をはさんでるんです。そのために、あのテレポート装置の電波時計は、本来はないはずの8時59分60秒をカウントしたんです。その結果、601秒経過してしまって、体がバラバラになってしまったんだと思います」

 警部とココアは、しばらく桐生の話を頭の中で整理していた。

「難しいことは分からんが、要は制限時間をオーバーしてしまったってことだな。そうか、杉浦は誰かに殺されたんじゃなかったのか。あ、そうだ。今、思い出したぞ。杉浦が全裸だったっていうのは、あれはどういうことなんだ?」

「全裸?」ココアは杉浦が全裸で見つかったことは初耳だった。

「実は、それだけが分からなかったんです」

「あれじゃないか、杉浦は裸族だったとか」

「先生は裸で生活するような人じゃないです」ココアが真面目に答えた。

「じゃあ、やっぱり、テレポートの時に、服だけどっかに飛んでいったんだろ」

「先生はこう思ったんじゃないでしょうか。なるべく身軽な方がテレポートしやすいって」

「そうかもしれませんね」

 桐生の話が終わったと同時に、警部のホバーカーに2人の刑事が近づいてきた。それを見たココアは身震いした。

「わたし、逮捕されて刑務所に入れられるんでしょうか?」ココアは声を押し殺して警部に訊いた。

「ココアさん、あなたは何も法を犯してないのに、どうして刑務所に入れられたりします?」

「え?」

 桐生もココアの方を振り向いてニッコリ微笑んだ。

「そういうことです」


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