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一秒の殺意  作者: 滝元和彦
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ホバーカーに乗って現場へ

小説内に出てくる人物、団体、名称等はすべて架空のものです。


 西暦2036年。日本。この年の初頭、日本の犯罪捜査の歴史の中で、ある画期的な出来事があった。それは、犯罪をほぼ完璧かんぺきに予測するシステムを搭載したコンピューターの導入である。犯罪予測システム自体は、2020年代には、すでに確立されていたが、今回導入したシステムは、その精度において、それまでのものとは比べ物にならないくらい優れていた。精度というのは、システムがある犯罪を予測した時に、どのくらいの確率で的中するかという数値で、従来のシステムがおよそ30パーセントから40パーセントの精度だったのに対して、新システムは99.95パーセントという、とんでもなく高い数値を出す。

 この高い精度のおかげで、新システムを導入して以来、日本の犯罪発生は前年比で、6割にまで減った。なぜ、ゼロ近くまで減らないのかという疑問があるかもしれない。その理由は、システムを全ての犯罪に適用しているわけではないからである。日本の犯罪発生数は、2000年代から始まった人口減少とそれに伴う若年人口の減少によって、一貫して減り続けているが、それでも毎年、軽犯罪から重大犯罪をひっくるめて、数十万件発生している。それら全てを1台のコンピューターで予測するのは時間的にできない。そこでシステムの適用を殺人事件や強盗などの重大犯罪に限定したのである。

 その結果、2036年の5月末時点で、殺人事件の発生がたったの1件という、素晴らしい成果につながった。この犯罪予測システム(クライム、クリアー、システム。通称CCS)は、マスコミなどでも、大々的に取り上げられたため、国民の注目を浴びることになった。そんなに優れているなら、あと何台か導入して、日本から全ての犯罪を一掃してしまおうという世論が形成されるのは、たやすく想像できた。


 そんななか、1つの事件が起きた。T県K市警察署の駐車場から、1台のホバーカーが勢いよく飛び出していった。ホバーカーは上空30メートルまで上昇すると、他のホバーカーの列にすんなりと合流した。そのままI県との県境付近に向けて走行する。

「いやあ、まだ7月1日だっていうのに暑いったらねえな」ホバーカーを運転する楠亮平くすのきりょうへい警部はクーラーをマックスの位置に合わせながら言った。顔は汗だくになっている。実際にT県付近の気温は、午前10時40分の段階で37度近くに達している。

 助手席に座る警部の部下である桐生整きりゅうせいはシートベルトにしがみつき、ホバーカーの急上昇による加速に耐えている。桐生は刑事にしては、顔が青白く、やせ過ぎな体形をしていて、どうにも頼りない感じだ。

「温暖化で、どの都市部も冷却スーツを着てないと、街を歩けないですからね。また昨年みたいに、8月は40度超えになるんですかね」

 事実、地球規模での温暖化は、2020年代に入ってから顕著になった。2030年代は、2000年と比較して、日本の平均気温が3度も上がってしまった。3度上がった結果、雪は北海道でしか見ることができなくなり、また春夏秋冬のうち、春と秋が極端に短くなった結果、日本は四季ではなく二季の国になってしまった。

「そうなったら、オレはまた昨年みたいに、アロハシャツで仕事するぞ」

「服装は自由ですけど、あの柄だけはやめた方がいいですよ。派手すぎですよ」

 ホバーカーが走行している上空30メートルには、ホログラムによって、地上と同じような信号や標識、走行ラインが浮かび上がっている。I県に向かう県道7号は、この時間にしては、道がすいていた。ホバーカーは赤色灯を回しながら、追い越し車線を走行している。

「それにしても、後ろにある荷物って、楠さんの私物じゃないですか?」

 後部座席には、大型のバッグが2つ置いてあって、人が座れる状態ではない。

「オレのボウリング道具だ。最近また流行ってきたからな。ここんところは仕事終わりに毎日ボウリング場に行ってるんだ。相棒、お前もやってみたらどうだ?家で、昔のミステリー小説ばっかり読んでないで」

「遠慮しておきます。あんな重い球を放り投げたくありませんよ。一度、学生時代の仲間とボウリングをしたことがあるんですが、肩が外れるかと思いましたよ」桐生は苦笑いをしながら答えた。

「相棒、言っとくけどな、若いうちから体を鍛えとかなきゃ、年取ってから苦労するぞ」

 I県との県境付近にさしかかると、道路が渋滞気味になってきた。楠警部の運転するホバーカーは左端にある緊急車両用の走行帯に入っていった。緊急車両用といっても、ホログラムだから、実際には地上の道路のようにその脇に壁があるわけではない。渋滞の列に並んでいる他のホバーカーの運転手たちは、羨ましそうに眺めている。

「そういえば、楠さん、今月末に大型連休を取ってるみたいですけど、どこか旅行にでも行くんですか?」

 楠警部はギヤの横にある小物入れから、円筒形のものを取り出した。

「ちょっとこれを開けてくれ」と言って、桐生に渡す。

「何ですか、これは?」得体の知れないものを触るように、桐生は恐る恐るふたを開ける。中には、昆虫のようなものがいくつも入っていた。

「は、は、は、相棒は知らねえか。それはイナゴだよ。食って見ろ」

 桐生は何かの映像で、昆虫を食べる人間を見たことを思い出した。

「これ、本当に食べられるんですか?」

「うまいぞ」

 楠警部は中から1つ手でつまみだして、ポップコーンのように宙に投げて口に入れた。

 桐生は目を近づけて、中に入っているものを見てから、

「僕はいいです」と顔をそむけながら警部に手渡した。

「連休の話だったな。オレが休みを取ったのは、インドに行くためだよ」警部は2つ目のイナゴを口に放り込んだ。

「どうしたんですか、インドで修行でもするんですか?」

「夏季オリンピックだよ。今年はインドで開催されるだろ。そのオリンピックに、オレの甥っ子が出るんだよ」

「オリンピックですか、そうでしたね。甥っ子さんは、何に出場するんです?」

 楠警部は3つ目のイナゴを口に放り込むと瓶を小物入れに戻した。

「ハンマー投げだ。甥っ子は日本記録も持ってるんだ。オレに似て力だけは半端じゃないんだ。ちっちゃい頃から可愛がってたから、応援しに行ってやろうと思ってな。でも心配なのは、インドは日本よりも温暖化の影響を受けてるって話だからな。熱中症にならないようにしないと」

「いっそのこと、パンツ一丁で応援したらどうです?」桐生は冗談半分で言ったが、警部は真面目に受け取った。

「そうだな」

 ホバーカーは田園風景が広がる地帯を眼下に、I県の市街地に近づいていく。それにともなって高層ビルが増えてきた。それらはホバーカーの走行する上空30メートル付近にまで伸びているものもある。I県は近年、積極的に企業や大学を誘致して再開発が進んでいる都市の1つである。目指す場所は、I県手前にある企業で、ここ数年、世界中から注目を集めている人工知能の研究と開発をしている企業だ。ここから、今朝の10時ごろ110番通報があったのだ。企業の名は、ヒューマン、マインド、テクノロジー。略してHMT。ホバーカーはHMTの敷地内に近づくと、高度をゆっくりと下げて着陸態勢に入った。いくつかある施設のうち、7階建の建物の屋上に着陸した。そこは屋上全体がホバーカーの駐車場になっている。ホバーカーが駐車場の中央付近に停まると、1人の女性が近づいてきて、警部ににっこりとほほ笑んだ。女性は20代半ばくらいで、若いが化粧っ気がほとんどなく、どことなく疲れているように見えた。青い作業着姿をしている。

「星出君、もう来てたのか?」楠警部は車から降りて、その女性と握手しながら言った。

「ちょうど、この辺りで別の変死体が発見されて、調べてたんです。事件性はありませんでした。その鑑識を済ませたころに、ここで他殺体らしい死体が見つかったって、連絡が入って」女性は助手席から降りてくる桐生に気がついた。

「あら、桐生君じゃない。久しぶりね。元気?」

「あ、はい。元気です」と言って、照れたように笑った。

「鑑識はこれからなんだろ?」警部はシャツのポケットから無煙たばこを取り出して火をつけた。無煙たばこは、文字通りに煙を出さないたばこで、ここ数年で一気に人気が出た。

「もう済ませました。現場はこちらです」鑑識官は屋上の隅にあるエレベーター乗り場を指さした。エレベーターに乗ると、星出は6階のボタンを押す。

「とりあえず、現場は事件があったまま保存してありますけど…」

「ありますけど、どうした?」

 星出は深呼吸してから、

「とっても、妙な事件なんです。見て頂ければ分かると思いますが」と、どこか納得がいかないような口調で話す。

 6階に着くと、星出は廊下を左に進む。辺りはやけにしーんと静まり返っている。3人の足音だけが不気味に響く。星出は『先端研究所』というプレートが掲げられているドアの前で止まった。ドアにはガラス窓があって、中を覗けるが、警部がちらと見た限り、特に異常は見当たらない。

「ここです」

 星出は白衣のポケットからカードを出して、ドアの横にあるカードリーダーに通した。


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