視線が……
1
俺は、最近妙な視線に悩まされていた。それは、休み時間になると視線が現れ俺の背中をぐさりと射ぬき、休み時間が終わる少し前には、完全に気配と共に消えていく。そんな視線。誰のものかわからない視線というものは気持ち悪く、居心地が悪い。柄にもなく友人に相談してみたところ、勘違いとバカにされ、相手にさえしてもらえない。『そんなのお前の勘違いだって』なんて笑われる始末。柄にもないことなんかするから悪いのだ。だけれども、気持ち悪いのは変わらないし、誰かにわかってもらいたい。
俺の悩みを他言せず、わかってもらえそうな人に。
「高梨さん。相談があるんだけど……」
初夏の風が降り注ぐ昼休み。俺は、同じクラスに在籍する、一人の女子生徒へ相談を持ちかけた。透き通るような白い肌、腰までの黒いのロングヘア。どこか異国の人を連想させる青い瞳。彼女の側だけ空気が鮮麗されたかのように澄み渡り、教室の音という音が聞こえなくなる。そんな気がする。
始めて話す内容が相談なんて話は聞いたことがない。相談とは、親密になった友達。或いはカウンセラーにするもので、打ち明けるのは、ある種、開放といえる。
その相談に彼女は応じてくれるのだろうか。もし、相手にされなかったら。なんて嫌な想像するだけで、心臓が鼓動を早くする。
「あの……。高梨さん相談が……」
「……」
生憎彼女は、読書を楽しんでいて、俺の言葉にすら気が付いている様子はない。ページをペラペラとめくり、文字をなぞるように視線が動く。読書の邪魔をした横髪を耳にかけ、左に組んでいた足を右に変える。優雅に見える読書の仕草に、ほんの少し色気を感じた。
やっぱり、始めて始めて話かけられ、警戒しているのかもしれない。もしかしたら相手にすらされてないのかも。そう思うと悲しくなり席にトボトボ戻ろうとした。
「何かしら?」
俺が声をかけた数分後。彼女は綺麗な顔を不機嫌そうに歪め、俺を睨みつけていた。気が付いていたのならば、最初から応答してほしいものだ。相手にすらされてないと思った時は悲しくなったのに、俺は高梨さんが相談に応じてくれるかもしれないと思うと嬉しくてニヤツイテしまう。
変な誤解をされないように、ニヤケル口元を必死に堪えつつ、なるべく彼女の機嫌を損ねないように慎重に言葉を紡いだ。
「悪い。ちょっと相談にのって貰いたくて……」
「わかったわ。でも、悩み事相談ならそれ相当の対価を貴方に支払ってもらわなければならない」
正直、断られると思っていた。俺の言葉を無視し読書に勤しむと。ところが、高梨さんは二つ返事で了承してくれた。
「対価? お金とってるのか?」
「いいえ、違う。対価は貴方にとって……」
「俺にとって?」
『なんて心が優しいんだ』と心の中で感動する。
しかし、高梨さんの対価という言葉に頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。対価とは何なんだ。
そもそも、クラスメイトの相談に応じるくらい無償だろ。普通。
「対価って何?」
「対価は言葉通りのものよ」
肝心な事は何も言えぬ間に昼休みの終了する予鈴がなった。
ーー
「ちょっといいかしら?」
放課後になると、高梨さんは俺へ声をかけた。
「え? どうした?」
「昼休み。依頼してきたでしょ。詳しい話が聞きたいの」
「わかった」
俺は、帰りの支度をてきぱきと整えると高梨さんの後についた。
すると、クラスのほぼ全員が、俺に好機の視線を向けている。驚きや好機に満ちた視線。それから『なんでアイツが彼女といるんだ』なんていう男子生徒達の嫉妬に満ちた呟きまでもが、耳に入る。高梨さんはクラス憧れで高嶺の花なのだ。
反面、俺はさる劇団のさるにでもなったみたいだ。そんな俺の心情を知らない高梨さんはというと、そんな素振りを気にせずスタスタと教室を後にする。俺は申し訳なくクラス全員にペコペコ頭を下げた。
ーー
どこかへと向かっている高梨さんを、後ろから黙ってついていく俺。端からみれば、美少女の後をついて歩くストーカーだろう。しかし、実際つきまとわれているのは俺で、高梨さんは俺の話を聞こうと案内してくれているだけ。のはず……。
サラサラの髪、どことない彼女の大人の雰囲気に、俺の心臓はドキドキする。だが、なんとも言えない不安が立ち上がっていた。
「ちょっと。高梨さん何処へ?」
「いいから。黙って黙ってついてきなさい」
「はい……」
そうなのだ。俺は今、知らない住宅街にいる。見慣れない人。見慣れない家。見慣れない住宅街。
不審者さながらに右往左往キョロキョロ見渡す。そんな俺をよそになんの気遣いもなく高梨さんは歩いていく。
普段の彼女は、読書をしている大人しいイメージの生徒で、授業を受けている時以外彼女の声を聞いたことがない。クラスでは男子生徒のみと交友関係を広めていた俺からしてみると、女子生徒と二人きりという時間は緊張以外の何者でもなかった。
「高梨さんここって……?」
「いいからついてきて」
「はい……。お邪魔します」
何の説明もなく高梨さんが連れてきた場所は、マンションの一室だった。しかも、部屋全体から高梨さんと同じ香りがする。相談をするために高梨さんに声をかけたはずが、まさか自宅に連れてこられようとは……。生まれてこの方、彼女という存在がいない俺からしてみたら、女性の部屋に入る行為自体、刺激が強すぎる。変な顔をしていないか背中がヒヤヒヤした。
以前、読んだ少女マンガ似たような展開があった事を思い出すと、心臓が爆発するのではないかと思うほどに鼓動を激しくした。
高梨さんは六畳程の洋室へ入ると、中央にある二つのソファーのうち奥の方に腰をおろした。俺は、自分の変な妄想達を打ち消すと、対面するソファーへ腰をおろし、『ふぅ』っと大きく深呼吸する。すると、心臓は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「それで、ストーカーの件だけど」
「ストーカーって……。確かに一週間ばかり変な視線になやまされているけど、そんな酷い言い方はちょっと……」
「相手にどういうつもりがあるかわからない。けれど、影からコソコソ見ているだけなんて。当人に自覚がないにしろ、法に触れる可能性もあるの」
高梨さんが正しい一言を説いた。俺は視線の主の事を庇う発言だなんて……。情けなさが心に満ちた。『相手の行為が法に触れる』と認識するだけで体がブルリと震える。
「それにしても……。どうして君なのかしら……」
「えっ……?」
高梨さんは、不服とでも言わんばかりに足を組み、ギロリと俺を見つめていた。高梨さんのすーと吸い込まれそうな青い瞳。やっぱり美人だなぁ。なんて思ってしまう。しかし、ずっと見つめ続かれると、美人を通り越して恐怖である。思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。
「それは一体……どういう……」
「それは、貴方の成績はいつも学年最下位。遅刻は毎月平均五回。身長もそれほど高くないし……顔も平凡?」
妥当なところをつかれてしまった。確かに、俺は高梨さんと比べたら月とすっぽんもとい、比べものにもならないほど平凡で取柄なんて何もない。一方高梨さんは、外見よし。成績優秀で男子生徒の憧れの的だ。確かに女子生徒とはよりがあわないらしく、一人でいることが多い。だから大人しい人なんだと、勝手にイメージをつくっていた。でも、昼休みの件は些か失礼極まりない。
「だからって昼休みの件は俺に失礼じゃないか!!」
「あれは、読書の邪魔をされたからムッとしただけ。だからといって、依頼は断らないわ」
俺はここぞと言わんばかりに彼女に俺の意見を投げ飛ばした。ところが、問われた当の本人はけろりとした態度で言葉を紡いでいる。大人しいからちょっとだけイメージが変わった。そして、彼女には言葉で勝てない。俺は本能的に理解した。
「そう。それで、ストーカーを止めて貰いたいのよね?」
「あぁ。でも、できるのか? 誰だかわからない相手なのに……」
「出来るわ。貴方の依頼賜わりましょう」
ーー
「本当にできるわけ?」
「できるわ。でも、それには学校で話した通り対価が必要になる」
俺の相談に真剣に答える口と瞳。こんな時でさえ、彼女の表情を読むことは難しい。本当にこの人に話してよかったと安堵したのと同時に固唾を飲んだ。でも、俺みたいなアホっ子ちゃんにもわかるように話を進めてほしいものである。
「対価って何? やっぱりお金とかとるわけ? いくら払えばいいんだ?」
「お金なんていらない。対価は貴方が持っている大切なものを必要な分だけ頂くの」
「はぁ……」
ますますわからなくて、俺は曖昧に返事を返した。
「ちょっと取ってくるものがあるからここにいてくれるかしら?」
「あぁ……」
そういうと、彼女は部屋の外に退室した。この隙にあちこち見渡してみる。六畳くらいの洋室の隅っこには、古ぼけたクローゼットが一つ。後は不思議なものは何もない普通の部屋。
彼女は仕事部屋と呼んでいたから、ここは本当に彼女の部屋ではないのかもしれない。でも、ここには彼女の匂いが充満している。
女性の匂い。俺は、改めて考えるととんでもない場所に自分がいることを実感した。心臓が居場所を意識してドキドキする。
「ごめんなさい。待たせてしまったわ。これを明日から手放さないで。勿論学校にも」
「なんだよこれ? 恥ずかしだろ……。絶対ムリ!」
「いいのかしら? 誰の視線かわからなくても」
彼女の適切な言葉に俺はぐうの音も上げられなく苦虫をかみつぶしていると、彼女は抱いている物体とその他一つを手渡しした。それは、どこにでもありそうな黒縁メガネと白いウサギのヌイグルミ。どういみたって、持っているだけで効力が発揮されるものとはとても思えない代物だ。
しかも、このウサギのヌイグルミちょっとたけ人を小ばかにした表情をしている。
ヌイグルミを持って学校に行くのも恥ずかしいのに、こんなヌイグルミ。
「うぎゃぁぁぁ……」
「明日が楽しみね」
俺は、明日から始まるであろう羞恥の日々の幕開けを想像し、奇声をはなっていた。
ーー
(クソ……何でこんな事に……)
俺は内心で呟きつつ、昨日の事を後悔していた。それもこれも全てが高梨さんが原因だ。案の定、学校から家までの道中ヌイグルミを持っているだけで周りの視線を集めた。更には、幼稚園の子どもにまで『あのお兄ちゃんヌイグルミ持ってる可愛い』なんて言われる始末である。
学校についてもからも、周りからクスクス笑われるのは相変わらずの事だが、黒縁メガネが視界を狭くするのが歩いていてどうも気になる。
確かに俺は、何処から共なくやって来る視線が気になるからどうにかして欲しいと高梨さんに相談した。そして、渡されたのがこいつらなわけだが、これでは目立ちすぎる。
下駄箱で靴を履き替えていたところ、偶然高梨さんと出くわした。
「おはよう。似合っているじゃない」
「おおう。お陰様で!!」
(おいおい、誰のせいだつうの!!)
彼女は平気で皮肉の篭ったセリフを吐いた。俺は、イライラがこみ上げてくるも必死に堪え、苦笑いを浮かべてみせる。昨日初めて話してみて、高梨さんは人いじり倒して遊ぶのが趣味の人なんだ。と思うことにした。メガネと、この生意気な顔をしたヌイグルミが役にたつとは思えないし、具体的なことはまだ何もわからない。でも、彼女にどんな言葉を浴びせられても、嫌な気というか不快に思うことはなかった。こんなに俺はMだっただろうか。
「学校にヌイグルミなんか持って来たら先生に怒鳴られるわよ」
前言撤回。昨日の昼休み、彼女に話しかけた自分自身に『何やっているんだ!』と一括してやりたい。イタズラじみた彼女の笑顔に先ほどの怒りが再び沸き上がってくる。しかし、突如真顔になったかと思うと、そんな俺の感情なんて、つゆ知らずといった素振りで、高梨さんは小さな声で囁き、通り過ぎていく。
「例の視線。今も貴方へ向けられている」
(えっ!? マジかよ……)
彼女の言葉に肝が冷える思いがした。怒りも忘れ、彼女の言葉の真相を確認するように、慌てて辺りを見渡した。すると、確かにいつもの視線が何処からか向けられている。気配のする方に視線を移動させてみると、柱にしがみついた一人の女子生徒が俺を食い入るようにこちらを伺っていた。
(確か彼女は……)
俺が記憶を辿るよりも少し早く、ホームルームが始まるチャイムが学校中に響き渡った。
ーー
「青木! またお前か!」
「すみません……」
俺は間に合うように学校に登校した。しかし、実際はこうして、数分だが遅刻してしまった。クラスメイト達も『またか』というあきれ顔。ちらりと、高梨さんの方を覗くと自分の席で呑気に読書を嗜んでいた。ホームルームの最中、教室に入ると担任も言葉をなくしあきれ顔。
「もういい青木。とっとと席につけ」
半分諦めたように担任もげんなりと言葉をはなつ。半分涙目でとぼとぼと自分の席まで歩いていく。途中、高梨さんの席を横切る際、小さな声で囁いた。
「なんで俺遅刻したんだろう……」
「それは、貴方が相手の事を思い出そうとして考えふけっている内に、時間が経過したからでしょう」
読書をしていたから気づかないと思っていた。しかし、高梨さんは俺の小言に反応し、まるで、見ていたかのようなセリフに俺の心臓はドキリと波打った。こんな展開少女マンガにあった気がする。連れない態度で実は俺を、意識しているそんな気さえした。
「それじゃあ、ホームルームは終わりとする。一限目の支度をしているように」
先生はそう言って教室を去ると。クラスでは一斉に生徒達が騒めいた。勿論、すぐに授業の支度をする生徒も何人かいる。前者が俺で後者が高梨さん。そんなところであろう。
とにかく俺は、彼女の不思議な部分に惹かれ始めていた。
ーー
授業が始まってからも、俺はストーカー、もとい、俺に視線を投げかけていた女子生徒について思い出そうと頭をフルに回転させていた。よくよく思い出してみると、一週間ほど前の学校からの普段と変わらぬ下校途中、近くの公園の前を通り過ぎようとしたところ、子どもがボールを追いかけて道に飛び出してきたのだ。決まり文句のように車まで。咄嗟に子どもを庇い道路を転げ回ると、一瞬であたりも騒然としたのを今でもはっきりと覚えている。幸いな事に俺にも女の子にも怪我はなく、ホットひと安心。
ヒーローにでもなった気分で優しく女の子の頭を撫でてみた。すると、血相変えてやってきた女子高生がいた。きっと、女の子の身内なんだろう。とその時は思い、顔は意識して見ることはなかった。ちらりと覗くと、制服はこの学校のもので間違いなかったはず。よくよく考えてみたら、ストーカー騒動もその頃からである。
「じゃあ、この問題を……。そこでいつまでもぼんやりしている青木にでも答えて貰おうか」
(はぁ!!)
俺は、今が授業中だということを忘れていた。高梨さんに言われたように、俺は成績は学年最下位の劣等生。聞いていてもわからないというのに、聞いていなのでは話にならない。時計を見ると、既に休み時間になるまで五分となっていた。それ程までに集中していた自分に敬意を払いたい。
俺が黒板の問題を考えている間にも刻々と時間は刻まれていく。
猶予は五分。しかし、時間内に俺は答えを導き出すことが出来ず一限目終了の鐘が鳴る。
「じゃあ、授業はここまでとする。青木。今度の授業の時までに答えられるように」
なんて言葉をいいながら、先生は嫌らしく含み笑いを浮かべ、俺の方を見ていた。憎らしくて視線を反らすと、つい斜め向かいの高梨さんの方を向いてしまう。
高梨さんは、まだ先生がいるにも関わらずすでに、読書に専念している。もしかしたらずっと本に目を奪われていたのだろうか。時折窓から入る風が彼女の髪が揺れるたび、何故だか心臓の鼓動を早くする。
「起立」
「ありがとうございました」
ーー
「俺につきまとっている人がわかった」
「そう。ならば、もう必要はないわね」
放課後になると、俺は再び高梨さんの席へとやってきていた。しかし、流石に学校でヌイグルミとメガネを返すのは俺が恥ずかしい。だから、学校からわりと近くにあるこじんまりとした喫茶店で。
高梨さんは、コーヒーを注文して、一口含んだところでひと息ついていた。
「でも、どうして、ヌイグルミとメガネ?」
俺は昨日からずっと気になっていた事を高梨さんにぶつけていた。昨日は応えてくれそうにもなかったが、今日は応えてくれそうな気がする。多分。
彼女はコーヒーカップをテーブルへと置くと、真っ直ぐ俺の顔を射抜き口を開いた。
「それは、貴方が視線を必要以上に気にする為。普段の貴方は誰にでも愛想よく接しているけれど、実は内向的で人見知り。それと、周りを見ない癖がある。メガネって普段掛けている人にはわからないけれど、視界に枠を作ることによって、普段気にならないことも意識したでしょう」
言われてみれば、確かに。メガネをかけた事によって視界は小さな枠に覆われた。意識していないものが限定的ではあるが、隅から隅まで見える気さえして吐き気に見舞われた時もある。
ただ一度きりしか話した事がないクラスメイトの俺を心配して考案してくれた作だと思うと、目頭に熱いものが込み上げてきた。
「じゃあ、何でヌイグルミは何でウサギ? しかもこの顔?」
「そんなの決まってる」
「……」
「可愛いから」
高梨さんさんが可愛らしく微笑んだ。しかし、俺は素直に喜べんでいいのかわからなくなる。『はっ』と頭に嫌な考えが浮かんできた。高梨さんは、俺の事を本当に心配してくれた訳ではないのかもしれない。俺を困らせて楽しんでいるだけなのかもしれないと。もしかしたら、偶然にも結果が結びついてきただけ。そう思うと、目頭にこみ上げてきていた熱いものは、冷たく冷めていく。
しかし、高梨さんは更に言葉を続けた。
「それと、もうすぐ彼女と話すかもしれないわよ」
「えっ……?」
彼女の言葉を訝しみつつ視線を外にずらしてみると、今朝も学校の柱の影から覗いていた女子生徒が、今度は窓の外からこちらを伺ってる。
どうしたものかと悩んでみたものの、つきまとわれるのも、気持ちが悪い。俺はストーカー女子高生の元へと歩いていく。
「あのさ、一週間位前から視線を感じるんだけど、君のものだよね?」
「はい……。ごめんなさい……」
ストーカー女子高生はションボリとして涙を浮かべていた。
ーー
視線の正体は、一週間前の事が原因だった。俺としては、当然の事をしたつもり。しかし、妹が交通事故に遭いかけた彼女からしてみたら、特別な事だったのかもしれない。
この一週間俺に視線を投げていたのは、喫茶店の窓から堂々と俺達を覗いていたボブショートの美少女。彼女は、テーブルの下で手をモジモジさせ、何を話したらいいかわからず困惑した表情を浮かべ、時々、俺の方をみては、顔を赤くしてうつむいていた。
「あっあの……」
「何?」
「あう……」
勇気を振り絞って声を発したのだろう。俺が少し声を出しただけで慌てて顔を伏せると、顔を再び赤く染めてもじもじし始めてしまった。
「早く話を進めてくれないかしら?」
(うわぁ〜。そんなストレートに……)
高梨さんは、俺の心の声を見透かしたかのようにこちらをギロリと睨みつけてきた。俺は慌てて視線を外すと、明後日の方を見た。
「ところで、貴女は何故こんな事をしていたのかしら?」
「そっそれは……」
高梨さんの言葉で俺は目の前の彼女の方を見た。顔を赤く染め、助け船を求めるように、こちらを時々チラチラと見つめてくる。こんな場面、少女マンガになかっただろうか。こうして見つめ合っているうちに、お互い惹かれ合い、恋に落ちて。そして、そして、そのまま……。
俺が妄想の世界に浸りにたついていると、高梨さんが冷静な言葉で彼女の相談にのっていた。
「私、なかなか相手に自分の気持ちを伝えることが出来なくて……。男の人の話なんて友達に茶化されてしまう気がして……」
「思いなんて言葉にあらわさなければ分からない時もあるの」
高梨さんの言葉にハッと思ったのか、彼女は 俺の方を見つめている。目を逸らしたいのかもしれない。しかし、瞳を潤ましつつも、俺を見つめている 。思わずもしかしたら告白されるのではないかと期待を込めた視線を彼女に投げかけていた。
「ごめんなさい。私、極度の人見知りで……。恥ずかしくてなかなか言い出せなかったんですけど……。妹を助けていただきありがとうございました」
彼女の言葉は感謝の言葉そのものであった。告白されるのではないかと、ほんの少しだけ、期待していた自分が恥ずかしくなる。
気になる女性が初めて出来たはず。が、女の子からもてたいという気持ちは男の本能とでも言った方がいのかもしれない。見事に予想を外した俺の心は、傷心に浸っていた。
「何だか思いを伝えらえて嬉しかったです。ありがとうございました。それでは……」
それだけ伝えると、すっきりした顔をしてスタスタと立ち去っていく。
「完全に振られたわね……」
彼女が去った後、高梨さんの一言が、俺の心にとどめをさしていた。
ーー
俺のストーカー騒ぎのケリはついた。ほんの二日という短い時間ではあったが、高梨さんと関係はこれで終了する。これからはただのクラスメイト。話す機会も少なくなるであろう。そう思うと、嬉しいような、寂しいような複雑な気持ちが胸の中を渦巻いた。
「依頼は終了したわ。対価をいただかないと……」
高梨さんは、空のティーカップを覗き込みながら呟いた。
俺は、なれない対価という言葉の重さにゴクリと唾を飲み込む。きっと、お金では払えないものだろう。それは、一体どんなものか想像を膨らましてみるも、普段からお金を払う事が当たり前になっていた思考回路ではイメージする事も難しかった。
「そうね、ここのコーヒー代は彼女から頂いたし……。そうだ。貴方は私のところにいなさい」
(えっ……?)