帰り道
「だいぶ上達したね~」
「はい」
再び先輩の背中にぴったりとくっつきながら自転車に揺られる。その都度、私のドキドキは収まるところを知らず緊張しているが、でもいつもと違う心地よさがこのドキドキには合った。
あれから何円使ったのか分からないくらいオートテニスで練習した。途中で先輩にフォームのチェックをしてもらったりして50球中半分くらいはネットをしっかり超えて、数十球は的にも当たった。
運動音痴な私としてはとても速い上達だ。
「あ、そこを左です」
私が言うと先輩は十字の交差点を左に曲がる。時間は夜の7時を回っており女の子のひとりで帰るのは危ないよということでこうして先輩に家まで送ってもらっているのだ。こんなシェアハウスに住んでいる住民を除く他人と長時間過ごすのは本当に久々で、そして、他人とこんなにいっしょにいて心地よいと思ったのも久々だ。
「そこは右です」
「了解」
先輩の自転車が右に曲がるってしばらくするととある人影を素通りした。その人影を顔を見て私は先輩に自転車を止めるように頼む。
「矢々島先輩。止まってください」
「ん?もう着いたの?」
疑問に思いながらも自転車を止めてくれた。
「同居人がそこに」
自転車から降りて指をさすと私に気付いた同居人が小走りで駆け寄ってくる。
「同居人?」
「私、シェアハウスに住んでいるんです。その一番年上の人です」
「蛍子?」
小走りでやって来た同居人とは藤見さんのことだ。半信半疑のようだった。入学式の時も私はこんな時間に藤見さんと遭遇している。その時と大きく私の様子が違うからだろう。
「藤見さん」
「珍しいな。・・・・・・この人は?」
「えっと、部活の先輩の矢々島先輩です」
「どうも」
先輩は自転車にまたがったままぺこりと会釈すると藤見さんもそれに合わせる。
「藤見です」
そう軽く挨拶を交わす。この時、このふたりの間の一瞬で何か探り合っていたのを私は知らない。
「じゃあ、また明日ね。蛍ちゃん」
「はい。おやすみなさい。矢々島先輩」
そのまますぐに走り出すのかと思っていたのだが先輩はう~んと頭を抱える。そして、こう私に言い残した。
「矢々島って言いにくいでしょ?」
「はい?」
「私のことは鷹音でいいよ、蛍ちゃん」
私にとってはうれしい限りだった。下の名前で呼び合うことはまるで親友以上のことのような気がした。こんな魅力的な太陽のような人と私はよい関係を作ることが出来た。その喜びと気恥ずかしさに胸の鼓動が早まる。
「じゃあね」
今度こそ先輩はペダルを漕いで走り去っていった。
「きょ、今日はありがとうございます!鷹音先輩!」
私は深々と頭を下げると鷹音先輩はそれに答えるように手をあげる。そして、角を曲がって姿が見えなくなった。
「いい感じそうな人じゃないか」
「はい」
藤見さんも鷹音先輩が去って行った方をじっと見つめていた。
「なんかすごく優しくて暖かい人でした」
それよりもあの人といると胸の鼓動がいつも速くなりそして特に外傷もないのに胸が突き刺さるように痛くなり恋しくなる。この気持ちは一体なんなのか。それが分かるようになるのはもう少し後のことになる。
「もう大丈夫なのか?」
「・・・・・・たぶん」
藤見さんが気掛かりにしているのは私の過去に受けた心の傷が鷹音先輩との交流でぶり返すことを心配していた。でも、あの人は普通の人と違う。だから、大丈夫。
「そうか。蛍子がそういうなら大丈夫だ」
そういうと藤見さんは私の背中をポンと押す。
「さ、帰るぞ」
「はい」
早く帰って生まれて初めて流したこの心地よい汗を流してさっぱりしよう。そして、明日も部活をがんばろうと意気込む。暗く孤独だった私の生活に一筋の明かりが灯った。