鷹の爪
一言で言えば楽しかった。
映画を見て、ゲームセンターに言って、買い物をして、カラオケに行って私が今まで経験していなかったようなことをこの一日ですべてやりきったような気がするくらい遊んだ。その楽しさの中でも私の鼓動の速さは常に早く、体温も平均よりはるかに高い状態で熱でもあるんじゃないかと思うくらいだった。時々ぴったりとくっついてくる鷹音先輩にドキッとして頭が処理落ちをして混乱しそうになる。時々見せるいつもとは違う鷹音先輩の素の姿。いつもはどこか作った感じの笑いをしている感じがしていた。でも、今日見せていた私に対する笑顔はあの日、私の頬にキスをした時の眩しい笑顔だ。たまに無邪気に子供みたいに笑う姿を見ていると私はまだ鷹音先輩の知らないところがあるんだなとつくづく思う。
楽しい時間はあっという間に過ぎてあたりはすっかり暗くなっていた。
「いや~、遊んだね~」
「そうですね」
カラオケボックスの中で歌い疲れてソファーの上にふたりして横になる。スカート姿の私はパンツが丸出しになっていることに気付かずに。最初はふたりっきりで防音の利いた部屋に閉じこもっていることに興奮したけどその熱は歌で全部吹き飛んだ。こんなに思い切り歌うことが気持ちいいことを初めて知った。これで3回目なのだが、最初は勝手が分からなくて控えめだった。2回目は思い出したくもない。3回目になると勝手が分かるようになってきて自分のペースで存分に歌うことが出来て楽しかった。鷹音先輩も私のペースに自然と合わせてくれてとても楽しかった。これなら毎日来てもいいと思った。
「蛍ちゃんってさ~」
「はい?」
「なんで人間不信だったのに私にはこうして普通に接してくるの?」
そういえば、なんでだろう。普通なら自然と人に嫌われるような態度をとってしまうのに鷹音先輩にはそんな態度をとったという感覚はない。
「なんででしょうね?」
私にもよく分からない。ただ、一目見て普通の人とは違う感じがした。いわゆるそれが恋なんだって気づくのはもう少し後の話なんだけど。私は鷹音先輩に一目ぼれしたんだ。体が心が自然とあの人を好きになりたい、好きになってほしい。人との関わりを極力控えるようになった私が求めていた飢えを埋めるかのように鷹音先輩には嫌味を見せないで接してきたのかもしれない。好きだから。それが理由かもしれない。
「それにしても蛍ちゃんってかわいいよね?」
「そんなことないですよ」
私は体を起してテーブルに置いてある。ジュースを一気飲みする。鷹音先輩はまだ転がったままだ。
私はよくそういうことを言われる。初めてシェアハウスに住むことになった時、その時はまだ住んでいたミイさんという女性との出会いの際の第一声がかわいいというものだった。後からシェアハウスに移って来た豊香さんにも言われた。一番最近では一二三さんにもだ。あの事件以来自分を磨くことを放棄した。自分に魅力があるからあんな風に集団で色眼で見られて集団で襲われるんだという結論に至ったのだ。
でも、実際にあまり変わっていない気がする。
「蛍ちゃんを襲った集団の気持ちが分かるよ」
一瞬だけ心臓が爆発するかと思うくらい鼓動が早まる。それは鷹音先輩に対する行為ではなく過去の記憶からなる恐怖よるものだ。
「もちろん、冗談だよ」
笑顔でそう答えて体を起して次に何を歌うか模索を始める。おそらく意識はしないで言ったのだろう。そんな気がした。まさか、鷹音先輩があんなことをするような人じゃない。今まで過ごしてきた私自身が保証する。その時私の脳裏に浮かんだのは一二三さんの言葉だった。
鷹音先輩にはよくない噂がある。ストーカー行為を繰り返し行ったせいでひとり学校を止めてしまったというものだ。でも、実際に1年生というのは学校を退学することが多いのが現状だ。学校が合わなかった。本当は行きたかった学校ではないので行くのが嫌だからやめるという人も多くいる。きっと、鷹音先輩のお気に入りがその類とかぶってしまったに違いない。まさか、こんな優しい人がストーカー行為なんてものをするはずがない。何も知らない一二三さんの言うことだ。真に受けることもない。
そう思っていた。でも、今の私を警戒させる発言のせいで一二三さんの言葉が本当ではないかと私を疑わせる。
本人が目の前にいる。確認するタイミングとしては今しかない。
どの曲にしようかと悩んでいる鷹音先輩に私は一生分の勇気を振り絞って聞く。
「あ、あの!」
声の加減が出来ず大声になってしまった。その声に鷹音先輩もびっくりして操作パネルをタッチするペンを落としてしまう。
「急にどうしたの?」
ごく普通にいつも通りの返しだ。きっと大丈夫。私の新しい友好関係はこんな物で壊れたりはしない。私が下着を盗むという失態を起こしてもこうして仲よく遊んでいられる仲だ。きっと大丈夫。
「う、噂で聞いたんですけど、その・・・・・鷹音先輩がストーカー行為をしていたって言う」
私が恐る恐る言うとそれに敏感に反応した鷹音先輩は鷹のような鋭い目線で私を突き刺すかのように睨む。体中に穴が開きそうなくらい鋭くそして沈黙に包まれる。
「誰から聞いたの?」
「ひ、一二三さんから・・・・・・」
「ああ、あの尻軽女から」
え?一二三さんのことを尻軽女って?鷹音先輩がなんでそんなことを?
「本当にあの子っていろんなところにゴマ擦って擦り寄ったと思ったらすぐに都合が悪いと分かると簡単に見捨てるよね。逆もある。簡単に口車に乗っていいようにも利用できる。あんな風に何でもかんでも簡単に乗り換えられる尻軽女って私嫌いなのよね」
「た、鷹音先輩?」
「それに比べて蛍ちゃんは違うの」
機会をテーブルの上において私のそばまで近寄る。一瞬だけ引いてしまうけどすぐに顔と顔同士がぶつかりそうなところまで近づいて止まる。まっすぐで透き通った藍色の瞳はなぜか少し濁って見えた。
「蛍ちゃんは私一筋だもんね。他の子には全く興味を示さない。異性はもちろん同性の子にもクラスメイトの子にも同じ部活の子も先輩にも先生にも誰とも友好的な関係を作らないで私とだけとは関係を保とうとする。私一筋に一途な思いを寄せるかわいいかわいい蛍ちゃん」
手を私の顎に添えるように触れてゆっくりと私の頬を撫でていく。髪を撫でて頬に手を伸ばして唇にも触れる。その触り方はどことなくエロさを感じて鼓動が早まる。
「あ、あの」
「ん?」
笑顔を私に向ける。悪魔のような根っこでは全く笑っていないその笑顔を私に向ける。小悪魔みたいに。
「け、結局ストーカーの方は・・・・・」
「そうね・・・・・・。まぁ、愛情表現が少ししつこすぎちゃったのかもしれないわね」
「愛情表現って」
すると今度は私と少し距離を置く。そして、話し出す。その口調は軽くて昔に起きたちょっとした笑い話のように語る。
「その子は小鳥ちゃんって言うの。体が小さくてその体に見合った気の小ささだったの。本当に小さくてかわいい子だったの。私がお姉さんになったみたいに面倒見てたんだけどあの子ったら気付けばクラスメイトの子と仲良く遊んでいる姿を見ちゃったのよね。面倒見てくれた姉のような私を無視ししてね」
何?知らない。こんな鷹音先輩、私は知らない。
「私の愛が足りなかったんだって気づいてね、毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、小鳥ちゃんのことを考えて家まで送り迎えしたり休み時間になったらいじめられてないか見張って人気の少ないところで襲われてないかずっと見張ってたのよ。どんな時も!なのにあの子は私を拒絶して私を見捨てたの!私はこんなに心配してるのに!」
私に迫るように過去に起きたストーカー行為について鷹音先輩は自分なりに語る。話しながらどんどん呼吸が荒くなり全身から汗が出ているのが分かる。
「だから、私は小鳥ちゃんに私に対する愛を再確認させるためにあることをしたの」
「あること?」
「小鳥ちゃんの近しい友人全員を全員まとめてそこらのチンピラに犯してもらったの!泣きじゃくって!喚いて!苦しんで!最高だったわ!小鳥ちゃんを苦しめ!私を苦しめて奴らが苦しむ姿を見るのは!」
手足の震えが急に強く痙攣したかのように震える。まるで自分の物じゃないみたいに言うことを利かない。そのまま後退りしてソファーから落ちる。
「蛍ちゃんは小鳥ちゃんと違う。私の愛情表現も理解してくれる。だって、最高のお友達だもんね。あんな一二三とかいう子にはまったく惑わされない。でも、唯一惑わせる存在があるんだよね。あのシェアハウス」
急に鷹音先輩の声のトーンが落ちる。
「男が4人に女がふたり。蛍ちゃんを惑わせる私の敵」
その瞬間、私は嫌な予感が脳裏をよぎる。鷹音先輩が小鳥ちゃんという子を自分の物にするために周辺の友好関係をめちゃくちゃにしたと言うのが本当ならば、あのシェアハウスのみんなが危ない。日曜日で珍しく全員がシェアハウスにいる。
「苦しんで貰いたいね。蛍ちゃんと私の関係を壊そうとした報いをね」
恐怖だけが私を支配した。鷹音先輩があの家に何をしたのか。予想もしたくない。でも、鷹音先輩が何をするのに抵抗がない気がする。一二三さんが言っていたことと鷹音先輩が言うことが大いに合致する。
「な、何をしたんですか!あの家に!」
私のもう一つの家族に!
「何って?ちょっと火遊びするように頼んだだけだけど?」
「火遊びって・・・・・・」
「たぶん今頃はみんな火だるまになっている頃だろうよ」
想像もしたくないのに頭の中で鮮明に私のシェアハウスがオレンジ色の炎をあげて燃え盛っている映像が映る。その家の中で逃げ場なく火だるまになってもがき苦しむ姿が見える。燃えて真っ黒焦げになった手が私に伸びてくる。私はその手を必死につかもうとしても熱さで手が焼けそうになって掴むことが出来ない。私はその姿を何もできずただ見ていることしかできない姿も鮮明に映る。大好きだった、孤独だった私を唯一暖かく囲んでくれたあのシェアハウスが消えていく様子を想像してしまう。怖くて悲しくて涙が止まらなくなる。
「どうして泣いてるの?うれしいの?私と本当の意味でふたりっきりになれるから?」
鷹音先輩は私に馬乗りする態勢になって抱き寄せてくる。私と顔を近づけて瞳から頬を流れる涙を鷹音先輩は舐める。
「おいしい」
その時の鷹音先輩の表情に私の震えは止まらなかった。見たことのない、おそらく私だけじゃない。誰も知らない矢々島鷹音がそこにいた。悪魔のように不敵に口だけは笑い目だけは鷹のように獲物を上空から狙う空の支配者のように私をじっと見つめ続ける。小さな虫の蛍はただ見ているだけで何もできなかった。住処を奪われて絶命するしかない小さくて弱い蛍を生け捕りにして散々苦しめた後に食い殺す鷹のように。
私は蛍は鷹音先輩に鷹に食われていく。
「さぁ、蛍ちゃんふたりで行こう。誰にも邪魔されないところに」
手を引いて私を力の入らない体を起す。何も考えられなくなっていた。シェアハウスが私の帰る場所が壊されてしまったこと。何よりも壊したのが、私が心から慕っていた鷹音先輩だということ。もう、何も信じられない。少しでも気を許せばこうなんだ。人間不信の私が人を信じたばかりにこうなってしまった。すべては私が悪い。
私がみんなを殺したんだ。
罪悪感と自分の無力感に絶望をした。孤独ならばこんな目にも合わないで済んだのに。少しでも人の温もりを求めたばかりにこんな絶望感を味わうことになるなんて。最初からなければよかったのに。
「行こう。蛍ちゃん」
蛍のような小さな虫は空の王者である鷹にかなうはずがないのだ。むさぼり喰われるのが運命なんだ。それに私は抗えない。




