第六章
喫茶店 『らんぶる・ろっく』 。
そこは涼達の憩いの場である。
無論、彼らにとってそこだけが居場所という訳ではないが、比較的足を運ぶ回数が多い事は事実である。
そして必然的に 『常連』 という事になるのに、それほど時間はかからない。
涼と真一郎、それに雛子と琢磨に加え、最近では利恵もよく顔を出すようになっている。
そしてゴールデンウィーク最終日の午後。
店の一角には、お馴染みになっている真一郎と利恵の顔が見えるのだが……。
「利恵ちゃん」
「……嫌」
「高梨ちゃん」
「もっと嫌」
「利恵ぴょん」
「殴られたい?」
何故か今日は二人だけで、他の人間の顔が見えない。
真一郎と利恵だけでここに来ているというのも、ちょっと珍しい光景だ。
「琢磨並に拘る奴だなあ……」
真一郎は疲れたように、コーヒーに口をつけた。
「呼び方なんてどうだっていいじゃんか。 『ちゃん付け』 だろうが 『さん付け』 だろうが、んなもんに拘る奴、珍しいぜ?」
「だって……なんか真君に呼ばれる時って、色んな含みが入ってるみたいで素直に受け止められないんだもん」
「……どういう意味だ、こら」
「別に捻らなくていいからさ、ストレートな感情を込めて呼んでよ」
どうやら真一郎の、利恵に対する呼び方について話しているようだ。
真一郎は少しだけ考えると……。
「利恵にゃ〜」
「……蹴るぞ」
「利恵っち、利恵ポン、高リン」
「そんな呼び方したら一生口きかない」
どれも利恵のお気に召さないようである。
「面倒くせえなぁ……もう 『高梨』 でいいだろ? 俺もその方が楽な気がするし」
「ねえ、利恵様は?」
「そんな呼び方させるなら一生口きかない」
「あははは」
「……なあ」
真一郎は残っていたコーヒーを一息に飲み干すと、
「そろそろ本題に入れよ。 何か話しがあって俺を呼び出したんだろ?」
急に真剣な表情になって言った。
「……真君、結構鋭いね」
「当たり前だ。 だいいち、こんなどうでもいい事で人を呼び出す程、お前が馬鹿とも思えねえしな」
「どうでもいいとは失礼な。 これも大事な用件だぞ?」
「へいへい。 で?」
「うん……。 涼とヒナちゃんの事なんだけどさ……」
目の前に置かれているジュースの氷をストローで突付きながら利恵は言った。
カラカラと音を立てる氷を見ながら、ちょっと考えて、
「真君から見て、あの二人ってどう見える?」
と、ストレートな質問をぶつけた。
「仲のいい幼馴染」
「それは二人の関係を知ってるからでしょ? そうじゃなくてさ……」
「同級生のお友達」
「おい……」
「どう見えるかなんて訊かれても、どう答えりゃいいのか解んねえよ。 そもそも、お前は俺に何を訊きたいんだ?」
「だからあ、二人がどう見えるかだってば」
「仲のいい幼馴染」
「……話が進まないでしょ!」
毎度の事とは言え、真一郎の言う事は本気なのか冗談なのか判別が付け辛い。
普段一緒に行動している涼や雛子も、こんな感覚を味わっているのだろうか? と、利恵は思った。
「そうだな……ま、俺には雛子ちゃんと涼は、お似合いのカップルに見えるよ」
「わたしの前でそれを言う?」
「言って欲しかったんだろ?」
「別に欲しくは無いわよ……」
「けど、事実、学校でもそんな評価が多いな。 何しろ一言で涼を大人しくさせられる女子なんて、校内では雛子ちゃんだけだからよ」
「そうなの?」
「普通の奴から見たら、涼は充分怖いからな。 俺と違ってギャグは言わねえし、喧嘩はバカ強いし、クラスの連中とは殆ど喋ってねえみてえだしな。 何つっても無愛想ってのが一番問題だな。 そのせいで、入学したばっかの頃なんて露骨に涼を避けてるのがいたくらいだよ。 ま、最近じゃ少しずつ馴染んでるみてえだけどな」
入学してからというもの、毎日のように真一郎の突っ込み役をしているおかげで、周囲の人間の涼に対する評価は微妙に変化しているらしい。
しかし、それでも涼が怖いという生徒は多い。
「やっぱ上級生二十人を瞬殺したってのは、インパクトでか過ぎだったんだろうな」
「一体学校で何してるのよ、涼は……」
「勉強」
「今の話しの流れで、それを信じろっていうのは無理があるでしょ……」
真一郎は 「ははは」 と笑うと、水を一口飲んで、
「……涼は不器用なんだろうな、きっと。 自分の気持ちを表現するのが下手なんだ。 で、それを雛子ちゃんが上手く代弁してるって感じかな? それで何とか周りと馴染めてるんだと思うぜ? それが無かったら、あいつはきっと一人ぼっちになっちまうよ……いい奴なのにさ」
急に真面目な顔になって言った。
それは涼の事が本気で心配だからなのだろう。
「……」
「何となく解るんだ……俺もそうだったからな。 でも、俺には雛子ちゃんみたいな存在がいなかったから、すっげえ苦労した」
「そんな風には見えないよ?」
クラスに一人は必ずいるムードメーカー。
明るくてノリの良い存在。
利恵の真一郎に対する評価は、まさにそれだったのだが……。
『時々、とっても寂しそうにしてるの。 わたし達の前ではそういう顔は見せないようにしてるみたいだけど、偶然見ちゃった事があって……』
雛子の言った言葉が利恵の頭の中で聞こえた。
見た目に反して、真一郎も色々な物を抱え込んでいるのかもしれない。
「真君は、わたしの中で 『スチャラカ大明神』 として認知されてるからね」
「そりゃどうも……」
真一郎はグラスの氷をボリボリと齧りながら言った。
「ねえ……涼はわたしの事、何か言ってたりする?」
「いや? 特に何も言わねえな」
「何も?」
特に何も言わないとは、どういう事だろうか?
あんなに鬱陶しそうにしているというのに、それについて愚痴の一つもこぼさないのだろうか?
「じゃあ、ヒナちゃんの事は?」
「それも同じ。 そもそも、あいつの口から女の子の話題なんて出ないって」
「何でかな?」
「興味無いみたいだな。 大抵俺がネタ振って、それにリアクションしてるだけだし」
「興味無いのか……」
これはある意味、嫌われるよりもダメージが大きい。
何と言っても 『眼中に無い』 というのは、利恵にとっては悲しい事なのだ。
「でもよ……あ、すみません、コーヒーお願いします」
ウェイトレスにコーヒーのお替りを頼むと、真一郎は再び利恵に向き直って続けた。
「……お前とか雛子ちゃんのは、それとは違うと思うぜ」
「違うって?」
「何て言うのかな、もう 『いるのが当たり前』 って感じになってるんだと思う」
「ヒナちゃんは解るけど、わたしは……」
幼馴染どころか、知り合ってまだ間もない。
それが 『いるのが当たり前』 な存在になど、なれるのだろうか……?
「お前……マジで涼に惚れたな?」
「わたしは最初から真剣だったぞ?」
「だからだろ? きっと。 涼だって一応は普通の人間なんだからよ、それなりの感情もあるだろうし」
「何だよぉ、その言い方は。 わたしのダ〜リンだぞ?」
ぷう! っと頬を膨らます利恵を見て、真一郎は苦笑しながら続けた。
「無口なのはネタがねえからだし、話し下手なのは相手に気を遣い過ぎるからだし、怒鳴るのは大抵照れ隠しだしな。 そんな素直じゃねえ奴は、ハッキリ面と向かって何かを言ったりなんて出来ねえもんさ。 だから、きっとお前にも雛子ちゃんにも、言えない言葉ってのはあるんだろ」
「すご……。 真君、プロファイリングでも勉強してるの?」
「ちょっと涼と親しくなったら、この程度の事はすぐに誰でも判るだろ? 何しろ判り易いからな、あいつは。 現に、お前にだって判ってるだろ」
「うん……」
「だから余計に気になるんだろ? 自分が涼にどう思われてるかってさ」
真一郎のカップにコーヒーが注がれ、ウェイトレスさんが他のテーブルへ行くのを見送ってから、真一郎はおもむろにカップを手に取り、
「俺はよ……正直に言わせてもらうと、涼と雛子ちゃんにくっついてもらいてえんだ」
と、微妙な顔で言った。
「え……?」
「あ、誤解すんなよ? 別にお前が気に入らないとか、そういう事じゃねえんだ。 ただよ……上手く言えねえんだけど、何となく……な。 だからって、お前にどうこう言うつもりなんか無いからな? お前はお前で好きなようにすりゃあいいんだ。 俺は反対しねえし」
「……」
「そんな顔すんなって、反対しねえって言ってるだろ? 言い方悪かったかな……賛成だよ、俺も」
「でも、真君はヒナちゃん派なんでしょ?」
「誰派とか、そんなもん俺の中にはねえよ。 こうしてダチの話を聞いて、アドバイス出来る事はして、相談に乗れる事は乗る……それだけだ」
そこまで一気に言うと、真一郎はコーヒーを一口飲んだ。
何も入れないブラックは、真一郎と涼の共通した好みだ。
二人は仄かな苦味を旨いと感じる……だが、苦手な人には耐え難い物に感じられるだろう。
(こいつ、本質的には雛子ちゃんと同じなんだな……)
真一郎は静かにカップを置くと、話しを続けた。
「この間、遊園地行ったろ?」
「うん」
「そん時、雛子ちゃんにも同じ事訊かれたんだ。 『涼ちゃんと利恵ちゃん、真君にはどう見える?』 って」
「……それで?」
「似合いのカップルに見えるって答えたよ。 そしたら雛子ちゃん、満足そうに笑ってた」
「何で……?」
「さあな。 でも、きっとそれは雛子ちゃんの本音だぜ? だから俺は、お前と涼の事も賛成するし、応援もする」
「……」
『わたし、利恵ちゃんと勝負なんてしないからね……それだけは覚えておいて』
雛子はそう言った。
そして環は、 『頑張りなさい、応援してあげるから』 と言った。
手探りでお互いを知り合って行けと……。
「だからさ、それでいいんじゃねえかな? 変に気を遣ったらギクシャクするぞ? それじゃ勿体無いじゃん、せっかく知り合ったのにさ」
「わたし、別に気を遣ってる訳じゃないんだ。 たださ、何となくこう……」
「ま、色々思うところもあるだろうけど、人間なるようにしかならねえんだし、流れに乗ってりゃいいんじゃねえの?」
「アバウトだな〜、真君は」
「何でもハッキリさせりゃいいってもんでもねえしな」
真一郎は笑って、
「ハッキリさせるのは、何か結論が出てからでいいのさ」
と言った。
「結論を出すのが、ハッキリさせるって事なんじゃないの?」
「ところが違うんだな〜」
そう言うと、真一郎はいつものように紙ナプキンを使って何か作り始めた。
もう話は終わりと言う合図なのだろう。
大概これをやり始めると、真一郎は真面目な話しをしなくなる。
それはそれで、いつもの通りの真一郎とも言えるのだが、一層真剣に何かを考えているようにも利恵には見えた。
「……じゃ、今のままでいっか」
「そうそう、今のままでいいって」
「うん、今のままでいいね……」
「もし、どうにもならなくなったら、その時は言えよ」
真一郎は完成した紙人形を手に持つと、
「その時はこの俺様が一肌も二肌も脱いでやるぜい! 何しろ俺様は利恵ちんが大好きだからな!」
と、ポーズをつけさせつつ言った。
「……その呼び方はやめて」
「じゃあ、利恵っぺ」
「ふざけんな」
「利恵べ〜」
「泣かすぞ……!」
それから二人は小一時間ばかり、取るに足らない雑談だけを交わしていた。
「ヒナ、これで全部か?」
近所のスーパーを出た所で、両手一杯の荷物を抱えた涼が言った。
「うん、もう買う物は無いよ。 ごめんね涼ちゃん、付き合わせちゃって」
「いいよ、気にすんな。 お前一人じゃ、こんなに持てないだろ?」
「うん、ありがとう。 重くない? 少し持とうか?」
「これくらい平気だよ」
肉体派の真一郎ほどではないが、涼も腕力には結構な自信がある。
スーパーでの買い物程度の荷物など、どうという事は無いのだ。
「……ねえ、涼ちゃん」
「ん?」
「わたしの時には、こうやってすぐに付き合ってくれるのに、どうして利恵ちゃんの時には、あんなに嫌がるの?」
「え? だって、そりゃそうだろ。 ヒナの場合は、ちゃんとこういった理由があるけど、あいつの場合は思いつきで引っ張り回すだけだからな。 そんなもん、いちいち付き合ってたら疲れちまうよ。 それに、周りに変に誤解されたら困るだろ」
「誤解って?」
「いや……俺があいつと付き合ってるとかさ……」
「違うの?」
「あいつが勝手にそう思ってるだけだ。 ほら、行くぞ」
一度、荷物の形を整えるように揺さぶって、涼は雛子の前を歩き出した。
雛子もそれに続いて歩き出す。
「誤解されたら困るって、涼ちゃん困るような事ある?」
「いや、困るって言うか……ほら、あいつが困るんじゃないかと思ってさ。 こういうのって微妙だろ? だから……」
「利恵ちゃんが言い出した事なのに、それで困る訳無いと思うんだけどな? そう思ってるなら、涼ちゃんの家にだって来ないだろうし」
「まあ、それはそうかもしれないけどさ……」
「好きなら好き、嫌いなら嫌いって、涼ちゃんがハッキリ言うのが一番早いと思うんだけど?」
「な、何言ってんだお前は! そもそも、好きも嫌いもねえだろ? 俺は、あいつの事なんか何も知らねえんだし……」
「訊かないからだよ。 訊けば何でも答えてくれると思うよ?」
「……」
確かに、それはそうなのだろうと涼も思った。
しかし、それで利恵の事を知ったからといって、その後、何がどうなるというのだろうか?
「利恵ちゃんの気持ちはハッキリしてるんだし、これは涼ちゃんの決める事なんだよ? 解ってる?」
「一応……」
「一応じゃ駄目でしょ! ちゃんと解ってる?」
「……はい、解ってます」
「なら、わたしはもう何も言わないから、あとはちゃんとしてあげてね? いい?」
「何でお前がそこまでムキになるんだ?」
「当たり前でしょ! 利恵ちゃんはわたしの友達なんだから!」
「何だよ、そんなに仲良くなってたのか? お前ら」
「勿論。 毎日電話してるもん」
電話嫌いの涼には信じられない話である。
毎日電話なんてして、一体どんな会話を交わしているのだろう?
そもそも、用も無いのに電話したりする事自体が信じられないという男である。
「よく飽きねえもんだな。 会話のネタなんか、そんなにあるもんなのか?」
「たっくさんあるよ? 今日は何があったとか、今何してるとか」
「日記かよ……」
「でもね、それだけじゃないと思うんだ。 きっと利恵ちゃん、わたしを気遣ってくれてるんだよ」
「ヒナを?」
「ほら、うちって大抵わたし一人でしょ? だから、色々と心配してくれてるんだと思う」
「あ……」
自分では普段、無意識にしている事なので気にしていなかったが、考えてみれば雛子は家に一人でいる事の方が圧倒的に多いのだ。
雛子の両親は製薬会社に勤務しており、しかも新薬の研究開発チームの責任者だ。
その忙しさは半端ではなく、家族が揃う事など年に数回といったところだろう。
「優しいんだよ、利恵ちゃん。 そんな事少しも口に出さないで、わたしの話しを聞いてくれたり、色んな話をしてくれるんだ」
「……」
「わたし、利恵ちゃん大好きなんだ……だから……」
「……解ったよ。 俺もちゃんと考えるから」
「本当?」
「その代わり、時間かかるからな? 俺は今まで、こういうのを考えた事ねえんだから……」
「じゃあ、その間待っててって、利恵ちゃんに言っとくね」
「言わんでいいっ!」
「じゃあ、涼ちゃんが言う?」
「言わんっ! はい、もうこの話題は終りっ!」
雛子はクスクス笑うと、涼の肘の部分を軽く摘んだ。
「ん? 何だ?」
「ちょっと……暫くこのまま歩いてもいい?」
「別に構わねえけど、急に引っ張るなよ? 荷物が落ちちまうからな」
「うん……」
後悔だろうか……?
雛子は自分の心の中に、何故か小さな穴が空いたような気がした……。