表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/18

第二章

 朝の学校の廊下には、授業が始まるまでの間、生徒達の会話に花が咲いているものである。

 クラスが分かれてしまった友達や、新しく交友関係の出来た者同士など、様々な内容の会話がそこにはある。

「ねえねえねえ! 俺、一年二組の掃部関真一郎ってんだけど、君は何組の誰子さん?」

 ……まあ、中にはこういった物もある。

「はあ? あたしが何組だって、あんたには関係無いでしょ? それに、何で初対面のあんたに名乗らなきゃいけないのよ」

「いや、もしかしたら俺達は運命的な出会いをしたのかもしれないよ? こうして俺が廊下で出会った君に声をかける事は、遥か古の昔から決められていた事なのかも……そう考えると、何か浪漫ティックな物を感じない?」

「……バッカじゃないの?」

 女生徒は真一郎を無視して、スタスタと歩いて行ってしまった。

 その背中には 『声をかけるな』 と張り紙でもされているような感じで、冷たい空気が纏わりついている。

「おっかしいなあ……」

 真一郎は立ち去る女生徒の背中を見送りながら、

「昨日はこれで笑いが取れたんだけど……」

 と、腕組みをして考え込んでしまった。

「……朝っぱらから何やってんだ、お前は」

 背後から声をかけられて真一郎が振り返ると、そこには呆れ顔の涼が立っていた。

「おう、ぐっも〜にん! 我が心の友よ」

「まさか、またナンパしてたんじゃねえだろうな?」

「ん〜……まあ、大きくジャンル分けすれば、そうなるかな?」

「かな? じゃねえっつーの。 みっともねえからやめろって言ったろうが。 大体、何で学校でやるんだよ……」

「お前はいいよ、雛子ちゃんがいるから。 俺だって彼女の一人くらい欲しいじゃんか」

「だから! ヒナは彼女じゃねえって言ってるだろうが! 何度言わせんだよ!」

「へいへい、そうでした」

「まったく……俺は日本語で話してるんだから、ちゃんと理解しろよな」

 入学式から何日かが過ぎ、そろそろ親しい友人も何人か出来た頃なのだが、真一郎は未だに女の子を対象に声をかけまくっていた。

 最初の内はそのキャラが受けて、何人かの女の子が真一郎と仲良く話していたのだが、そのあまりの節操の無さにやがて呆れてしまい、今では 『軽いお調子者』 というレッテルが貼られている。

 それとは対照的に、普段、真一郎と一緒にいる事が多い涼に対しては、何か近寄り難い印象を持たれているようで、決して評判は悪くないものの、あまり女子は積極的に話しかけて来ない。

「真……お前さ、自分がどういう立場に立たされてるか解ってるか?」

「噂を鵜呑みにするような子はハナから対象外。 俺様はな、俺様の真実の姿を理解してくれる子を求め、日夜流離っているのだ」

「真実の姿ねえ……」

 そのまんまという気がしないでもないのだが、涼は敢えてそれは言わないでおいた。

「そう……例えるなら雛子ちゃんのように、人を外見だけで判断しない、どんな話もちゃんと聞いてくれる、そんな子が理想だ」

「……まあ、頑張れよ」

 涼としては、もうこれ以上真一郎に何か言っても無駄だと悟る以外に、今感じている頭痛を治める方法が無い……。

「あ、ところでさ、昨日いい店を見つけたんだ。 今日の帰りにでも寄らねえか?」

「いい店?」

「喫茶店なんだけどさ、コーヒーが美味いんだ。 雰囲気もいいし、お前も気に入ると思うぜ?」

 コーヒーが美味いという所に、涼も興味を引かれた。 

 涼の父、保も大のコーヒー好きだった為、涼もその影響を受けてコーヒー好きなのだ。

 母の環はあまりいい顔をしなかったが、小学生の頃からずっとである。

「ふうん……ま、別に用事もねえし、いいぜ」

「なあ、雛子ちゃんも誘っていいだろ?」

「え? ヒナもか?」

「いいだろ? な? たまには一緒に遊んだってバチは当たらないぜ? お前から言っといてくれよ」

「でもなあ……俺、あんまり学校とかで、ヒナと一緒にいたくねえんだよな……」

 とにかく、小学生の頃には散々冷かされていたのだ。 

 幸いにも雛子と涼のクラスは違ったのだが、それでも囃し立てる連中はいて、涼はその度に大喧嘩していたものである。

 それでも雛子に友人が無くならなかったのは、雛子の人望の厚さの成せる技であろう。

「か〜っ! 小せえ小せえ! 冷かされるから嫌だってんだろ? そんなもん、普通は雛子ちゃんが気にする事だろうが……男のクセに情けねえ」

「ヒナは鈍いんだよ、だから気にならねえんだ」

「鈍いのはてめえだ、この馬鹿……」

「あ? 何か言ったか?」

「何も言ってねえよ。 じゃ、いいな? お前が何をどう言おうと、俺様は雛子ちゃんを連れて行くからな! 文句があんなら腕で来い!」

「解ったよ……」

 そんな事で真一郎と喧嘩をするつもりの無い涼は、渋々、真一郎の提案に賛同した。



 放課後になり、涼と真一郎は揃って昇降口から校庭へと出た。 

 勿論、これから真一郎の言っていた喫茶店へと向かう為である。

「涼、雛子ちゃんは?」

「掃除当番だってよ。 それが終ってから来るって言ってたぜ」

「じゃあ、終るまで待ってるか」

「あとで来るって言ってるんだから、別にいいだろ。 店の場所は、お前から聞いて教えてあるんだし」

「ったく……お前は少し優しさが不足しとるな。 女の子には、もっと優しく接するもんだぞ?」

「それはお前に任せるよ」

 涼の言葉に 『やれやれ』 と、真一郎が両手を広げた時、

「いいかあっ! お前ら新入部員は、二年になるまでは人間扱いしねえっ! 解ったな!」

 剣道部の道場から、何やら不穏当な声が聞こえた。

 どうやら上級生が新入部員に対して、洗礼を浴びせているようだ。

「お〜お〜、やだねえ……後輩イビリってやつか? セコイね〜」

 真一郎は剣道場の方へ顔を向けたまま、眉を顰めて言った。

 どうやらこういうノリは嫌いなようである。

 それは涼も同様のようで、

「実力もねえ奴に限って、ああいう事言うんだよな」

 と手厳しい。

「そうそう。 俺ら可愛い一年坊には、もっと優しくして欲しいよな」

「……可愛いきゃな」

「おお、珍しく意見が一致したな」

 涼は皮肉を込めた目で真一郎を見ながら言ったのだが、真一郎には届かなかったようだ。

 皮肉とは、それが通じる相手に対してだけ、効果を発揮する物なのである。

「しかし、可愛いか……よし!」

 そう言うと、真一郎は剣道場へ向かって歩き出した。

 どうやら 『可愛い』 という部分にだけ、鋭敏に反応したようだ。

「おい、真! どこ行くんだよ! ……ったく!」

 仕方なく、涼もあとへ続いて歩き出した。

「何やってんだよ、サ店に行くんじゃないのか?」

「いやいや、可愛いかどうか、ちょっと確認をな。 その結果如何によっては、連れて行くメンバーが増える可能性もあるぞ」

「男だろ?」

「いや、今年から女子部も出来たんだよ。 クラスの女子も何人か入ってるんだ」

「ハァ……お前は凄いよ……」

 そんな事まで調べているのか……と、涼は再び頭痛を感じた。

「お褒めに預かり恐縮で……っと、ビンゴ! 結構可愛い子が……ん?」

 溜息混じりに言う涼の言葉を意に介さず、真一郎が道場の格子窓の間から中を覗くと、先輩部員を相手に一年生部員が稽古をしているのが見えた。

 だが、どこかおかしい……みんながみんな、先輩部員に一撃される度に蹲ってしまうのだ。

「……? おい涼、うちの剣道部って、こんなに強かったっけ?」

「そうじゃねえよ、よく見てみな」

「ん?」

 涼に言われて目を凝らすと、先輩部員の誰もが、防具で護られていない部分に竹刀を入れているのが真一郎にも判った。

「あ! ……きったねえ〜! あれじゃ、やられた方はたまらんぜ」

 中にはどう見ても素人のような者もいるというのに、それでも容赦無く打ち込んでいるのだ。

 心得のある者と無い者とでは、力の差は歴然である。

「あうっ……!」

 突きを入れられた一年生が倒れ込み、喉を押さえてのた打ち回る。

 段々と、それを見ている真一郎の顔付きが変わって来た。

「……シャレにならんぜ、こいつら。 俺は薄汚ねえ真似する奴が一番嫌いなんだ……!」

「先輩! いい加減にして下さいっ!」

 小柄な一年生が正座をしたまま、面を外した先輩に向かって言った。

 先程、真一郎が可愛いと目を付けた子だ。

 線も細く、整った顔立ちをしているが、短く切った髪が凛々しさを際立たせている。

「ああ? 何だと?」

「みんな剣道が好きで、剣道がしたくてここに来たんですよ? それなのに……あんまりじゃないですかっ!」

「さっき言ったろう? 二年になるまでは、てめえらは人間じゃねえんだよ!」

「そんな事、誰が決めたんですっ!」

「伝統だ! ウチの剣道部のな!」

 そう言うと、先輩部員は正座をしたままの一年生を竹刀で小突き回す。

 しかし、その一年生は微動だにせず、臆する事無く意見を続けた。

「そんな物、伝統でも何でも無いですよ。 そういうのは悪しき慣習と言うんです!」

「お前……さっきから、その反抗的な態度は何だっ!」

 先輩部員は益々力を込めて、その一年生の頬に竹刀を押し付けた。

 しかし一年生部員は怯むどころか、先輩部員から目を逸らしもしない。

「先輩……竹刀は、そんな事をする為の道具じゃありませんよ」

「……何だと?」

「竹刀が泣いています! 先輩には聞こえないんですか!」

 真っ直ぐ目を見ながら言う一年生に対し、先輩部員はワナワナと肩を震わせている。

 しごくまっとうな意見を言われて反論出来ないのが悔しいのか、或いは下級生に意見された事が腹立たしいのだろう。

 了見の狭い人間の典型的なパターンである。

「おほ〜! 言うねえ、あの子。 俺様は俄然あの子が気に入ったぜ! このまま恋に落ちてもいいか?」

「お前がいいって言うなら、そりゃ構わねえけどよ、無事に済むかな……ヤバいんじゃねえか?」

 涼の言う通り、先輩部員は顔を真っ赤にして下級生に一歩近付いた。 

 どうやらかなり頭に血が上っているようだ。

「それに先程のは稽古じゃありません、リンチです! 素人同然の者に突きを入れるなんて、中学生の部活じゃありません!」

「生意気な事をぬかすなあっ!」

 打ち下ろされた竹刀を一年生部員が正座をしたまま軽くいなすと、先輩部員はその勢いで派手に転がった。

 それを見た他の一年生数名が、先輩部員に解らないようにクスクスと笑っている。

「大丈夫ですか? ちょっと床を磨き過ぎたかもしれませんね」

「てめえ! ふざけた真似しやがってっ!」

 その一言を皮切りに、他の先輩部員も小柄な一年生を取り囲んだ。

「お前、いい度胸してるな……ああ?」

「こういう奴には、上下の関係をしっかり教えとかないとなあ……」

 ぞろぞろと顔を揃えた先輩部員の数は、ざっと二十人は居るだろう。

 その内の三人が片手に竹刀を握っている。

「お前は特別待遇だ。 俺達が直に稽古をつけてやるぜ!」

「お前は体捌きがいいみたいだから、それに磨きをかけてやろう。 ……正座のまま動くなあっ!」

 三本の一斉に竹刀が振り下ろされると、さすがに今度は捌ける筈も無く、竹刀に打たれる音が道場内に響き渡った。

「グッ……!」

 あっと言う間に小柄な一年生部員の顔に蚯蚓腫れが浮き出した。

 少し切れたのだろう、薄っすらと赤い筋が下に向かって伸びた。

 それまで静観していた真一郎だったが、さすがに腹に据えかねたのか、木製の窓格子をグシャリと握り潰すと、

「もう我慢出来ねえ……あの野郎共、ブちのめすっ!」

 そう叫んで、道場の入り口に向かって駆け出した。

 すっかり頭に血が上っているようで、あまり周りが見えていないようだ。

「待てよ、真! ……やれやれ、あとでガッカリするぞ」

 何故か涼は呆れ顔で、真一郎の後を追った。


「痛う……!」

「ほれ、竹刀を貸してやるぜ。 今度は打ち込みの稽古だ!」

 カシャンと音を立てて、一年生の前に竹刀が転がった。 

 仮にも先輩部員である自分が、下級生に負けるなどとは露程も思っていない顔だ。

 だが、転がる竹刀を見た刹那、小柄な一年生の目つきが変わった……。

「竹刀を投げるとは……貴様に剣道をやる資格は無いっ!」

「その生意気な口を閉じやがれっ!」

 先輩部員が踊りかかろうとした時、小柄な一年生部員は素早い動作で目の前に転がる竹刀を掴むと、先輩部員の喉元に向かって竹刀を突き出した。

 反撃を全く予想していなかったのか、竹刀の切っ先は先輩部員の喉にまともに入った。

 そこへ……。

「こらあ! てめえら一歩も動くな!」

 と、勢い込んで飛び込んだ真一郎の前に、先輩部員が転がって来た。 

 見ると、その口からは泡を吹いている。

「わわっ! ……何だ? どうなってんだ?」

「へえ……やるな、あいつ」

 涼は感心したように言うと、愉快そうに笑った。

「どうです先輩、突きって苦しいでしょう?」

 先程の一年生が竹刀を構え、転がっている先輩部員に言った。 

 その姿は雄雄しく、体の小ささなど微塵も感じさせない。

 どうやら相当の腕を持っているようだ。

「このガキ!」

「ふざけやがって!」

 しかし、そんな事を理解出来る筈も無い先輩部員達は一斉に飛び掛り、一年生を羽交い絞めにして顔面を殴った。

 多勢に無勢、一年生は一方的にやられ始めた。 

 いや、何故か抵抗しようという素振りさえ見せていない。

「うっ!」

「てめえら一年は、黙って俺らの言う事を聞いてりゃいいんだよ!」

「調子くれやがって! おらあっ!」

 拳が、蹴りが、容赦無く一年生に入れられると、見る間に口の端が切れ、血が流れ出す。

 他の一年生部員は為す術も無く、それを見ているだけだ。

 いや、それでも何人かは止めようとして立ち上がったのだが、小柄な一年生は首を左右に振ってそれを制止した。

(ここは剣道をする場所だ、喧嘩をする場所ではない。 手を出しちゃいけないんだ……みんな、それでいいんだよ……)

 相手が無抵抗なのをいい事に、先輩部員達の攻撃は止むどころか、更に激しさを増して行くように見えた。

「涼、俺は行くぞ……! この場を黙って見過ごしたとあっちゃ、掃部関真一郎の名が廃る!」

「しょうがねえなあ……俺は付き合わねえからな。 行くなら一人で勝手に行け」

「ピラフにコーヒー付ける! だから加勢しろ!」

「んじゃ、五人までな」

「足元見やがって……ええい! サラダもおまけするっ!」

「乗った」

「商談成立! 出前は迅速っ!」

 真一郎はダッシュすると、先ずは一年生を羽交い絞めにしている先輩部員に、

「延髄切りーっ!」

 と叫び、後頭部に蹴りを放った。 

 たまらず先輩部員は一年生から手を離し、自分の後頭部を抑えて振り返った。

「イテテ……。 な、何だお前らっ!」

「悪党に名乗る名前など無いっ! だが敢えて言うなら……そう、愛と正義と真実の人とでも言っておこうか!」

 真面目な顔をして腰に手をあて、そっくり返りながら真一郎が言う。

 おまけに 『はっはっは』 と高笑いまでしている……。

「き、緊張感が萎える……」

 と言いつつ、涼は手近にいた三人を殴り倒した。 

 何だかんだと言いながら、身体が勝手に動いているようである。

 だが、突然乱入して来た涼と真一郎を歓迎していないのは、やられていた一年生部員も同じのようで、

「……お前達、どういうつもりだ。 ここは部外者が暴れていい場所ではないぞ! 出て行け!」

 と、厳しい口調で真一郎に向かって言った。

「いかんな〜……女の子がそんな乱暴な口を利いたらいかんよ、うん」

 言いながら、真一郎も二人を蹴り倒す。 

 こちらも身体が勝手に動いているようだ。

「はあ? 何を言っとるんだ、お前は」

「う〜ん、ちょいとハスキーだけど、なかなかいい声だねえ。 ね、あとで一緒に飯食いに行かない? 当然、俺の奢り!」

「そういう話しをしている場合ではなかろう? いいから、さっさと出て行かんか。 お前達まで面倒に巻き込まれる事は無い」

「多勢に無勢とは卑怯千万! そんな場面を黙って見過せるほど、俺は根性腐ってないの」

「しかし、これは部活内の問題であってだな……」

「あんなもんが部活って言えるかよ、あれは単なるシゴキだ。 あんな事してたら、日本伝統の剣道が汚れるってもんだ。 違うかい?」

「お前……」

 小柄な一年生部員は、目の前の大柄な男子生徒の顔をじっと見つめた。 

 今まで出会ったどのタイプの人間とも違う……。

 こんな男もいるのかと、一年生部員は思った。

「だからさ、これが片付いたら飯食いに行こうよ、ね?」

「お前は話が反復横跳びするんだな……まあ、別に構わんが」

「やった! 絶対に約束だからね?」

「あ、ああ……」

「じゃあ、さっさと片付けようか」

 と思ったのだが、既に涼が残りの全員を倒してしまっていた。 

 何の事は無い、無抵抗な相手にだけ強気な連中だったのだろう。

 それでは、この二人の相手になどならない。 

 何しろ、子供の頃から喧嘩に明け暮れていたと言っても過言ではないのだから。

「割に合わん……。 真! 明日もお前の奢りだからな!」

「おお、いいぜ! 俺様は今すこぶる機嫌がいい。 あ、そうそう、俺、掃部関真一郎。 で、あっちにいる乱暴者が宇佐奈涼ってんだ」

「誰が乱暴者だっ!」

「俺は浦崎琢磨だ」

「……え?」

「くっくっく……」

 ポカンとしている真一郎を見て、涼は笑いを堪えている。

「どうかしたのか? それ程珍しい名前でもなかろう」

「わははははは!」

 堪え切れずに腹を抱えて爆笑する涼を見て、ようやく真一郎は自分の勘違いに気付いた。

「涼! てめえ……気付いてやがったなっ!」

「まだまだ修行が足りないみたいだな、真」

「不覚……!」

「何だかよく解からんが……。 しかし、これでは部活どころじゃないな」

 先輩部員は伸びたままだし、気付いてみれば、新入部員は全員逃げ出していた。 

 恐らく彼らは二度と部活に顔を出さないだろう。

「とりあえず先輩達を保健室へ運ばなければな……お前達も手伝え」

「え? 俺らも?」

 真一郎は不服そうに言ったのだが、

「当たり前だ、お前達が叩きのめしたんだろうが。 このまま放って行く事など出来まい」

 そう言って、琢磨は先輩部員を一人抱き起こすと、すたすたと道場の外へと出て行ってしまった。

「……どうするよ、涼」

「どうするったって、あいつの言う通りにするしかねえだろ。 確かにあいつの言う通り、このまま放っとく訳にもいかねえしな」

 元々売られた喧嘩という訳でなく、涼達が勝手に乱入して暴れたのだ。

 やりたい放題やった挙句に知らぬ顔では、さすがに夢見が悪かろう。

 涼も琢磨に倣って先輩部員を担ぎ起こした。

「……ま、しゃあねえか」

 あまり気乗りしない風ではあるが、真一郎も二人の先輩部員を肩に担ぎ、保健室へと向かった。

 その後、何往復かして全員を保健室へ運び終わると、琢磨は深い溜息を吐いた。

 何度も保健室へ気絶した生徒を運び込んだのだから、当然、養護教諭は目を丸くして驚く。

 一体何事があったのかと説明を求められ、止む無く全て説明する破目になったのだ。

 とりあえずこの場は治療を優先させるという事で、三人には後日改めて事情を聞くという事になった。

「さて……掃部関と言ったな、行こうか」

「どこへ?」

「それは、お前に任せる。 出来れば、ご飯物がある所が良いんだが」

「何の話しだ?」

「さっき食事をしに行くと言ったろう。 まさか、男が一旦口にした事を翻すつもりじゃあるまいな?」

「真、観念しろよ。 こいつの腕前は見ただろ? 半端な上級生達とは違うぜ。 本物の剣道の心得のある奴が竹刀を持ったら怖いぞ?」

「うう……。 じゃあ行きましょうか、皆さん……」

 琢磨が着替えるのを待って三人が道場から出ると、丁度遅れて来た雛子とばったり会い、そのまま一緒に学校を出る事になった。

 道場で何をしていたのか、どうして真一郎の元気が無いのか、一緒にいる琢磨とは、どうして親しくなったのか。

 雛子の疑問は尽きる事が無かったが、どれ一つとして、まともな答えは返って来なかった。

 何故か店まで無言のまま、右手と右足を同時に出しながらギクシャクと歩いていた琢磨だったが、店内に入り、席に案内されるや否や、

「お……お、おおおおおおおお俺は、うううううううう浦崎琢磨だ。 よ、よよよよよろしく!」

 直立不動の状態で雛子に向かい、いきなり自己紹介を始めた。

 あまりにも突然の事で、涼も真一郎も目を丸くしている。

「う、う、う、浦崎君……? 変わった名前だね……」

 ここに来て、初めて琢磨が自分と同じクラスだと知らされた雛子は、かなり驚いた。

 クラスの全員と話したつもりでいたのに、琢磨とだけは今までに一度も話した事が無かったばかりか、その存在すら記憶に無かったのだ。

 どうやら普段の琢磨は極力女子との係わりを避けていて、その視界の内に入る事さえ避けているらしい。

「ヒナ、そこでボケるな。 単にどもってるだけだろ」

「何を緊張してんだ? お前は」

 チビチビと水を飲みながら訊く真一郎に対し、琢磨は顔面を真っ赤にしたまま、

「お、俺は女性の前に立つと、上手く言葉が出て来ないんだ……」

 と、今にも消え入りそうな声で言った。

「面白い奴だな、真とは正反対だ。 こいつは女の前に立つと、言葉が溢れて止まらなくなるんだぜ」

「羨ましいな、それは……」

 水を一息に飲み干して何とか落ち着いたのか、琢磨はようやく席に腰を下ろし、大きく溜息を吐いた。

「ところで琢磨、お前、明日からの部活どうすんだ?」

 ボリボリと氷を齧りながら真一郎が訊いた。

「いきなり名前を呼び捨てか? まあ、いいか……勿論出るさ、俺は剣道が好きだからな」

「けど、出辛くないか? あんな事になっちまって」

「あんな事? 涼ちゃん、あんな事って? 何かあったの?」

「え? あ、いや、大した事じゃねえよ。 ちょっとゴタゴタしただけだ。 な、琢磨」

「お前もか……。 親しげなのと無礼なのと紙一重だな、お前達は」

「俺らはフレンドリーな関係を作るのが基本形なんだ。 な、涼」

「そりゃお前だけだって……」

 その後、お互いの呼び方について話し合いが持たれた (琢磨が煩く言った) のだが、どうにも琢磨が呼び方について拘っていて、

「い、いや、俺は……さ、さ、佐伯さんと呼ぶのが正しいだろう」

 と、一歩も譲らない姿勢を見せた。

「え〜……? でも、それじゃ何だか堅苦しいよ。 真君みたいに、名前で呼んだ方が親しみ易くない? わたしも琢磨君って呼ぶから」

「そうだよなあ……。 ただでさえどもりまくってんのに、そんなにしゃっちょこばってたんじゃ、いつまで経っても馴染めないぜ?」

 誰にでも気軽に声をかけられる真一郎にしてみれば、それ程の事でも無いように思えるのだろう。

「だ、だが、俺は今まで女性の事を 『ちゃん』 付けで呼んだ事など無いし……うおおっ! 想像しただけで汗が吹き出る!」

「難儀なやっちゃな……」

「いっその事、雛子って呼び捨てにでもしたらいいんじゃねえかな? ヒナ、どうだ?」

「わたしは別に構わないけど……」

「ふふふふふふふざけるなっ! そ、そんな大それた真似が出来るかあっ!」

 ダン! とテーブルを叩き、飛び掛らんばかりの勢いで、琢磨は涼の提案を却下した。

「なら、雛子さんはどうだ?」

「わたし、それは少し抵抗を感じる……」

 普段の会話ならともかく、遠くから呼ばれた時の事を考え、それは雛子が却下した。

 しかし、これではいつまで経っても話が纏まりそうに無い。

「じゃあ、佐伯にしろよ。 それくらいなら、琢磨でも抵抗無く呼べるだろ。 ヒナも、それでいいよな?」

「し、しかし、それでは失礼に……」

「構わないよ、琢磨君。 早く慣れてもらわないと、わたしも話し難くなっちゃう」

「そ、そういう事なら……」

 何とか互いの呼び方についてはこれで治まったらしく、琢磨も若干落ち着いたようだ。

 しかし、何ともじじむさい奴だと、涼も真一郎も苦笑していた。

 ややあって、それぞれの前に注文した品が置かれ、雑談が始まった。

 だが、話題の中心になるのは琢磨の事ばかりで、芸能レポーターよろしく真一郎が矢継ぎ早に質問するものだから、琢磨の方はそれに対して答えるのに精一杯になってしまった。

 どうも琢磨は生真面目な性格が災いして、適当に誤魔化すといった事が出来ないようだ。

 やっとそれが一段落したところで、あまりにも煩い真一郎の事が気になったのか、

「まったく……。 俺達はもう中学生になったのだから、少しは常識という物を弁えてだな……」

 と、琢磨の説教が始まったのだが……。

「そうそう、知ってるか? 涼。 ニ年生にすっげえ可愛い先輩がいるんだぜ? 明日はその人に声かけてみようかと思ってるんだ」

 真一郎はまるで聞いていない。

「真君、少し控えた方がいいよ? 最近、真君の事があちこちで話題になってるみたいだから」

「懲りねえ奴だな、お前は……。 何でも勝手にやれよ、もう俺は何も言わん」

「俺の話しを聞かんかっ!」

「おい真、琢磨が怒ってるぞ」

「ああ、わりいわりい。 で、何の話だっけ?」

 琢磨は軽く咳払いをすると、

「そもそも、昔は元服と言えば十五歳だったんだ。 然るに、俺達くらいの年齢になれば、大人としての自覚を持って行動するのが、寧ろ当然とも言える訳で…………」

「それでな、涼。 俺様としてはだ、年齢なんてのは気にしても意味が無いと思ってるんだ」

「何で?」

「ただ単に何年生きてますってだけの、単なる目安じゃんか。 それよりも女性は性格! これに尽きるぜ。 ね、雛子ちゃん」

「見た目は? 真君、面食いでしょ?」

 ストローでジュースの氷をクルクルと回しながら雛子が言うと、真一郎はちっちっちっと人差し指を振りつつ、

「おっとっと、誤解しないで欲しいな〜。 俺は外見で女性の価値を決めたりしないぜ? 俺の好みは一途な子だからね、容姿は関係無いの」

 と、何故か偉そうに胸を張って言った。

「真君、偉い!」

「そうでしょそうでしょ」

「……俺の話しを聞けと言っておるだろうがっ!」

 すっかり琢磨を無視して雛子と盛り上がっている真一郎を見ながら、琢磨は拳を硬く握り、ワナワナと震えている。

「おい真、琢磨が怒ってるぞ」

「ああ、わりいわりい。 で、何の話だっけ?」

「お前……わざとやっているな……?」

「まあ、古典的なボケだな。 一応、琢磨も突っ込みの基本は出来てるみたいで、良かった良かった」

「お前とは、いずれじっくりと話し合う必要がありそうだ……」



 翌日、涼、真一郎、琢磨の三人は朝一番に職員室へと呼び出され、教師一同から厳重注意を受けた。

 だが、幸い大した怪我をさせた訳でもないという事で口頭での注意に止められ、日頃の真面目さもあった琢磨は、そのまま剣道部に残る事が許された。

 一頻り説教をされて職員室から出ると、さすがに少しやり過ぎたかと、涼と真一郎も思った。

 何しろ勝手に部活の場に乗り込んで大暴れしたのだし、結果的に琢磨まで説教される破目になってしまったのだから。

「……悪かったな、琢磨。 お前まで呼び出し喰らわせちまって……この通りだ」

 真一郎が長身を折り曲げて琢磨に言った。

「俺も、ちっとばかかり調子に乗り過ぎたな。 悪かったよ、琢磨」

 涼も真一郎に倣って頭を下げた。

 それを見て、琢磨はキョトンとした顔をしている。

「お前達、何を謝っとるんだ?」

「え?」

「お前達が謝るべきは俺ではなく、怪我をさせてしまった先輩達にだろう。 一緒に来い」

「一緒にって、どこへ?」

 歩き出した琢磨を追いながら、真一郎が言った。

「決まっているだろう、先輩達の所だ。 理由はどうあれ怪我をさせたのは事実だからな、謝罪はしなければならん」

「先輩達のって……今から二年の教室へ行くのか?」

「当たり前だ、放課後まで待っていてどうする。 謝罪は早くするに限る」

 真一郎は涼の顔を振り返ったが、涼は軽く頷くだけだ。

 やはり、ここは琢磨の言う通りにする以外に無いだろう。

 これから先も剣道部に所属する琢磨の事を考えれば、少しでも雰囲気を穏やかにしておく必要があるだろうし。

「気は乗らねえけどな……」

 多少不満は残るが、苦笑しながらポンポンと肩を叩く涼に促され、真一郎は階段を上った。

 だが、二年生の教室へ到着した琢磨が先輩部員を呼び出してもらおうと、教室の前にいた男子生徒に声をかけた途端、

「う……浦崎!?」

「はい、剣道部の浦崎琢磨と申します。 申し訳ありませんが、副主将を……」

「ひょっとして、お前の後ろにいるのは、宇佐奈と掃部関か……?」

「え? あ、はい、そうですが……それが何か?」

「お、おい、大変だっ! 浦崎達が来たぞっ!」

 と、男子生徒は大慌てで教室の中へ駆け込んで行ってしまった。

「……彼は何を慌てているんだ?」

「さあな。 おい、早くしないと授業が始まっちまうぞ? 嫌な事はさっさと済ませちまおうぜ」

 真一郎は先頭に立って、ズンズン教室内へ入ってしまった。

「あ、おい、真! ……やれやれ、勝手な奴だ。 あまり大勢の前で謝られては、先輩達も却って気を遣ってしまうだろうに」

「はは……まあ、それはねえと思うけどな。 俺たちも行こうぜ琢磨。 こうなっちゃ仕方ねえだろ」

「……それもそうだな」

 だが、涼が琢磨と共に教室内へ入ると、剣道部副主将である二年生男子生徒が、何故か真一郎から逃げ回っている。

「てめえ! 何で逃げやがんだ、こらっ!」

「お、お前が怖い顔で迫って来るからだろうが!」

「何を〜? この超絶美形な俺様を捕まえて、何て事を言いやがる! いいからそこでじっとしてろっ!」

「出来るかっ! 大体、何で朝っぱらからこんな所まで来るんだよっ!」

「だから、謝りに来たって言ってんだろうが! 素直に詫びを受けろ、この野郎っ!」

「それが謝るって人間の態度かーっ!」

 ガシャガシャと机にぶつかりながら逃げる二年男子を、これまた真一郎がラッセル車の如き勢いで追いかけ回すものだから、教室の中は見る間に滅茶苦茶になって行く……。

「涼……あいつは謝罪するという言葉の意味を、どんな風に曲解しているんだ?」

「俺に訊くなよ……。 とにかく、あの馬鹿を抑えないと」

 その後、涼と琢磨の二人がかりで何とか真一郎を押さえ付け、どうにか大人しくさせる事には成功したものの、騒ぎを聞きつけた担任教師に再び説教される破目になってしまった……。

「まったく……。 どうして謝罪に行って説教されねばならんのだ……」

「しかも今回、俺と琢磨は、とばっちり喰らったようなもんだしな……」

 それぞれの教室へと戻る途中で、涼と琢磨は文句たらたらである。

 しかし、言われている当の真一郎はと言うと、

「まあまあ、全部丸く収まったんだからいいじゃんか。 終わり良ければ全て良し!」

 と、まるで気にしていないようである。

 やれやれという感じで苦笑しつつ、けれど涼も琢磨も、こいつはどこか憎めない奴だと思った。


 その後、この一件でやたらに目立った真一郎は、何かトラブルなどがあると相談を持ちかけられる事が多くなった。

 勿論、その解決には涼や琢磨も借り出される事になる訳で……。


 後に三人は 『翔峡中学三軍神』 と称される事となる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ