表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/18

第十四章

 翌日。

 今日も天気に恵まれ、早朝から気温はグングンと上昇して行く。

 この分なら、絶好の海水浴日和になる事は間違い無いだろう。

 だが……。

「朝っぱらから覇気の無い顔を晒してるわねえ……」

 朝食の席で恭一と真一郎の顔を交互に見ながら、環が呆れたように言った。

 まあ、実際そう言われても仕方の無いくらいに、二人とも不景気な顔をしているのだが。

「あ〜、頭いてえ……」

 香ばしい香りを放つ焼きたてのパン。

 あっさりとしてながら、それでいてちゃんとお腹を満たしてくれそうな海鮮スープ。

 取れたての卵を使ったスクランブル・エッグなど、どれをとっても美味しそうだというのに、恭一はこめかみを押さえたまま手を出そうともしない。

「二日酔いになるまで呑むなんて、馬鹿のやる事よ?」

「いや、久し振りに楽しい酒だったもんでな、つい……」

 恭一と真一郎の二人は白々と夜が明ける頃になって、ようやく部屋へ帰って来たのだ。

 長時間の運転に加え、海で遊んだ上に睡眠不足でアルコール漬けとあっては、いくらタフな恭一でもダメージが残って当たり前である。

「真、お前も二日酔いか?」

 やはり自分の隣で大人しく座っている真一郎に涼が訊ねると、

「違う……ただの胸ヤケだ……」

 と言いつつも、大雑把にパンを千切って口に放り込んでいる。

 どうやら恭一とは違い、食欲は衰えていないようだ。

「へえ〜。 お前、恭さんより酒が強いんだな」

「いや……。 『中坊が酒を呑むなんざ十年早ぇっ!』 って言われてさ、コーラで一晩中付き合わされたんだよ。 ……ゲフ」

「……お前も付き合いいいねえ」

 それでも食事の手が進む真一郎を見て、タフな奴だなと涼は笑った。

 食事を再開しようとして、ふと視線を前に向けると……。

「ねえねえヒナちゃん。 ヒナちゃんの日焼け止めって、いくつ?」

「え〜っとね……顔用はSPF50で、身体用はSPF15の水に強いタイプ。 PA++」

「あ〜、わたし30のしか持って来なかった。 顔用のやつ貸して」

「うん、いいよ」

 何やら利恵と雛子が話しているのが聞こえた。

 聞こえたには聞こえたのだが、涼の耳には異国の人同士の会話に思える。

「……なあ真、あいつら何の話ししてんだ?」

 SPFだのPAだの、涼には何の事なのかサッパリである。

「SPFってのは紫外線Bを防ぐ指数だ。 数値が大きいほど防御効果は高くなる」

「PAってのは? それに紫外線Bって何だ? 紫外線にAとかBとかってあるのか?」

「お前、物知らなさ過ぎだぞ……。 PAってのは、紫外線Aを防ぐ指数だ。 +から+++までの三段階あって、+が多いほど防御効果が高い。 で、紫外線はその波長によってA波、B波、C波の三つに分類されるんだ。 でも、C波は殆ど大気中のオゾン層に吸収されちまうから、地表に届くのは日焼けの原因になるB波と、 『シワ』 とか 『たるみ』 なんかの、肌の老化の原因になるA波の二つだな」

「……お前よく知ってるな、そんな事」

「常識だ常識。 いいか? 女の子と出かける時には、そういった事にも気を配らないといけないんだ。 よ〜っく憶えとけ」

「俺はそこまで気を遣うくらいなら、家の中で燻ってた方がマシだ」

 それくらい授業の内容も記憶していれば、テストの点も良くなるだろうに……と涼は苦笑した。

「恭一、あんた、そんなんで海に行って大丈夫?」

「……まあ、何とかなるだろ」

 環の問いに、恭一は力無く答えた。

 まあ、そうは言っても普段から鍛えている恭一の事だ、回復までに然程の時間はかからないだろう。

「じゃあ、海までの運転はわたしがするわ。 その調子じゃシンドいでしょ?」

「……えっ!?」

 利恵と雛子は同時にお互いに顔を見合わせ、

「美浜さん! 海までの運転なら大丈夫ですよね? 大した距離じゃないし!」

「そ、そうですよ! あ、何なら海まで歩いたっていいですし!」

 と、慌てて言った。

 海に入る前にあの運転を喰らったら、とてもではないが遊ぶ気になどなれないだろう。

「何よ二人とも、そんなに焦って……」

 と、環が怪訝な顔をすると、

「さすがの利恵ちゃんも、昨日の洗礼は堪えたみたいだな」

 恭一は笑いを堪えながら、困ったような笑顔をしている利恵に言った。

「ええ、まあ……。 予備知識無しだったもんで……」

「大丈夫だよ、それまでには回復するから」

 そう言うと、恭一はコーヒーを一口飲んだ。

 それで多少はスッキリしたのか、いくらか顔に生気が戻ったように見える。

「昨日の洗礼って何だろ? 涼、何か知ってっか?」

「多分、お袋の運転の事だろ。 かなり荒っぽいから、普通の奴なら回復するのに二日はかかるぜ」

「ふうん……」

 その割には利恵も雛子も平気な顔をしている。

 いくら荒っぽいとは言っても女性の運転だ、涼が言うほど凄まじい物でもないのだろう……と真一郎は思った。


 その後、朝食を終えて身支度を整えた一行は、恭一の運転で昨日と同じ駐車場までやって来た。

 先日と同じように、浜辺にはたくさんの海水浴客がいるのが見える。

 沖合いの方にはジェットスキーを楽しんでいる人達もいて、真一郎は、それを見てはしゃいでいる。

「お〜! ジェットスキーじゃん! 俺も乗ってみてえんだよな〜、あれ」

「あれって、やっぱ免許要るんだろ?」

「ああ、特殊小型船舶操縦士の免許が要るんだ。 十五歳九ヶ月以上から受講出来るよ」

「単車と同じか……んじゃあ、俺は単車の方がいいな。 ジェットスキーじゃ、海とか湖じゃなきゃ乗れねえし」

「ま、そりゃそうだけどな。 一応、そんなのも持っててもいいんじゃねえか? 色々と遊びの幅が広がるじゃん」

 アウトドアもインドアも、とにかく真一郎は興味を惹かれる範囲が広い。

 面白そうな物に対するアンテナは、常に何かを探しているのだ。

「あ〜あ、誰かのケツでもいいから乗りてえなぁ〜……」

「じゃあ真ちゃん、わたしと一緒に乗ろうか? 近くにレンタルしてくれるお店があるし」

「え? 環さん、免許持ってるんですか?」

 真一郎が驚いたように言うと、環は得意げに胸を反らした。

「あったり前なのさ。 こう見えても一級小型船舶海技免状まで持っているのだぞ。 どうだ、参ったか!」

「ほえ〜……」

「他にも色んな免許持ってるわよ。 さすがに航空機までは手が回らなかったけど、戦車とか電車以外なら、大抵の物は運転出来るのだ!」

「恐れ入りました」

 素直に感心している真一郎の様子を、利恵と雛子の二人は何やら複雑な表情を浮かべて見ている。

「ねえ、ヒナちゃん。 お母様、全部あの調子で運転するのかな……?」

「多分……」

「だよねえ……」

 一瞬、真一郎に忠告してあげようかと思った二人だったが、それで環のご機嫌を損ねてしまうのもマズい。

 何しろ、既に環は大いに乗り気なのだから……。

「環さん、それじゃ早速レンタルしに行きましょうよ」

「OK! この環ちゃんの腕前を見せてあげようぞ!」

「おお! 頼もしいお言葉! 涼、お前も一緒に行くか?」

「いや、俺は普通に泳ぐだけでいいよ」

「そっか、じゃあな。 あ、涼! 昼近くになったら、昨日シャワー使った海の家に集合しようぜ! 場所、判るだろ?」

「ああ、大丈夫だよ。 恭さんもいるしな」

 涼達に軽く手を振って、環と真一郎は意気揚々とレンタルショップへ向かって歩き出した。

「行っちゃった……大丈夫かな、真君」

「真君、迷わず成仏してね……」

 無邪気に喜んでいる真一郎を見送りながら、利恵と雛子は心の中で手を合わせていた……。

「んじゃあ俺達も行こうよ、恭さん」

「ああ、俺はボートでも借りて来るわ。 今日は泳ぐのはパスして、のんびりする」

「ヒナちゃん、わたし達も着替えに行こうよ」

「う、うん……あの、わたしも今日は美浜さんと一緒にボートに乗ってるから……」

「え? 何で?」

 一瞬、雛子が自分に余計な気を遣っているのかと思った利恵は、ちょっとムっとした感じになったのだが、

「実は、わたし泳げないの。 だから……」

 おずおずと雛子が少し恥ずかしそうに言うのを聞いて、

「な〜んだ。 そんなの、わたしが教えてあげるわよ。 大船に乗った気でいなさいって」

 と、胸を叩いて言った。

 そして、

「それにしても……幼馴染のクセして冷たいなあ、涼は」

 腕組みをしつつ、涼に向かってイヤ〜な視線を送った。

「何が?」

「何が? じゃないよ。 自分は泳げるくせして、どうして今までヒナちゃんに教えてあげなかったの?」

「いや、何度も教えたよ。 でも、どうしても水を怖がっちゃってダメなんだよ、ヒナは」

「水が怖い?」

 小さい頃に宇佐奈家と佐伯家で海に出かけた時、大人達がちょっと目を離した隙に涼と雛子の二人で勝手に海に入ってしまい、雛子だけが波に引き摺られ、そのまま沖の方へ流されてしまった事があるのだ。

 それ以来、雛子は水に対して恐怖心を持つようになってしまい、どうしても水に浸かると身体が強張ってしまうのだそうだ。

「プールでも駄目? ヒナちゃん」

「う、うん……。 とにかく、水の中に入るともう駄目。 頭では大丈夫って思ってても、身体が自由にならなくて……」

「成る程、身体が拒絶反応を起こしちゃうのね。 それじゃあ、まずは水に慣れる事から始めないと駄目か」

「お風呂で顔を浸ける練習とかしてるんだけど、やっぱり息が詰まる感じがしちゃって」

「でもまあ、そんなに焦らなくてもいいじゃない。 とりあえず、今回は水に馴染む事を目標にしようよ、ね? そうと決まればレッツゴ〜!」

「あ、利恵ちゃん! ちょっと待って!」

 まだ少し抵抗を感じている雛子の足は躊躇いがちだが、それを物ともせずに、利恵はどんどん雛子の手を引っ張って歩いて行く。

 そんな二人の様子を見ながら、

「行っちまった……変な奴だな、あんなに楽しみにしてたくせに」

 と、涼は不思議そうな顔をして呟いた。

「楽しみ? 何がだ?」

「いや、あいつさ、今日は俺と一緒に泳ぐんだって言って、昨夜やたらはしゃいでたんだけど……忘れちまってんのかな?」

「ほほぉ〜……?」

 どうやら涼が利恵の事を気にしていると見るや、恭一は途端にニヤニヤし出した。

 だが、それを受ける涼は、やや不満気だ。

「……変な目で見ないでよ。 元々あいつが勝手に言い出した事なんだから、俺には関係無いって」

「はいはい。 しかしまあ、利恵ちゃんも情に厚いと言うか、不器用と言うか……可愛いな」

「何の話?」

「ま、それが解るようにならなきゃ、お前もいっぱしの男とは言えねえな。 さ、俺達も行くぞ」

 頭の上にたくさんの疑問符を出しながら、それでも涼は促されるまま、恭一と共に貸しボート屋へ向かうのだった。



「そうそう、その感じ。 何だあ、そんなに怖がってる風でもないじゃない」

 利恵達四人は浜辺に近からず遠からずの場所で、早速雛子の泳ぎの練習を始めた。

 ゴムボートの縁に付けられたロープに掴まりながら、今はバタ足の真っ最中である。

 涼と恭一はボートの上で余計な口出しをせずに見守り、利恵は海に入って雛子のお腹を支えつつ、アドバイスをしている。

 最初はどれだけ雛子が怖がるかと心配していた利恵だったが、意外にも普通に練習を始めたので、少し拍子抜けするような気分だった。

「い、一応これくらいは……。 ただ、手を放すと、あっという間に沈んじゃうんだけど」

「ああ、それは全身が強張って余計な力が入ってるからだよ。 ヒナちゃん、リラックスリラックス」

「頭では解ってるんだけど、これがなかなか……」

 雛子の水に対する恐怖心は、どうやら相当強い物らしい。

「まあ、一朝一夕に泳げるようになるものでもないし、地道にゆっくりやろうよ」

「でも……中学生にもなって泳げないなんて、恥ずかしくて……」

「これこれ、世の中には色々な人がいらっしゃいますよ? ロクに料理も出来ないわたしから見れば、ヒナちゃんは神にも等しい存在ですが?」

「でも……」

「他人と自分を比べるのはいいけど、その度にへこんでたら意味無いよ? 常に前向きで行かねばなんねえぞっと」

 そう言うと、利恵は雛子のお尻をペタペタと軽く叩いた。

「ちょっ……! やめてよ利恵ちゃん! ビックリしたよぉ!」

「あはは。 なかなかぷりち〜ですな」

「お……おやじ臭い……」

「何を〜?」

 練習しているというより、何か二人でじゃれあっている感が強いのだが、まあ楽しそうなので、それはそれでいいだろう。

「こんなんで泳げるようになるのかね……?」

「ま、水泳選手になろうってんじゃねえんだから、楽しんでやってりゃいいさ」

 涼は疑問視しているようだが、恭一は二人の様子を見て笑っているだけだ。

 そして、ふと涼の顔に視線を移して言った。

「こうしてるとよ、昔の事を思い出さねえか? 涼。 まだ保が生きてた頃の事を」

「……俺も今思ってた。 親父がヒナに泳ぎを教えてたっけね」

「あいつの教え方で何か出来るようになったら、そりゃあ教わる方が天才なんだ」

「はは。 親父は説明下手だったからね」

 教わる度に理解出来ない事が多くて、 涼が 『解んないよ!』 と文句を言えば、 『何で解んねえんだ!』 と、保も癇癪を起こしていた。

 これでは上達するのに時間がかかって当たり前である。

 そんな風に、二人が思い出話に耽っていると……。

「ねえねえ、お姉ちゃん何してんの?」

 いつの間にか小学生くらいの子供が二人、ゴムボートに乗って近くに来ていた。

 兄妹と思われる二人は、じっと雛子の練習する姿を見ている。

「えっと……何と言われても……」

「バカだな、お前は。 泳ぐ練習に決まってるだろ? さっきのはバタ足って言うんだぞ」

 兄と思われる男の子は得意気に言った。

 恐らく自分も習ったばかりなのだろう、知識をお披露目したくて仕方ないといった感じだ。

「ふ〜ん……お姉ちゃんも泳げないの? じゃあ、あたしと同じだね〜」

 女の子は仲間を見つけた嬉しさからか、益々ニコニコしながら雛子を見つめている。

「あ、あのね、あんまり見られると恥ずかしいんだけど……」

「何で〜?」

「な、何でって言われても……」

「はいはい、お姉ちゃんは今忙しいのだ。 童達は他の場所で遊びなさい」

 素直に子供達の質問に答えようとして焦っている雛子に、利恵が助け舟を出した。

 だが……。

「こっちのお姉ちゃん、感じ悪〜い……」

「ほんとほんと〜。 海はみんなの物なんだから、どこで遊んだっていいんだぞ〜」

 と、子供達の逆襲に遭ってしまった。

「う……こ、小憎らしい小童共めぇ〜……!」

 さすがに子供に正論で返されてしまうと、利恵としても何も言えない。

 相手が涼や真一郎なら次から次へと言葉を繋いでやり込められるし、最悪、実力行使も出来るのだが、まさか子供相手にそれも出来まい。

「相手が子供じゃ、お前も形無しだな」

「何よ涼! 冷静に見てないで、少しはわたしに加勢しなさいよね!」

「やなこった」

 子供相手にムキになる利恵を見ながら涼が苦笑していると、

「ねえ、何かこっちに来るよ?」

 兄妹の兄の方の子が、涼達の背後、沖の方に向かって指差しながら言った。

 どうやらジェットスキーのようだ。

「お袋達かな?」

「いや、環の運転にしちゃ穏やか過ぎだろ。 それに、乗ってるのは一人みてえだしな」

「ねえ涼、こっちに突っ込んで来るような感じしない?」

「ん?」

 確かに利恵の言う通り、通り過ぎるにしても、少しこちらとの距離が近いように思える。

 まあ、それでもぶつかるような事は無いだろうが……。

「運転してる奴……こっちに気付いてないなんて事はねえだろうな?」

「ヒナちゃん、しっかりつかまってた方がいいかも」

「うん」

 雛子が利恵の言う通り、ボートの縁に付いているロープを握り直そうとした時、ジェットスキーはかなりの速度でボートの傍を通過した。

 あまり運転が上手くないのか、それとも涼達に気付くのが遅れたのかは定かでないが、通り過ぎる直前にハンドルを切ったらしく、今まで穏やかだった海面は大きくうねった。

「うわっと!?」

 その大きなうねりは涼達のボートを翻弄し、ボートはかなりの角度で傾いた。

 握り直そうとしていた雛子の手は簡単にロープから引き剥がされ、雛子とボートの距離が開いてしまった。

「ヒナちゃん!」

 利恵は必死に雛子のサポートをしようとするのだが、自分自身も身体が思う通りに動かせない。

 それでも何とか雛子が海中に没する事だけは防いでいる。

「涼! そっち持てっ!」

 恭一と涼は自分達と子供達のボートを押さえようとするが、こちらも体勢が整わず、思うに任せない。

「お兄ちゃん! 怖いよーっ!」

「しっかり掴まってろ! 手ぇ放すなよっ!」

 子供達の乗ったボートは涼達の物よりも小さい為、更に激しく揺さぶられている。

 二人とも何とかバランスを取ろうと頑張っていたが、子供の身でいつまでも耐え切れる訳も無く、二人ともボートから振り落とされた。

「まずい! チビどもが落ちたっ!」

 まだうねりの収まらない海中に落ちたら、小さな子供ではそれに抗えない。

 恭一は即座に海に飛び込み、子供達の救助に向かった。

「利恵! ヒナを頼むっ!」

 恭一だけでは二人も抱えられないと判断し、涼も続いて海に飛び込んだ。

 利恵は沈みかけた雛子の身体を支えながら、そのままボートまで辿り着いた。

「ヒナちゃん、大丈夫!? 水飲んでない!?」

「大丈夫! それよりボートが流されないように押さえ……もう一台来たっ!」

 今度は先程の物よりも大型で、更に速度が速いように思える。

 あんな物が通り過ぎたら、今度はどんな被害を受けるか判らない。

 だが、それを運転しているのは……。

「わたしの身内に暴挙を働いて、ただで済むと思うなよーっ!」

「お、おば様!?」

「お母様! そのままのコースはまずいですって! もっと離れて下さーい!」

 雛子と利恵は必死になって環にコースを変えるように叫ぶのだが、環の方はお構い無しに突っ込んで来る。

 どうやら先程のジェットスキーを追いかけるつもりのようだ。

「心配するな娘達! 真ちゃん、フォローよろしく!」

「了解であります! 第一のコース、掃部関真一郎君! 用意……ドン!」

 環の運転するジェトスキーが通り過ぎるのと同時に、真一郎が利恵達の方へ向かって飛び込んだ。

 即座に発生するうねりを物ともせず、真一郎は二人を抱えるようにすると、そのまま二つのボートを掴んで自分の方へと引き寄せた。

 真一郎の豪腕に抱えられているお蔭で、雛子も利恵も波を食らっても沈む心配が無い。

 まあ、かなり多目の飛沫を被ってしまうのは仕方ないが……。

「ありがとう、真君」

「なはは。 合法的に密着出来るとは、役得役得」

「こら、スケベ大王! いつまでもくっ付いてないで、涼達も何とかしなさい!」

「あの二人なら大丈夫だよ、ほら」

 真一郎が引き寄せたボートの端には、しっかりと涼と恭一がつかまっている。

 勿論、その腕に子供達を抱きながらだ。

「ナイスフォローだぜ、真」

「肝冷やしたぜ……おいチビども、大丈夫か?」

 子供達をボートに上げると、恭一はホっとしたように言った。

「大丈夫。 ありがと、おじちゃん」

「おじ……。 こういう時には、お兄ちゃんと言うのが礼儀なんだぞ? 憶えとけ」

「何で〜? おじちゃんは、おじちゃんだよ〜?」

「いや、物事には本音と建前というのがあってだな……って、言ってて虚しくなるから、もういい」

 確かに、子供達から見れば恭一は充分おじさんである。

 利恵と雛子は恭一に悟られないように苦労しながら、クスクスと笑い合っていた。

 その後、何故か子供達は涼の事が気に入ったらしく、昼過ぎになるまでずっと涼と遊んでいた。




 夜になって、涼達は昨夜と同じ小宴会場に集まり、

「第二回! 大宴会開催〜っ!」

 と、環が言うように、夕食というよりは単なる宴会の席に着いていた。

 今夜は疚しい考えを持っていないので、恭一も真一郎もしっかりと腰を落ち着けている。

 ちなみに、お膳の中央にデンと構えている豪勢な舟盛りは、海で涼達のボートを転覆させたジェットスキーの運転者からの差し入れだ。

 環は紳士的な話し合いの末に導き出した結論だと言っていたが、どうにも怪しい物である。

「恭さ〜ん……硬い事言わないで、一杯くらいいいじゃないっすか〜」

「ザけんな。 中坊に酒なんか呑ませられるかよ。 真一郎はコーラでも飲みながら、俺に酌してろ」

「もうコーラはいいっすよ……見ただけで胸焼けしそう」

 恭一の差し出したグラスにビールを注ぎつつ、真一郎は溜息を一つ吐いた。

「ま、お前らが二十歳になったら色んな所へ連れてってやるから、それまで我慢しろ」

 普段は色々と無茶をやる恭一だが、意外と真面目な一面を見せている。

 もっとも、今回は保護者として同行しているのだから、あまり不真面目では困るのだ。

「あらら? もう無くなっちゃった……お姉さ〜ん! お酒追加ね〜!」

「おい環、お前ピッチ早いぞ。 もっとゆっくり呑めよ」

「黙れ、この軟弱二日酔い男め。 わたしに意見するなんて十年早いわ!」

「うわばみめ……って、おい、真一郎! お前は食い過ぎだ、こら! 舟盛り抱えて食う奴があるか!」

「呑めない分は食うのが俺のジャスティス! 油断してると餓死しますよ」

 恭一と環は酒に、真一郎は美味しい食事にと、それぞれ舌鼓を打っている。

 そんな中……。

「ねえ、確かに言ったよね、ヒナちゃん」

「う〜ん……判んないなあ。 わたし夢中でもがいてたから、周りの音なんて耳に入って来なかったし」

「何だよぉ〜、味方してくれなきゃダメじゃん」

「そ、そんな事言われても……」

 何故か利恵だけ少々機嫌が悪い。

「お前の聞き間違いだよ。 大体、俺がお前の名前なんて呼ぶ訳ねえだろうが」

「わたしの耳は感度良好なんだぞ? 聞き間違いなんて絶対にしないもん」

「世の中に絶対なんて事はねえの。 大方、耳鳴りでもしてたんだろ」

 そう言うと、涼は刺身を一切れ口に放り込んだ。

 勿論、自分の口にである。

 さすがに海の傍だけあって魚が旨い。

 昨夜は恭一と真一郎の二人にせっつかれていて、しっかり味わって食べられなかったが、今日は思う存分堪能出来そうだ。

 但し、今は利恵が煩いので、涼としてはこれを何とかしたいところなのだが……。

「いいえ! 確かに 『利恵』 って呼びました!」

「しつけえな、お前は。 呼ばねえったら呼ばねえよ」

 この切り替えしでは話が進まないどころか、却って火に油を注いでいるようなものである。

「とにかく呼んだったら呼んだの! なので、今後もちゃんと呼ぶように。 いい?」

「やなこった」

「むぅ〜……どこまでも強情な奴め!」

 しかし、何だかんだ言いながら利恵も楽しそうである。

 思えば、こんなに涼とスムーズに会話したのは、これが初めてではないだろうか?

 と、そこへ、

「こらあ〜、そこは何をモメてんだぁ?」

 一升瓶片手に環が乱入して来た。

 いい具合に酔っ払っているようで、日焼けとは違う頬の赤みが目立つ。

「酒は楽しく呑め、若人達よ」

「俺達は素面だっつーの」

「じゃあ呑め。 呑んでしたたかに酔え」

「未成年に酒を勧めるなよ……」

「お? お? 普段は酒も煙草もやりくさる小僧が、な〜にを真面目ぶってんだ、こら」

 そう言うと、環は涼をヘッドロックの体勢に捉えて、一升瓶の底で頭をグリグリとし始めた。

 どうやら涼の思っていた通り、普段の涼の行動は全て環に看破されているようだ。

「いてててて! やめろって! 完全に酔ってるな、こりゃ……」

「宴会の席で遠慮はタブーじゃ。 勧められた物は、例え劇薬でも口に入れろ」

「無茶苦茶言うなーっ!」

「あー! やっぱりお兄ちゃんだー!」

 突然、小宴会場の襖が全開になったと思ったら、やたら元気な声と共に二人の子供が中に駆け込んで来た。

 昼間、涼達と一緒にいた、あの兄妹だ。

 恐らく涼の声を聞きつけたのだろう。

「おう、チビども、まだ起きてんのか。 飯食ったか?」

「食った〜! これからお風呂行くんだ」

「こらこら、チビっ子に汚い言葉を教えない! 二人とも、こういう言葉は真似しちゃ駄目だよ?」

 利恵がすかさずフォローを入れるが、子供は大体が下ネタや、少し乱暴な言葉を面白がる傾向がある。

 それに関する注意や指導など、聞く耳持っちゃいないのである。

「このお姉ちゃんうるさ〜い」

「そんなだからオッパイが小さいんだぞ」

「な……何て生意気な! わたしのは標準サイズなんです〜! 決して小さくありません!」

「でも、こっちのポニテのお姉ちゃんは大きいよ? な?」

「うん、お姉ちゃんの倍くらいあるよ。 お母さんみたいなの」

 幼い兄妹は雛子の胸を指差すと、二人同時にうんうんと頷いて見せた。

「本当!? ヒナちゃん、ちょっと見せてみなさい!」

「利恵ちゃんまで一緒になって何言ってるの!」

 最初は入り口の所で子供達を呼んでいた両親と思われる二人だったが、子供達が戻って来ないだろう事を悟ると、申し訳無さそうにしながら室内へ入って来た。

 まあ、この場にいる全員が子供好きな事もあって、子供達の乱入に何ら問題など無いのだが、やはりそこは大人としてと言うより、人の親としての常識が顔を出すのだろう。

 すぐに子供達を連れて部屋を出て行こうとするのだが、子供達は涼達にすっかり懐いているらしく、テコでも動きそうに無い。

 子供は一旦気に入ったおもちゃに対しては執着心が強いのだ。

「まあまあ、袖触り合うも多生の縁と言うじゃありませんか。 どうです? よろしければご一緒に」

「恭一は回りくどい! はいはい、遠慮なんてしないでコップ持って! 一緒に楽しく呑みましょう!」

 すっかりいい気分になっている環は、相手が呑めるかどうかなどお構い無しにコップを持たせると、そこへ並々と酒を注いだ。

 拒否する事など許されそうも無い勢いである。

「お、おい環、無理強いしたら却ってご迷惑に……」

「呑めなかったら雰囲気で酔ってればいいの! 場を盛り上げるのは心配りだぞ! 童達にはジュースでも持てい!」

「まったく……すみませんね、こいつ酔っ払うと見境が無くなるもんで……」

 ぺこぺこと頭を下げる恭一に、子供達の両親は益々恐縮している。

 涼としては頭を抱えたくなるような光景なのだが、環がここまでノってしまうと、最早誰にも止める術が無い……。

「真ちゃん、何かギャグは無いのか! そろそろ取って置きを出しなさい!」

「仕方ありませんね……忘年会まで暖めておきたかったネタですが、環さんのリクエストとあれば、ご披露せねばなりますまい!」

 環の指名を受けた真一郎は即座に立ち上がり、何やらゴソゴソと準備を始めた。

 言葉の通り、何か宴会芸を見せるつもりなのだろう。

「……子供に見せても大丈夫な芸なんだろうか?」

 涼としてはかなり不安だったが、ここまで盛り上がってしまうと、もう流れに任せる以外どうしようもない。

「来年は絶対に琢磨と二人だけで来よう……」

 もう周りを気にしない事に決めて、一人黙々と食事を続ける涼であった。

 さっさと済ませて、とっとと部屋へ避難しよう。

 それが唯一選択出来る最善の方法である。

「でさあ、涼。 さっきの続きなんだけど……利恵って呼んだよね?」

「お前もしつこい! 俺は飯食ってんだから邪魔すんな」

「食べさせてあげよっか? あ〜んって」

「……頼むから飯くらい静かに食わせてくれ」

 しかし涼の願いも虚しく、準備の整った真一郎の宴会芸が始まると、場は一層の盛り上がりを見せ、更に煩さを増した。

 そして、それは他の客から苦情が出るまで続いたのだった……。




「う〜ん……もう食えないっすよ……。 涼、お前にくれてやる……」

 そう言うと、真一郎は大きな身体をゆっくりと左に起こし……そのまま涼の上に着地した。

「痛っ! ……この野郎、お前はもっとそっちで寝ろ!」

 自分の上に乗って来た真一郎を恭一の方へに蹴り飛ばすと、涼は布団の上に上半身を起こした。

「くそ……目が覚めちまった。 今何時だ?」

 枕元に置いた自分の腕時計を月明かりに透かして見ると、時刻は午前三時少し過ぎを指している。

 部屋に戻って寝たのが午前零時くらいだったから、まだ三時間しか寝ていない事になる。

「ぐががが……やんのか、この野郎……俺に逆らうなんぞ十年早ぇ……ぐう……」

「ん……何だとぉ? 上等だ、こら。 ……ぐうぐう……」

「二人して夢の中で喧嘩してんのか……?」

 涼が転がしたせいで、真一郎は恭一に覆い被さるような体勢になっている。

 きっと、それで喧嘩の夢になってしまったのだろう。

 お互いに顔を小突きながら寝ている。

「ここまでやって、何で起きないんだろうな、この二人は」

 涼は苦笑すると、再び枕の上に頭を落した。

 明日の今頃は、自分の部屋で一人で寝ているのだろう。

 そう考えると、何だか不思議な気分だ。

 普段はあまり他人に干渉される事を好まない涼であるが、こんなのもいいな……と思えた。

「親父が死んでから、あんまり大勢で騒いだりってしなかったもんな……」

 うとうとしながら考えている内、いつの間にか涼は眠っていた。

 目覚めた時には憶えていなかったが、何となく楽しい夢を見たような気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ