40話:価値の意味
帰ってきてひと月が経った。
領地は動いている。南の倉庫が稼働して、荷馬車の出入りが増えた。住居の空きが減っている。他領から来た商人がトビアスと取引の話をしている。ルッツの計画通りに道と建物が形になっていく。数字は毎日良くなっている。
落ち着いた。王都の喧騒が遠くなった。帳簿を読んで、出荷を管理して、ルッツの報告を聞いて、セバスの紅茶を飲む。日常が戻ってきた。
だから——棚上げしていたものに、そろそろ向き合える。
帳簿を閉じた。グレンを鑑定した。
> 【グレン・ファルクス】
> 現在価値:4,999
> 潜在価値:9,999
変わっていない。王都から帰ってきてから何度か見たが、ずっと4,999のまま。
公金輸送の時に気づいた。それまで1,200で止まっていた数字が、いつの間にか4,999。何があったかも分からない。あの時は王都行きが優先で、後回しにした。
今日こそ考える。
(4,999。潜在9,999。あと5,000で上限。なんでこんなに上がったの?)
能力じゃないことは分かっている。以前、戦わせても、指揮させても、知識を問うても動かなかった。なのにいつの間にか4,000近く上がっていた。この人が急に何かの能力を身につけたとは思えない。
(じゃあ、この数字は何を測ってるの)
鑑定は「現在価値」と「潜在価値」を返す。ずっと、能力や地位を反映した数字だと思ってきた。実際、大体はそうだ。有能な人間は高いし、地位のある人間も高い。城壁の不正を暴いた時も、帳簿の嘘を見抜く時も、数字は正確だった。
でもグレンの4,999は能力では説明がつかない。
(……もしかして、私が前提を間違えてる?)
ペンを置いた。椅子の背にもたれる。
鑑定を信じてきた。数字は嘘をつかないと。でも「数字が正しい」ことと「数字の意味を正しく理解している」ことは別だ。帳簿と同じ。数字は合っているのに、読み方が間違っていれば結論を誤る。
(鑑定が測っているものを、私は本当に分かってる?)
***
取引先から贈答品が届いていた。上等な箱に入った赤ワインが二本。王都の商会からの挨拶品。産地と年号の札が添えてある。
ふと、思いついた。
「セバス、うちのワインある?」
「果樹園のものが少し」
「持ってきて」
二本を並べた。贈答品の方が明らかに格上。瓶の形も封蝋もラベルの紙質も違う。値段は何倍も違うだろう。
鑑定した。
贈答品:250。アーレン領産:300。
(安い方が高い)
一口ずつ飲んでみた。贈答品は悪くない。でも特別でもない。アーレン領の方が好きだ。果実味が強くて重くない。
(好みの問題? ……いや、それだと鑑定の意味が変わる)
机の上にペンが二本ある。ずっと使っている安物と、先日セバスが用意してくれた上等なもの。穂先が柔らかいらしいが、まだ手に馴染まない。
安物:200。上等:100。
(また逆)
値段が高い方が低い。使い慣れた方が高い。
(「価値」って、市場価格じゃないのか……?)
思い返してみる。セバスの焼き菓子の時。あの時、セバスの数字が急に上がった。焼き菓子を食べた後に鑑定したら90も。あれは「セバスの能力が上がった」のか? 焼き菓子が上手いのは前からだ。なのにあの日だけ90上がった。
あの時は深く考えなかった。でも今、ワインとペンを並べた後だと——あの90も、同じ種類のずれなんじゃないか。
(断言はできない。でも、少なくとも鑑定は「客観的な能力値」だけを返してるわけじゃない)
***
午後、見回りに出た。グレンが横を歩いている。
歩きながら、目につくものを鑑定した。倉庫。道。住居。畑。数字は概ね、整備の度合いと一致している。手をかけた場所は上がっている。そこは矛盾しない。
住民も何人か。前に見た時より上がっている人が多い。領地が安定してきた影響だろう。これも説明がつく。
老婆が畑の脇にいた。蕪を持っている。
「お嬢、おかえり。またなんか難しい顔して歩いとるね」
「別に難しい顔はしてないわ」
「はいはい。ほれ、蕪」
断る前に手に押しつけられた。
鑑定。550。
足が止まった。
同じくらいの年齢の住民は、良くても400前後だ。老婆は畑仕事と近所付き合い以外に特別なことをしているわけではない。体力は年相応に落ちているだろう。能力で説明できる数字じゃない。
でもこの人はいつも蕪をくれる。追放されてきた時から。領地が空っぽだった頃から。
(……能力じゃない何かが、数字に載ってる?)
蕪を持ったまま歩き出した。老婆が後ろで何か言っている。「煮るなら塩だけでいいからね」。聞こえているけど、頭は別のところにある。
(もし鑑定が「能力」だけを測ってるなら、あの人の550は説明がつかない。ワインの300も、ペンの200も。でも「使い慣れた」とか「好き」とか——そういうものが混じっているなら)
足が止まった。
(グレンの4,999)
能力では説明がつかなかった。何をさせても動かなかったのに、いつの間にか上がっていた。
もし能力じゃないものが数字にのるなら。
(……何が、のった?)
答えが出そうで、出ない。指先に触れかけて、するりと逃げる感覚。
「……アイリス様?」
グレンの声で顔を上げた。立ち止まっていた。グレンが少し先で振り返っている。
「何でもないわ。行きましょう」
歩き出した。蕪がまだ手の中にある。
***
執務室に戻って、今日の鑑定結果を帳簿の端に書き出した。
ワイン:値段の高い方が低い。使い慣れた方が高い。
ペン:同上。
住民:概ね整備度・生活安定度と一致。
老婆:能力では説明がつかない。
一つだけ言えるのは、鑑定が返す「価値」は、市場価格とも、純粋な能力値とも一致しないということ。何か別のものが混じっている。私の主観なのか、もっと別の基準なのか、まだ分からない。
(もう少し例が必要ね……)
ペンを持ち直した時、ふと思った。
ルッツのこと。王子のこと。ミレーヌのこと。
鑑定の仕組みすら分かっていないのに、その数字を元に人の中身をいじった。ルッツは結果的にうまくいった。計画の質が上がった。でもそれは結果論だ。
前世で嫌というほど見てきた。数字だけで人を評価して、数字で人を配置して、数字に合わない人間を切り捨てる。自分もそうやって潰された。あの組織にいた人間たちと、自分は何が違う?
数字を読む側から、数字を動かす側に回った。その数字が何を測っているのかも分からないまま。
(……必要な時以外は、使わない)
そう決めた。決めたら、少し胸が楽になった。
***
夕方、書簡が二通届いた。
一通目はヴァルト商会。前回の続報。王都の市場は持ち直してきているが、以前とは様子が違うと書いてあった。帝国系を名乗る商会が、潰れた店を好条件で買い取っている。救済のような顔で入ってきている、と。
(……早い)
予想はしていた。嘘の信用が剥がれた混乱に、つけ込まれる。でも思ったより早い。
二通目はロッソ商会。港町から。エルスト商会が消えた後、別の帝国系が入ってきた。前より好条件で、周りの商会がどんどん流れている。ロッソ商会は踏みとどまっているが、孤立しつつある。
二通を並べた。王都と港町。場所は違うが構図は同じだ。
放っておけない。でも今すぐ動けるわけでもない。足元が固まらないうちに外に手を伸ばしたら、全部が中途半端になる。
書簡を引き出しにしまった。
窓の外でルッツの声がする。若手に何か教えているらしい。声が明るい。
グレンが壁際に——いない。机の横にいた。
「南の水路の件、ルッツが完成したと言っていました。明日確認しますか」
「ええ。朝一で見に行く」
「分かりました」
最近、報告が変わった。「異常ありません」だけだったのが、見たものを教えてくれるようになった。聞いてもいないのに。
目が合った。一瞬だけ。グレンの視線が逸れた。窓の外を見る横顔。
紅茶を飲んだ。少し薄い。セバスの味じゃない気がする。
聞かなかった。
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