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【完結保証】数字しか信じない帳簿令嬢は、無愛想な護衛騎士の9999だけ読み解けない  作者: Lihito
【第2章:王都謀略編】

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16/52

16話:王都の値段

出発の朝、セバスが門の前で待っていた。


「留守の間、日次の帳簿と住民対応はお任せします。判断に迷うものは保留にしておいて」


「かしこまりました。お気をつけて、アイリス様」


「トビアスの工房の進捗も見ておいてね。次月分の納品が遅れたら困るから」


「承知しております。……アイリス様」


「何?」


「焼き菓子を包みました。道中、お召し上がりください」


セバスが小さな布包みを差し出した。受け取る。まだ温かい。


「……ありがとう」


半年前、ここに着いた時は館の中に人の気配がなかった。出迎えはセバス一人。今は違う。朝から住民が畑に出ているし、トビアスの工房から薬草を煮る匂いが漂ってくる。


振り返らずに歩き出す。


グレンが荷馬の手綱を持って待っていた。


「準備できた?」


「はい」


「じゃあ行きましょう。手続き終わったらすぐ帰るから」


「……長居はされないんですか」


「しないわよ。あんまり居たい場所でもないし」


追放された令嬢——公爵家の不正が明るみに出た今でも、噂はそう簡単に消えない。長居するもんじゃない。


***


街道は、半年前より人が増えていた。行商人とすれ違う。荷馬車が追い抜いていく。


セバスの焼き菓子を一つかじった。前より香ばしい。麦の配合を変えたと言っていたが、確かに良くなっている。


「グレンも食べる?」


「……いただきます」


一つ渡す。グレンは片手で受け取って、黙って食べた。感想はない。いつも通り。


「南の道の拡幅の件だけど」


「はい」


「石は足りてるのよ。問題は人。道を広げるにも建物を建てるにも、大工がいないと始まらない」


「募集を出しますか」


「出したいけど、辺境の小領地に好んで来る職人がいると思う?」


「……厳しいかと」


「でしょうね」


道も倉庫も宿舎も足りない。人が増えるほど足りないものが増える。帳簿は私がやる。薬はトビアスがいる。でも建物だけは、どうにもならない。


「王都に行くなら、腕のいいのがいないか見ておきたいわね」


「直轄領の手続きのついでに、ですか」


「ついでよ、ついで。本命はあくまで手続き」


グレンが何か言いかけて、やめた。


「何?」


「……いえ。ついでが増えるのはいつものことなので」


「嫌味?」


「護衛の所感です」


(うるさいわね)


でもまあ、否定はできない。港町に行った時もそうだった。ロッソ商会との取引にエルスト商会の違和感。結局、ついでのほうが大きくなる。


しばらく歩いた。街道の分岐が見えてきた。右が港町方面。左が王都。


左に折れる手前で、グレンの足が止まった。


一瞬だけ。すぐに歩き出す。何事もなかったように。


でも見えた。王都に向かう道の先を見た時の、あの間。


「久しぶり? 王都」


「……二年ぶりです」


短い答え。いつものグレンなら「護衛ですから」で返すところだ。二年ぶり、と正直に答えたのが珍しかった。


近衛を追われて、辺境に飛ばされた。あの街に、いい思い出がない。私と同じだ。


それ以上は聞かなかった。グレンが自分から話す時を待てばいい。


「焼き菓子、もう一つ食べる?」


「……いただきます」


***


三日目の午後、王都に着いた。


門をくぐって、最初に思ったのは「うるさいな」だった。


人が多い。前に来た時もそうだったけど、密度が違う。大通りの両側に露店がぎっしり並んで、客がたかっている。笑い声と怒鳴り声と、荷馬車の車輪の音がごちゃ混ぜになって降ってくる。


「グレン、前からこんなだった?」


「……いえ。もう少し落ち着いていたかと」


やっぱり。記憶の中の王都はもう少し整然としていた。華やかではあったけど、こういう騒がしさじゃなかった。


何気なく、鑑定した。


【王都中央区】

現在価値:7,700

潜在価値:4,100


(……7,700の4,100?)


通りを歩く。すれ違う店を片っ端から鑑定していった。


宝飾店のショーウインドウに並ぶ指輪。580の250。仕立て屋にかかっている外套。420の220。どっちも現在が潜在を上回っている。値段ほどの中身がない。


果物屋の前を通った。りんご、8の12。これは普通。隣の肉屋も普通。日用品はまともなのに、高いものだけ数字がおかしい。


「この通りは高級店が多いんですか」


グレンに聞いてみた。


「昔はもう少し地味でした。宝飾店がこんなに並んではいなかったかと」


「ふうん」


新しい看板が目立つ。最近できた店が多いのか。どの店も客が入っている。繁盛しているように見える。


鍛冶屋の前を通った。店先に並んだ短剣を鑑定する。250の100。


(これもか)


「アイリス様」


「何?」


「さっきから、やたらきょろきょろしていますが」


「……見てるだけよ。物見遊山」


「物見遊山にしては顔が険しいですが」


「うるさいわね。護衛は前を見てなさい」


グレンが前を向いた。肩がわずかに揺れた。笑ったかもしれない。


(笑うな)


険しい顔をしている自覚はあった。数字のせいだ。歩くたびに目に入ってくる。この通りも、あの店も、あっちの看板も。見かけは華やかで、中身が追いついていない。


(インフレ? 景気がいいだけ?)


でも、港町はこんなじゃなかった。あっちのほうが帝国との交易で金が動いてたのに、数字はもっと素直だった。現在と潜在が近い、普通の並び。


(何が違うんだろう)


分からない。仮説を立てようとしても、ピースが足りない。


(……まあいいわ。私が考えることじゃないし)


商業登録を済ませて帰る。それだけ。ここの経済がどうなっていようと、私はアーレン領の領主であって、王都の監査官じゃない。


***


行政区画に向かう途中、大通りから一本入った先で人だかりができていた。


城壁の修繕工事だった。足場が組まれて、職人たちが動いている。壁面の一角が新しい石に積み替えられていた。真新しい白。周囲の古い壁との色の差が目立つ。


足を止めて眺めている住民が何人かいた。


「いやあ、立派なもんだ」


「さすが王室の事業だな。金のかけ方が違うよ」


「こないだ完成した東側も見事だったぞ」


聞こえてくる声。好意的な反応ばかりだった。見た目はたしかに悪くない。新しい石は白くて、いかにも頑丈そうに見える。


何の気なしに、鑑定した。


【城壁修繕区画(完成部分)】

現在価値:2,500

潜在価値:400


足が止まった。


(400?)


2,500の400。


街全体の7,700対4,100は、まだ比率として飲み込める範囲だった。でもこれは違う。現在の六分の一。城壁に400。国の防壁に、400。


見た目は立派。住民の評判も良い。金がかかっている、と皆が言っている。


でも中身が400。


商品の数字がおかしいのとは訳が違う。高い指輪を買って中身がなくても、損をするのは買った人間だけだ。でも城壁は違う。城壁は国を守る壁だ。いざという時、この数字で何が守れる。


「アイリス様」


グレンの声。


「……なんでもない」


なんでもなくない。この数字は飲み込めない。さっきまでの「私が考えることじゃない」が、喉の奥で引っかかっている。


もう一度、工事現場に目を向けた。足場の上で働いている職人たち。石を運び、壁に据え、汗を流している。


(この街の物価を見てると、人件費もとんでもないことになってそうね)


鑑定が、職人たちの上に数字を浮かべた。

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