間合いの内側
この物語は、
強い武器を持った英雄の話ではありません。
派手な無双ではないかもしれません。
でも、静かに確信を積み上げていく物語にしたいと思っています。
少しでも刺さるものがあれば、嬉しいです。
重い衝撃とともに、エレベーターが停止した。
沈黙。
そして――
ぎぃ、と鈍い音を立てて、扉が開く。
腐臭が、流れ込んできた。
「……っ」
反射的に、口元を押さえる。
目の前に広がっていたのは、灰色の世界だった。
崩れた高速道路。
ひび割れたアスファルト。
遠くで揺れる黒煙。
そして――静かすぎる。
ゾンビのうなりも、物音もない。
「……本当に、外だ」
背後でエレベーターの扉が閉まる。
ごうん、と低い音と共に、箱は上昇を始めた。
もう、戻れない。
俺は、ゆっくりと一歩を踏み出す。
武器はない。
物資もない。
あるのは、さっきのレート戦で拾った感覚だけだ。
――距離。
――間合い。
――踏み込み。
あれは偶然だ。
そう思っているのに、体が覚えている。
足裏に伝わる振動。
風向き。
匂い。
その時だった。
かすかな、擦れる音。
右前方、崩れたコンビニ跡。
視線より先に、体が止まる。
次の瞬間――
ガラスを突き破って、影が飛び出した。
「っ!」
反射。
身体が横へ滑る。
爪が、さっきまで俺がいた空間を引き裂く。
ゾンビ。
だが、さっきレート戦で見た個体より速い。
変異しかけだ。
距離、三メートル。
逃げる?
無理だ。
地形は開けている。
背を向けた瞬間に追いつかれる。
心臓が、暴れる。
なのに――
頭は、妙に静かだった。
踏み込むなら、次。
右足が沈む。
重心が前に来る。
その瞬間、体が動いた。
懐に入る。
近い。
近すぎる。
腐臭が鼻を焼く。
だが、爪は振れない。
間合いの“内側”。
俺の拳が、無意識に腰へ伸びる。
――ない。
ナイフが、ない。
あのレート戦で失った。
「……っ!」
焦り。
だが体は止まらない。
ゾンビの顎が開く。
噛みつき。
それを、左腕で弾く。
骨が軋む。
そのまま、肩に体重を預けるようにして――
地面へ叩きつけた。
ぐしゃり。
頭部がアスファルトに打ちつけられる。
動きが、一瞬止まる。
今だ。
俺は、砕けたガラス片を掴んだ。
そして――
ためらいなく、眼窩へ突き立てる。
抵抗。
手応え。
そして、静止。
動かなくなった。
「……は……?」
荒い呼吸の中、俺は固まる。
勝った。
銃も、ナイフもないのに。
素手と、ガラス片だけで。
視線を落とす。
自分の足の位置。
ゾンビとの距離。
倒れた角度。
全部、無駄がなかった。
「……なんだ、今の」
偶然?
いや。
違う。
分かっていた。
重心。
振り。
間。
何度も見ていた。
銃なんて、手に入らなかった。
弾も、ない。
最小の動きで、最大の致命傷を与える方法を。
それが――
「……ナイフ、か」
無意識に呟く。
今は持っていない。
だが、分かる。
もし手にあれば。
さっきの変異体も――。
その時。
遠くで、銃声が響いた。
乾いた連射音。
タタタタッ――
反射的に、体が低くなる。
視線を走らせる。
高架道路の上。
黒い装甲服。
複数人。
そして、白い紋章。
「……バベル?」
回収部隊だ。
俺の追放と入れ替わるように、地上へ降りてくる精鋭。
彼らは、ゾンビを次々と撃ち抜いていく。
正確。
効率的。
そして――俺の存在に気付いた。
「生存者を確認!」
銃口が、一斉に向く。
心臓が跳ねる。
撃たれる?
いや。
違う。
「識別タグなし。追放者だ」
冷たい声。
「どうする」
一瞬の沈黙。
そして、通信が入る。
《……待て》
スピーカー越しの声。
聞き覚えがある。
さっきの、違反オペレーターだ。
《そいつは放置でいい》
「しかし――」
《命令だ》
短い、強い声。
隊員たちは、わずかに迷い、やがて銃を下げた。
「……運が良かったな、追放者」
そう言い残し、部隊は奥へ進んでいく。
その背中を、俺は見つめた。
銃。
装甲。
連携。
俺とは、まるで別世界。
だが。
さっき、俺は一体倒した。
武器なしで。
しかも、無傷で。
「……俺は」
胸の奥が、熱い。
恐怖じゃない。
さっきまで感じていた“終わり”じゃない。
これは――
確信だ。
銃の世界。
レート戦。
ランク。
全部、間違っている。
あの塔は、“遠距離前提”で作られた世界だ。
だが地上は違う。
遮蔽物。
死角。
接近。
近距離でもやれる。
その時。
足元で、何かが光った。
さっき倒したゾンビの奥。
崩れた棚の下。
金属光沢。
俺は、ゆっくりと近づく。
そこにあったのは――
軍用コンバットナイフ。
まだ、使える。
柄を握る。
しっくりくる。
まるで、最初からここにあるべきだったみたいに。
ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
追放者が、どこまで行けるのか。
作者も、まだ知りません。
もしよければ、次の一歩も一緒に見届けてください。




