ジコジュヨウ
――ナナ
お湯が沸く音がしていた。
急がなくてもいい、とおばあちゃんは言うけれど、
ナナはいつも少し急ぐ。
待たせるのは、好きじゃない。
湯飲みを三つ並べて、
ひとつだけ、少し欠けたものを奥に置く。
それが、いつもの順番だった。
「おばあちゃん、お茶」
「ありがとう」
エナ――おばあちゃんは、
湯飲みを両手で包むように持った。
湯気の向こうで、目が細くなる。
「今日は、森で誰かに会ったんですか」
ナナは、少し考えてから、
囲炉裏の向こうを見た。
「うん。カイさん」
そう言うと、カイさんは少しだけ姿勢を正した。
おばあちゃんは、にこりと笑う。
「あら。そう」
それ以上、聞かなかった。
ナナは不思議に思ったけれど、
聞き返さなかった。
おばあちゃんは、
聞くときと、聞かないときを、
ちゃんと決めている。
ルルが、囲炉裏のそばで丸くなる。
さっきより、少しだけ近い。
「ルルは、ちゃんと案内できましたか」
「できたよ」
「それはよかった」
おばあちゃんは、ルルの方を見る。
その目は、昔から変わらない。
ナナは、おばあちゃんの横に座った。
外は、まだ明るい。
なのに、ここはもう、夕方みたいだった。
「……おばあちゃん」
「はい」
「カイさんね、
“お久しぶりです”って言ってた」
それが何を意味するのか、
ナナには分からない。
ただ、言ったままに、言った。
おばあちゃんは、少し考える素振りをしてから、
穏やかに答えた。
「そうですか」
それだけだった。
ナナは、湯飲みの縁を指でなぞる。
欠けたところに、触れないように。
分からないことは、
考えない方がいい。
それは、ここで暮らすための、
いちばん簡単なやり方だった。
ルルが、小さく鼻を鳴らす。
おばあちゃんは、いつもの調子で言った。
「ナナ。
明日は、森の奥まで行かないでくださいね」
「どうして?」
「風が、変わるからです」
理由は、いつもそれだった。
ナナは、うなずく。
風は、変わる。
それだけのこと。
囲炉裏の火が、ぱち、と音を立てた。
ナナは思う。
今日も、
ここには、ちゃんとみんながいる。
それでいい。




