カイ
――カイ
敷居をまたいだ。
それだけで、少し息を詰めた。
初めて入る家だ。
それなのに、ここに来ること自体は、
ずっと前から決まっていたみたいな気がした。
囲炉裏のそばに、エナさんがいる。
それだけで、胸の奥が緩む。
「お久しぶりです」
声が震えなかったことに、ほっとした。
エナさんは、少し首を傾げた。
その仕草は、覚えている通りだった。
「……そうですか」
返事はやわらかい。
けれど、どこか遠い。
――あれ?
思ったより、距離がある。
視線が、すぐにナナへ向かう。
それも、自然すぎるほどに。
カイは言葉を探したが、
何を続ければいいのか分からなかった。
約束の話をすればいい。
それは分かっている。
でも、その前に、
もう少しだけ、こっちを見てほしかった。
犬が伏せる音がする。
湯を注ぐ、かすかな音。
家の中は静かだった。
静かすぎる。
――なんでだ。
外で会ったとき、
エナさんは、もっとちゃんと、
話を聞いてくれていた。
忘れるはずがない。
そんな約束じゃない。
それなのに、
今は、名前を呼ばれることもない。
カイは、膝の上で指を組む。
自分が、何か間違えたのか。
約束の時期を、勘違いしていたのか。
それとも――
考えがそこで止まった。
理由を探すのは、怖かった。
エナさんは、ここにいる。
ちゃんと、生きている。
だったら、
まだ、話はできるはずだ。
カイは、そう思うことにした。




