センタク
戻せば、きっと楽だ。
机を元の位置に。
椅子を並べて。
布をきれいに重ねて。
“いつも”に戻せば。
おばあちゃんは、きっと迷わない。
ナナは、机に手をかける。
動かそうとして、止まる。
――目はそらさないで。
昨日の夜の声。
静かで、あたたかい声。
ナナは、ゆっくり手を離す。
戻さない。
怖い。
胸がぎゅっと縮む。
でも。
ずっと“同じ”でいる方が、
もっと怖い気がする。
「……寝ぼけただけだよ」
おばあちゃんは、もう一度言う。
自分に言い聞かせるみたいに。
ナナは、うなずく。
「うん」
嘘じゃない。
でも、本当でもない。
そのまま夕方が来る。
おばあちゃんは、何度か部屋を見回す。
そのたびに、ほんの少しだけ戸惑う。
でも、何も言わない。
ナナの胸は、何度も痛くなる。
それでも。
机は、そのまま。
椅子も、そのまま。
“同じ”に戻さない夜。
初めての夜。
⸻
翌朝。
空気が、少し重い。
ナナは、すぐに部屋を見る。
机は動いていない。
椅子も、そのまま。
誰も直していない。
ルルは机の下で丸まっている。
おばあちゃんは、台所に立っている。
少しだけ、動きがゆっくり。
「おはよう」
「……おはよう」
声は、ある。
でも、どこか探りながら。
ナナは、胸の奥を押さえる。
昨日、自分が変えた。
戻さなかった。
その結果が、ここにある。
怖い。
でも。
逃げなかった。
その事実が、
小さく、支えになる。
⸻
昼前。
森の奥から、足音。
ナナは、迷わず扉を開ける。
カイさんがいる。
一目で、部屋の奥を見る。
机の位置。
椅子。
三つ目。
昨日と違うのを、確認する。
「……変えたのか」
責めない声。
確かめる声。
ナナは、うなずく。
「昨日変えて、戻さなかった」
「うん」
「昨日、おばあちゃんが」
言葉が、少し詰まる。
「ここはどこだい、って」
カイさんの目が、わずかに細くなる。
「それで?」
「……戻さなかった」
ナナは、まっすぐ見る。
怖かった。
泣きそうだった。
でも、やめなかった。
「つらかったけど」
声が震える。
「でも、目、そらさなかった」
少しの沈黙。
森の音だけがある。
カイさんは、ゆっくり息を吐く。
「えらいな」
簡単な言葉。
でも、軽くない。
ナナの喉が、きゅっと鳴る。
「揺れた?」
「うん」
「壊れたか?」
「……壊れてない」
「なら」
カイさんは、少しだけ笑う。
「進んでる」
ナナは、初めてその言葉を聞く。
進んでる。
守ってる、じゃなくて。
止めてる、じゃなくて。
進んでる。
胸の奥で、何かがほどける。
まだ全部は分からない。
でも。
“同じじゃない”ことを選んだ自分を、
少しだけ認められる。
つらいけど。
それでも。
今日は、昨日より、
前にいる。




