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オトズレ

鍋を片づけていると、ルルが急に顔を上げた。

 鼻をひくつかせ、耳を立てる。


「どうしたの」


 呼んでも、ルルはナナを見ない。

 戸口の方を向いたまま、低く喉を鳴らした。


 ナナは手を止めた。

 森の音に、ひとつだけ違うものが混じっている。


 落ち葉を踏む音。

 一定の間隔で、重さのある足取り。


 ルルが先に飛び出した。


「待って」


 声は届かず、犬の体は木々の間に消えた。

 ナナは急いで外へ出る。


 森はいつも通りだった。

 光が揺れて、風が葉を鳴らす。


 少し先で、男が立ち止まっていた。

 旅装ではない。森に慣れている様子でもない。


 ルルが男の前に立ち、短く吠える。

 男は驚いた様子もなく、視線を下げる。


 そこで、ナナと目が合った。


 男は一瞬、言葉を探すみたいに口を閉じ、

 それから小さく息を吐いた。


「……カイだ」


 名乗り方は簡単だった。


「ナナ」


 ナナも同じように答える。


 カイは、視線をそらさずに続けた。


「ここに、エナさんはいるか?」


 問いかけは静かで、

 子どもに向ける声だった。


 ナナは、少しだけ間を置いてからうなずく。


「いるよ」


ルルが一度、ナナを振り返った。

 それから、家の方へ歩き出す。


 待て、とも、行け、とも言われていないのに、

 確かめるみたいな足取りだった。


「こっち」


 ナナは短く言って、後を追う。


 カイも、少し遅れて歩き出した。

 距離を詰めすぎないようにしているのが、背中から分かる。


 木立の間を抜けると、家が見えた。

 森の奥にあるには、整いすぎた小さな家。


ルルが戸口の前で立ち止まり、伏せた。

 ここまでだ、と言うみたいに。


 ナナが扉を開ける。


「おばあちゃん」


 囲炉裏のそばにいたエナが、ゆっくり顔を上げる。


「はいはい。そんなに急がなくても大丈夫ですよ」


 いつもの声だった。

 ナナを見て、少しだけ笑う。


「お帰りなさい、ナナ」


「ただいま」


 ナナが中へ入ると、ルルも後に続く。

 最後に、カイが敷居をまたいだ。


 エナの視線が、ナナの肩越しに止まる。

 知らないものを見るときの、静かな間。


「……あら」


 それだけ言って、首を傾げた。


 カイは一歩前に出て、深くはないが、きちんと頭を下げた。


「お久しぶりです」


 声は低く、穏やかだった。


 エナはすぐには返事をしなかった。

 カイの顔を見ているようで、

 実際には、そこにある“人影”を見ているだけの目だった。


「……そうですか」


 やがて、そう答える。


「お知り合い?」


 問いかけは、ナナに向いていた。


「うん。森で会った」


 ナナはそれだけ言う。


 エナはうなずき、囲炉裏を指さした。


「寒かったでしょう。どうぞ、お掛けください」


 それ以上、過去を探ることはしなかった。


 カイは一瞬、言葉を失ったように見えたが、

 何も言わず、示された場所に腰を下ろす。


 ナナは棚から湯飲みを出しながら、

 おばあちゃんの背中を見る。


 いつもと同じ。

 声も、動きも、間も。


 なのに、

 たったひとつだけ、

 ここにあるはずのものが、すれ違っている気がした。


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