マエトイマ
朝の片づけが終わると、
おばあちゃんは椅子に座ったまま、目を閉じた。
「少し、休むわね」
最近、よく聞く言葉。
「うん」
ナナは、湯のみを流しに運ぶ。
三つ目を持ち上げかけて、
やめた。
そのまま、机に戻す。
しばらくして、
寝息が聞こえ始める。
静かだ。
森の音と、
おばあちゃんの呼吸だけ。
ナナは、振り返る。
「……ね」
声を落とす。
「変じゃない?」
カイさんは、すぐには答えない。
机の上を見る。
三つ並んだ湯のみ。
一つだけ、
口がついていない。
「うん」
短く言う。
ナナは、少しだけ安心する。
「前はさ」
指先で、湯のみの縁をなぞる。
「こんなこと、なかった気がする」
「どんなこと?」
「……忘れるとか」
言葉を探す。
「言ったことと、
違うことするとか」
カイさんは、ゆっくり息を吐く。
「ナナ」
「なに」
「俺が来る前のこと、
ちゃんと覚えてる?」
ナナは、少しだけ考える。
「覚えてるよ」
「朝、何してた?」
「朝ごはん作って、
ルルに水あげて」
「湯のみは?」
ナナは、止まる。
机を見る。
「……二つ?」
自分でも、確信がない。
「三つ、並べてた?」
その問いに、
ナナはすぐ答えられなかった。
「……分かんない」
正直に言う。
胸の奥が、少しだけ冷える。
カイさんは、うなずく。
「急に変わった感じはする?」
「ううん」
「じゃあ、
たぶん急じゃない」
ナナは、湯のみを見つめる。
三つ目は、
まだ温かいまま。
「毎日、ちょっとずつ」
カイさんが言う。
その言葉は、
責めるみたいじゃなかった。
ただ、置かれただけ。
「それって」
ナナは、小さく聞く。
「……悪いこと?」
カイさんは、
おばあちゃんの寝顔を見る。
穏やかで、
何も崩れていないように見える。
「今は、まだ分からない」
正直な声。
ナナは、うなずく。
分からない、ということを、
初めて二人で持った。
奥の部屋から、寝息が続く。
森は、変わらない。
でも、
家の中だけが、
少しだけ、動いている。
ナナは、三つ目の湯のみを、
そっと両手で包んだ。
温度は、
確かにそこにあった。




