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二十二本目のロウソク



 ヴェルディエ横丁の空は、今日もはっきりしない色をしていた。

 夜とも昼とも言えない紫がかった群青。星は近すぎるほど低く、ゆっくりと瞬いている。


 店の中では、古いレコードが回っていた。

 針の奥から流れてくる音は、少しだけ掠れていて、それがかえって落ち着く。


 マキはテーブルの上を拭きながら、ガルムに言った。


「もうすぐ年が変わりますね」


 黒い狼は、床に伏せたまま尻尾を一度だけ動かす。


「新しい年、か。人間は好きだな、区切りを作るのが」


「そうしないと、続けられないこともありますから」


 マキはそう言って、棚の上に置かれたロウソクをひとつ手に取った。

 白く細い、ごく普通のロウソクだ。


 そのときだった。


 レコードの音が、わずかに揺れた。


 針が飛んだわけではない。

 ただ、空気が一枚、ずれたような感覚。


 マキが顔を上げると、テーブルの向こうに、女が座っていた。


 いつからいたのかは分からない。

 扉の鈴は鳴っていない。


 透けてはいない。

 けれど、確かに「生きている人間」ではなかった。


 女は二十歳を少し過ぎたくらいに見えた。

 淡い服、静かな目。輪郭はどこか曖昧で、焦点が合っていない。


「……こんばんは」


 マキは、いつも通りに言った。


「こんばんは」


 女の声は、遠くで反響しているようだった。


 テーブルの上に置かれたロウソクを見て、女が小さく笑う。


「ロウソク、あるんですね」


「ええ。たまたま」


 マキは答えた。


 女は、そのロウソクを見つめたまま言った。


「誕生日には、ロウソクを立てるでしょう」


「そうですね」


「子どもの頃は、一本ずつ増えるのが、うれしかった」


 女は、指で空をなぞる。


「二十二本までは」


 マキは、何も言わない。


「二十三本目は……立てられなかったんです」


 レコードが、静かに回り続ける。


「私、二十二歳で死んだんです」


 その言葉は、重くもなく、軽くもなかった。

 ただ、事実としてそこにあった。


「事故でした。

 でも、痛かったかどうかは、もう覚えていません」


 女は、テーブルに肘をついた。


「覚えているのは、彼のことだけ」


 マキは、ロウソクに火を灯した。

 小さな炎が、揺れる。


「彼、二十三歳の誕生日は、ちゃんと祝うって言ってたんです」


 女は炎を見つめる。


「ケーキを買って、ロウソクを立てて。

 “次は二十三本だな”って、笑って」


 炎が、少しだけ大きく揺れた。


「でも私は、二十二本目で止まりました」


 女の指が、無意識にテーブルをなぞる。


「彼は、今もどこかで生きている。

 それは分かってるんです」


 女は、少しだけ困ったように笑った。


「だから、たぶん……

 私は、祝われない誕生日を、ここで待ってたんだと思います」


 マキは、ロウソクをもう一本、そしてまた一本と灯していった。


 二本。三本。

 数は、増えていく。


 最終的に、二十二本。


 テーブルの上は、静かな光で満たされた。


 女は、それを見て、目を細める。


「きれい……」


「吹き消しますか?」


 マキが尋ねる。


 女は、首を横に振った。


「いいえ。

 消すのは……彼がやるはずだったから」


 炎は、静かに燃え続ける。


 やがて、一本、また一本と自然に消えていった。


 女の輪郭が、少しずつ薄くなる。


「……ありがとう」


 それが、最後の言葉だった。


 女は、音もなく消えた。


 ロウソクは、すべて燃え尽きている。


 レコードは、溝の終わりで小さく回っていた。


 ガルムが、低く言う。


「幽霊か」


「ええ」


 マキは、ロウソクの跡を見つめたまま答える。


「二十二歳で、時間が止まった人ですね」


 マキは、ロウソクを片付け、テーブルを整えた。


 そして、カップにお茶を注ぐ。


「ここは、不思議な場所ですから」


 湯気が立ちのぼる。


「不思議なお客さまが来ることも、あります」


 ガルムは、あくびをひとつした。


「……二十二本のロウソク、か」


 マキは、カップを手に取る。


「何か、そんな歌詞のある古い曲がありましたね」


 それ以上は言わない。


 名前も、題名も、口にしない。


 ヴェルディエ横丁の空は、今日も曖昧な色をしている。


 年は、静かに変わっていく。


 祝われなかった誕生日も、

 祝われなかった別れも、

 すべて置いていくように。


 マキは、静かにお茶を飲んだ。


 ――それで、いいのだと思った。

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