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記憶を見る飴玉


 ヴェルディ横丁の空は、今日も昼とも夜ともつかない色をしていた。

 紫がかった群青の空に、星とも街灯ともつかない光が滲んでいる。


 夢と魔法の雑貨店「マキ」の扉は、静かに開いた。


 入ってきたのは、一人の男だった。

 背は高く、服装はきちんとしている。だが、目だけが落ち着かない。

 視線が定まらず、店内を必要以上に確認している。


「……相談が、あります」


 男は低い声で言った。


 マキは帳面を閉じ、顔を上げる。朱色の瞳が男を映す。


「どうぞ」


「……記憶が、抜けるんです」


 男は椅子に腰を下ろしたが、背中を預けなかった。


「気づいたら時間が飛んでいる。

 数時間、ときには丸一日。

 何をしていたのか、まったく分からない」


 マキは、相槌も打たずに聞いている。


「でも……」


 男の指が、ぎゅっと握られた。


「その後で、必ず“痕”が残るんです」


「痕?」


「血の跡とか。

 壊れた家具とか。

 ニュースで見た事件の現場が、妙に近かったり……」


 そこで男は、口を閉ざした。


「……怖いんですね」


 マキが静かに言う。


「自分が、何をしているのか分からないのが」


「……はい」


 マキは立ち上がり、棚の奥から小さな包みを持ってきた。


 中には、透明な飴玉が一つ。


「抜けた記憶を見るための飴です」


 男の喉が鳴る。


「思い出す、んですか?」


「いいえ。

 “見る”だけです」


 マキは淡々と説明する。


「感情は薄くなります。

 正当化も、言い訳もできません。

 映るのは、行動だけです」


「……代価は」


「その記憶に付随する“未来の夢”」


 男は一瞬、眉を寄せた。


「夢……?」


「まだ見ていない夢です。

 可能性とも言えます」


 男は、長く黙ったあと、飴玉を受け取った。


「……それでも、いい」



 その夜、男は一人で飴玉を舐めた。


 映像は、唐突に始まった。


 夜の路地。

 雨上がりの地面が光っている。


 自分が、そこに立っている。


 だが――様子が違う。


 背筋が伸び、呼吸が落ち着いている。

 目に、ためらいがない。


「……」


 男は、別の男と向かい合っていた。


 相手は後ずさる。


「な、なんだよ……」


 次の瞬間。


 ナイフが、躊躇なく振るわれる。


 刃が服を裂き、

 赤い液体が地面に飛び散った。


 相手が倒れる。

 呼吸が乱れ、声にならない音を漏らす。


 だが、自分は止まらない。


 冷静に、もう一度。

 念入りに。


 赤い液体が、手元から滴る。


 次の映像。


 室内。

 鈍器を握る手。


 振り下ろす。

 硬い音。

 床に広がる赤。


 次。


 銃声。

 狭い空間。

 耳鳴り。


 倒れた相手を見下ろす自分の顔は、

 奇妙なほど穏やかだった。


「……効率が悪いな」


 自分の口から、そう呟く声が聞こえた。


 映像は続く。


 怒りではない。

 興奮でもない。


 ただ――荒々しく、乱暴で、支配的。


 命を「処理」している。


 男は、最後まで見た。


 飴玉が溶けきったとき、映像は終わった。


 ――そして。


 何も感じなかった。


 吐き気も、恐怖も、罪悪感もない。


「……そういうことか」


 男は、静かに呟いた。



 翌朝、男は警察署へ向かった。


 自首だった。


 取り調べ室で、男は落ち着いて話した。


「記憶が抜ける」

「別の人格がいる」

「自分では止められない」


 警官たちは、慎重に対応していた。


「君は、助けを求めて来たんだね」


 その言葉が、引き金だった。


 男の表情が、がらりと変わる。


 肩が落ち、

 口元が歪む。


「助け?」


 声が低く、荒くなる。


「違うな」


 次の瞬間。


 机が蹴飛ばされ、

 警官が倒れる。


 奪った銃。


 迷いなく引き金。


 銃声が室内に響き、

 赤い液体が壁に飛ぶ。


「ちっ……人数多すぎだ」


 別人格は笑った。


 ナイフ。

 鈍器。


 狭い空間で、暴力が暴れる。


 叫び声。

 床に転がる身体。

 赤い痕が、靴裏に広がる。


 数分後。


 そこに立っていたのは、

 また“主人格”だった。


 床を見下ろし、

 状況を理解し、

 何も言わなかった。



 裁判は短かった。


 警官四名殺害。

 精神鑑定。

 終身刑。


 男は、抵抗しなかった。



 ヴェルディ横丁。


 ガルムが、床に伏せたまま言う。


「……やっぱり、こうなったか」


「ええ」


 マキは、空になった飴玉の包みを片づける。


「真実を見せることが、救いになるとは限りません」


「分かってて、渡したんだろ」


「はい」


 マキはランプの火を整えた。


「彼は、知ることを選びました」

「選んだ結果が、あれです」


 ガルムは鼻を鳴らす。


「……後悔は?」


 マキは、少しだけ考えてから答えた。


「ありません」


 ただ、こう付け加えた。


「ですが――

 もう少し“見ない勇気”という選択肢も、

 説明すべきでしたね」


 ヴェルディ横丁の空は、相変わらず曖昧だ。


 正義も、救済も、

 ここでは売っていない。


 ただ、選択肢だけが、

 静かに並んでいる。


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