遠くにきて。近くにきて。
五月晴れ。
青色の黒板に飛行機のチョークが描いた真っ直ぐな白い線が一本。
緑が多い街。
山に囲まれているからなのか。
この場所がそうなのか。
しっとりとした空気に包まれている。
大きな街なのに広場にいると意外と音が少なくて。
風にゆだねた葉音やウグイスの歌声。
それと、私たち生徒の賑やかさしか聞こえない。
目の前には大きなお城。
白鷺城という名の別名を頂くのがわかる。
白粉と白無垢を装ったお姫様のような佇まい。
正座して。
堂々として。
華やかに見える。
けれど、どこか儚げで。
道端にひっそり咲いている一輪の花のようにも想える。
街の真ん中から、みんなを見守るように。
そして、街の至る所からみんなの心に留まる。
この街の歴史と象徴なんだ。
私が住んでいる街のシンボルはなんだろう?
駅ビルかな?
意外と思い浮かばない。
今日は、中学の修学旅行の2日目。
午前中までの京都とは違う、穏やかで心地の良い空間。
京都が居心地が悪いのではなくて、人が多すぎたからかもしれない。
お寺や神社も人だらけだったから。
修学旅行のシーズンなのか、京都でもここ姫路でも、私たちのような制服姿の団体が多い。
「梨花ー」
高く明るい美瑠の声。
両手を振りながら駆け寄ってくる。
「どうしたの?」
首をかしげる私。
「どうしたのじゃないって、これから班で自由時間でしょ」
「ああ、そうか」
「どうしたの? ボーっとして、具合悪いの?」
「ううん、大丈夫だよ」
ん?
視線を感じて振り返る。
私たちの学校の生徒と他の学校の生徒がいるだけ。
「ほら、梨花行くよ」
私の腕に抱きついて引っ張っていく。
「しんじー」
男の子の声が耳に届いて。
ハッとして、その声がした方を向く。
遠くに、他校の制服姿の一団がいた。
呼ばれた男の子だろうか。
一人、軽やかに走り、生徒達に溶け込む後姿。
当たり前だけど、何をしゃべっているかは聞こえない。
やがて、その団体はお城に向かって歩き出した。
「ちょっと、梨花、前向いて歩いてよ」
隣で膨れる美瑠。
「ごめん」
もう一度、振り返って、ふっと笑う。
こんなとこにいる訳ないか。
「よし、じゃあ美瑠、食べ歩くよ」
「えきそばに、御座候、城下町どっぐ、どろ焼。どれも美味しいって評判だからね」
葉がきらきらと光を跳ね返して、土の匂いを含んだ風が制服のスカートを追い越していく。
ホーホケキョ。
みんなの笑い声を爽やかに織り交ぜながら。
バスに乗り、今度は赤穂という街に来た。
城郭はないけれど、ここもお城が街の真ん中。
歴史が街の中に息づいている。
塩味饅頭を片手にみんなで城跡を探検した。
同じような壁や石垣と地面と建物と。
なんか迷路みたいで、方角が分からなくなって。
「あれ? ここさっき通ったよね?」
なんて、美瑠は何回も言っていた。
お堀の水がゆらゆらと浮かぶ光を岸の草木にお裾分けしている。
ふと、見上げた空は、高くて広かった。
そう。
夕凪島のように。
私たちの宿泊するホテルは瀬戸内海沿いにあった。
赤穂御崎という場所。
温泉街みたいで、いくつもの旅館やホテルが立ち並んでいる。
そのすぐ近く。
淡い潮の香りに包まれた一帯に。
伊和都比売神社があった。
海に向かって建っている神社。
こじんまりとして。
青々と匂う木々に囲われた境内。
ホーホケキョ。
透き通る歌声や。
地面に揺らぐ無数の光の粒。
そよぐ風が懐かしい。
気がした。
がらがらと鈴を鳴らして。
柏手を打って。
目を瞑り、手を合わせた。
初めてお参りさせてもらいました。
ありがとうございます。
目を開けて。
振り向いたら。
参道の先。
鳥居の向こうは。
空と海が見えた。
ぞわりと肌がざわめいて。
だって。
とても似ていたから。
広さと色が。
記憶の中の鮮やかさに。
私は、みんなの目を盗んで姫守をこっそり買った。
普通のお守りと違って。
ストラップに小判が付いていて。
赤い着物をまとったかわいいお姫様がちょこんといる。
美瑠が教えてくれたのだけど、縁結びの神社でも有名みたいだったから。
神社のそばには、『きらきら坂』という場所があった。
おしゃれな小物を売っているお店やカフェがあって。
海沿いの歩道の小さな一帯だけど。
ぎゅっと楽しいものを詰め込んだような空間だった。
壁の上でお昼寝している猫。
水面を漂う海鳥。
さらさらと岩場に寄せて、白く弾ける波。
のんびりな散歩。
神社に戻ってきて。
海に向かって佇む鳥居。
遥か彼方の水面にはいくつもの島が点在している。
あれ?
その一つ。
大きな島影が目に入る。
「梨花、そろそろ、ホテルに帰るってよ」
「ああ、うん」
「ねえ、ねえ、姫守さ、駿にも買わせたんだ」
「買わせたって」
思わず吹き出す私。
「だって、あいつ、いらない言うから」
「付き合ってるんだから、必要ないんじゃない?」
「そういうことじゃないんだよ。梨花なら分かってくれると思ったのに」
「分かってるよ、同じもの持っていたいんでしょ?」
「うん! そうなの。どうして男の子はそういうの気が利かないんだろ」
「きっと、駿介くん照れてるんだよ、みんないるし」
「そうかな?」
「そだよ」
「はーい。集合!」
先生の大きな声が潮風に乗って神社の木々を揺らしていった。
ホテルの部屋のベランダに出た私。
風はなくて。
柔らかな潮騒が、足元の下から、せり上がってくる。
夕暮れの光を帯びた茜色の空と水面。
その向こうに霞を帯びた島影が横に大きく広がっている。
私はスマホで地図アプリを起動する。
ペタペタと、サンダルが鳴って。
「梨花何やってるの?」
美瑠が私の背中をつついた。
「うん? ちょっとね」
画面を覗き込んでくる美瑠を余所に指を動かす。
「やっぱり……」
とくん。
鼓動が落ちて。
広がる波紋。
「なにが?」
「ううん。何でもないよ」
「ふーん」
顎に人指し指をあて、首をかしげる美瑠。
「ねえねえ、二人ともゲームしようよ」
部屋にいる友達の声に美瑠は誘われる。
私は、スマホから指をそっと離す。
画面に映し出されている場所は、私がいる所から1cmにも満たない距離。
小さな吐息を一つ。
ゆっくりと視線を送る。
遠くのぼんやりとした島影。
――夕凪島だ。
スマホを胸に抱き締める。
寒くないのに震える体。
にわかに込み上げてくる想いに。
鼻をすすって。
唇を噛んだ。
だって。
あの日以来、一番近くにいるんだから。
夏の5日間の想い出が、昨日のことのように甦る。
シンくん――
太陽は黄色い光を放ちながら。
もうすぐ、今日を終えるために空と海をゆっくり赤く染めなおしている。
不意の潮風が髪を弄ぶ。
気持ちいい。
この夕陽。
見ているのかな。
一番近くても海を隔てている。
でも、同じ空を見上げていてくれてたら――
「梨花ー」
おいでよって余韻を含んだ美瑠の優しい声。
「はあい……」
しっかりと目に焼き付ける。
平べったい島の姿を。
私が振り返り部屋に入ろうとすると、髪が風に残る。
こころのなかの願いのように。
お読み頂きありがとうございます。
感謝しています。




