滅びの歌を継ぐ者
短編小説その5
赤黒い空を、無数の破片が流れていた。
まるで世界そのものが裂け、粉々に砕け落ちていくかのようだった。
焦げた空気の匂いが鼻を突き、鼓膜を裂くような地響きが響く。
――人類の最後の日だった。
大陸中央の聖塔の最上階。
ひとりの青年が、崩れ落ちる世界を見下ろしていた。
白銀の髪、翡翠の瞳。血に染まった剣を握りしめたまま、彼は震える唇で呟いた。
「……結局、間に合わなかったんだな」
足元で倒れている少女が、微かに笑う。
その胸には深々と、黒い矢が突き刺さっていた。
「……大丈夫よ、カイ。きっと……歌は、受け継がれる……」
彼女の名はミラ。
《滅びの歌》を紡ぐ最後の巫女だった。
彼女の声を失えば、世界を縛る古き契約は解け、混沌は永久に解放される。
それを理解しながらも、カイは、ただその小さな手を握るしかできなかった。
やがて、ミラは最後の息で彼に囁いた。
「……“継ぎなさい”。歌を、あなたが……」
刹那、世界が白い光に呑み込まれる。
それから百年が過ぎた。
大陸はかつての面影を失い、灰色の大地が広がっていた。
人々はそれを《星なき時代》と呼んだ。
古代文明は崩壊し、国家も王も滅び、ただ小さな集落が点在するだけ。
世界を支配するのは「獣」と呼ばれる異形の存在で、人間は常に怯えて暮らしている。
そんな辺境の村で、ひとりの少年が目を覚ました。
名はリアン。
十五歳になる孤児で、村の外れの鐘楼で暮らしている。
彼には奇妙な力があった。
幼いころから、夜になるとどこからともなく歌声が聞こえてくるのだ。
それは、誰も知らないはずの古代語の歌。
耳にした者は皆、恐怖に怯えた。
「リアン、あの歌を口ずさむんじゃない!」
村長は何度も叱責した。
「それは《滅びの歌》だ。災厄を呼ぶ呪いだぞ!」
だが、リアンには理由があった。
その歌を歌うと、彼の体内で“何か”が覚醒する。
獣に襲われた時、歌を口ずさむだけで大地が震え、獣たちは塵となって消えた。
――この歌は呪いなんかじゃない。
――これは、力だ。
そう信じていた。
ある夜、村の外れで異変が起きた。
空が裂け、黒い霧が地上に降り注ぐ。
霧の中から現れたのは、骸骨のような獣たち。
村人たちは次々と飲み込まれ、叫びは闇に消えた。
「逃げろ、リアン!」
友人のノアが叫んだその時、リアンの頭に“声”が響く。
――歌え。
意識より早く、口が勝手に動いた。
古代語の旋律が夜を裂き、空気が震える。
刹那、獣たちが次々と爆ぜ、霧が消える。
しかし、同時に、すべてを見ていた“誰か”の視線を感じた。
「……その歌声、やっと見つけたわ」
振り向くと、そこに立っていたのは白い仮面を被った女だった。
月明かりに照らされたその姿は、どこか神秘的で、そして禍々しかった。
背中には黒い双翼。
その右手には、血のように赤い宝玉が埋め込まれた短剣。
「あなた、歌を継ぐ者ね」
女はリアンに近づき、仮面越しに囁いた。
「この世界を滅ぼした“あの歌”を、なぜ使えるの?」
リアンは答えられなかった。
一瞬の隙に、女はリアンの首元に短剣を突きつけ、低く言った。
「……わからぬのなら連れて行く。私は歌の謎を解きたいから……」
女の名はセリス。
かつて《セレスティア》と呼ばれた聖塔の守護者を名乗った。
百年前の崩壊の生き証人だという。
「いいことを教えてあげるわ、リアン」
セリスは冷ややかに告げた。
「“歌を継ぐ者”は、世界に二人といない。あなたが最後のひとり」
「……最後?」
「ええ。だからこそ、狙われるのよ」
狙っているのは、黒き使徒と呼ばれる存在だった。
彼らは、かつて封印された“原初の神”を復活させようとしている。
そして復活の鍵こそ、《滅びの歌》――リアンの声そのものだった。
「あなたが歌えば、封印が解ける」
「歌わなければ?」
「世界は、ゆっくりと腐っていく。……どちらにしても終わりよ」
絶望的な選択肢しかなかった。
旅の途中、リアンは断片的な“記憶”を夢に見るようになる。
それは、白銀の髪の青年――カイの視点だった。
ミラという少女、聖塔、崩壊の瞬間。
そのすべてを、まるで自分が体験しているかのように鮮明に見てしまう。
「……俺は、カイの記憶を継いでる?」
セリスは静かに頷いた。
「それが“継ぐ者”の宿命よ。あなたは歌だけじゃなく、魂までも受け継いでいる」
リアンの胸に、理解しきれない恐怖が渦巻く。
やがて、リアンたちは聖塔の廃墟に辿り着く。
その最上階で待っていたのは、仮面を剥いだ黒き使徒の長。
そして、その顔は――かつてのカイそのものだった。
「俺は……滅びを選んだカイの残滓だ」
「……なんで、そんな……」
「歌を使えば世界は救える。だが同時に、すべての生命は“歌”の一部となり消える」
「それでも……歌うしかない!」
リアンは、覚悟を決めた。
喉を震わせ、失われた古代語の旋律を解き放つ。
光が世界を包み、獣たちが塵となって消える。
同時に、カイの残滓も微笑みながら消え去った。
――歌は、滅びではなかった。
それは、新たな世界を創る“始まり”だった。
長い夜が明けた。
百年ぶりに、空に星が戻った。
リアンは丘の上で星空を見上げながら、ミラの面影を重ねる。
「……これが、俺たちの“滅びの歌”の答えなんだな」
セリスは隣で微笑む。
「いいえ、リアン。これはまだ“始まりの歌”よ」
夜風が歌声をさらい、星々が応えるように瞬いた
ありがとうございました