8.慶長の役
さて、日本と明の停戦交渉は日本側は小西行長、明は沈惟敬が夫々を代表して交渉に当たった。
出自が貿易商人である行長は職業柄、朝鮮や明の事情に明るかった。行長は当然ながらこれらの国々への侵攻は商人の立場では全くの反対であり、なるべく早く収束してまた元のように貿易の出来る状態に戻って欲しいのが本音であった。
沈惟敬にしても属国へ侵攻してきた日本軍を朝鮮から追い払うのは宗主国としての威厳に係り、また現実問題として明の領土に攻め込まれる寸前となり、その危機的状態を早く脱したかった。
こうして日明双方の交渉担当者の戦争をいち早く収束したいという利害の一致が、現地での停戦実現の大きな原動力であった。
しかし、それぞれの政権中枢の解釈は全く異なっていた。
秀吉は加藤清正を筆頭に、瞬く間に朝鮮半島を蹂躙した日本軍の高い軍事力に大いに気を良くしており、『日本軍の圧倒的軍事力に明は恐れを成して和議を求めてきた』、と解釈した。そもそも、行長が明の対日講和文をそのように改竄したのだから当然である。
同じく、沈惟敬も『日本軍は戦線を伸ばし過ぎて兵站線を維持できなくなり、明軍の猛攻に戦意を失い撤退した。秀吉は日本国王に任命してもらえば満足する』、と明朝廷が喜ぶ内容の日本側の書状をこれまた偽造して提出した。
確かに、十数万の日本軍が食料や物資の補給に苦しんだのは事実ではあったが。
こうして、偽りの外交文書や使者の往来が足掛け四年を経て露見し、当然の帰結として日明講和交渉は破綻した。
ちなみに、日本と明の講和交渉には朝鮮国王は完全に無視されていた。
さて、秀吉は四年に渡る行長の交渉を辛抱強く待った上で、明からの使者が手渡した文書は『汝を日本国王に任ずる』との内容であった。
秀吉は明の使者に日本の威容を見せつけるために、大坂城に千畳敷きの大広間まで増築したのは全くの徒労に終わった。その使者が降伏の使者ではなく明朝の叙位伝達使であることを知った瞬間、行長が自分を欺いたことに怒り狂った。秀吉は足掛け四年と言う期間を自分を欺き通し、無駄にさせた行長を死罪にしようとしたが、彼に代わり得る外交担当者はいない事を弟の秀長や盟友の前田利家に熱心に諭され、止むを得ず思いとどまった。
慶長二年(1597年)六月、日本軍の再征が始まった。
前回の文禄の役の講和で釜山一帯を確保していた日本軍は、まず釜山への大量の人員や物資の蓄積を開始した。
朝鮮側もそれを黙って見逃す筈もなく、七月十五日、水軍を率いる将軍元均は巨済島近海に軍船を集結させた。
日本軍の総大将、宇喜多秀家は在朝鮮の各部将に出撃を命じ、巨済島に近い加徳島に駐留していた豊久も直ちに自らの軍船で出撃した。
漆川簗海戦の始まりである。
豊久が佐土原から呼び寄せた軍船は、九鬼水軍などの巨大な安宅船よりは小振りで船べりに盾を巡らし、銃眼、矢狭間を設けた構造である。
当時の海戦は、敵船に強行接舷して白兵戦を展開して制圧する様態が殆どである。豊久を始めとした各将兵は敵船への乗り込みに備えて鎧兜に身を固め、佩刀している。
その一隻には、次右衛門と平馬も乗り込んでいた。二人の属する鉄砲組は敵船の乗組員、主将の狙撃が任務である。
舳先の外板に書かれた墨痕鮮やかな『牡牛丸』の文字が波に濡れ光っている。
「火縄を濡らすな」
組頭の庄左衛門が声を枯らして怒鳴る中を、豊久座乗の軍船はぐんぐんと戦闘海域に進んでいった。
二人は船べりを時々襲う波しぶきが火縄に当たらないよう、銃を大事な赤子のように懐に抱え波間に近づく敵船に目を凝らした。
「あれを取っどお」
舳先に立った豊久は、梶を握る船長に怒鳴った。
豊久の目線の先には、倍はあろうかと思われる大船が米俵を積み上げた日本船に近づきつつあった。
どうやら、兵糧の搬入阻止を意図しているらしかった。
「取り舵じゃあー」
船長が、船内の水夫頭に取り舵を指示し、水夫頭は右舷の漕ぎ手に櫓を上げるよう命じ、左舷の漕ぎ手に全速を命じた。
牡牛丸は、自らの意思のようにぐいぐいと朝鮮水軍の大船に突進を開始した。
「鉄砲組、左舷に着け。敵船の正対する弓手を狙え」
庄左衛門が嗄れ声で采配を上げた。
次右衛門と平馬は、敵の弓兵が矢を番えるのを確認し銃の狙いを定めた。
庄左衛門は右舷の銃手が左舷に移動し、両舷の銃手が各々狙いを付けたのを確認すると采配を振り下ろした。
「放てーっ」
ババババーッ、と銃声が連続した。
敵船の弓手がバタバタと斃れた。
次右衛門たち鉄砲組はそれらをいちいち確認する暇も無く、銃身の清掃と次弾の装填を急いだ。
その間は、こちらの弓手が敵船に矢の雨を降らせて反撃の暇を与えない。
さらに牡牛丸は敵船にぐんぐん近づいた。
ドーンッ、と大きく鈍い音と船全体を揺さぶる衝撃が襲った。
牡牛丸が敵の大船に強行接舷した。
単純に比較すれば、敵船の船べりの方が牡牛丸より二尺ほど高かった。波の加減でその差が広がったり縮まったりする。
その縮まった瞬間を豊久は逃さなかった。
鎧兜に身を包んだ豊久が有り得ない距離と高さを跳躍した。
敵船に乗り移った豊久は日の光をキラキラと反射させながら太刀を振るい、湾刀を振るってくる敵将を切り伏せた。
「それっ、主君に遅れるは家臣の恥じゃっど」
近習や主だった侍たちが豊久に続いた。
日本刀の切れ味は、朝鮮兵の皮鎧を容赦なく断ち切った。
次右衛門たち鉄砲組は、敵船上で白兵戦を繰り広げる味方将兵の背後を脅かす敵兵を狙撃して援護した。
気魄に勝る豊久の将兵はあっという間に朝鮮兵を切り伏せてしまった。
海戦は、一刻ほどで終わった。
朝鮮水軍は、総大将の元均が戦死し敗退した。
さて、漆川簗の海戦を終えた豊久麾下の将兵は加徳島に引き上げ、しばしの休暇を取った。
駐留する日本軍に押収された民家で、次右衛門たち鉄砲組は火縄銃の分解と清掃に取り組んでいた。
海上戦闘で潮水を被らずとも、塩害で錆びるのは避けたいのだ。次右衛門は、銃身の中を油を染み込ませた布をカルカで何度も往復させている。
そこへ、酒を買いに外出していた平馬が帰って来た。
「義兄者、さっき酒を買うけ出かけたら義弘様のご家来に遭うてな」
平馬は、目を丸くして話を切り出した。
「そうや」
「敵将の元均は鉄砲でやられたげな」
「ほう、鉄砲で」
次右衛門はカルカの往復を続けている。
「大よそ三十間離れた船から一発で仕留めたげなど」
「あげん揺れる船で三十間…、そやおはんでもおいでも難しど」
次右衛門は、手を止めて平馬を見た。
「その鉄砲撃ちは誰じゃと思うや」
「さあ」
「おいが鉄砲を教えた柏木源藤じゃげな」
「柏木源藤…」
「源藤は、その手柄の褒美に知行取りになったげな」
「そうや。そりゃ大したもんじゃ。師匠のおはんも鼻が高かな」
「いやあ、何か妙な気持じゃ」
平馬は複雑な表情である。
「何ごて」
「源藤は、元々印字撃ちの名人じゃった。あんやっが鉄砲の撃ち方は印字撃ちの要領を鉄砲に置き換えただけじゃ。おいは教えたち言うよりか、ただその撃ち方を会得するのを見守っちょっただけよ」
「そげんじゃったや。ま、お味方に鉄砲名人が一人でも増えたのなら祝着よ」
次右衛門は、いつの間には右手に空の椀を差し出している。
「おっ、気が利かんかったの」
平馬は買って来たばかりの濁り酒の入った瓶子を傾けた。
「おはんの気が利かんのは、慣れちょっど」
次右衛門は、そう笑うと濁り酒に口を付けた。
平馬は四年前のあの日以来、源藤と顔を合わす機会はなかった。今でも、次右衛門と瓜二つの顔立ちだろうかとぼんやり考えながら、義兄の横顔を見詰めた。
こうして海上補給路の制海権を確保した日本軍は、次に陸上拠点の構築を企図した。総大将の秀家は、前回の戦役において朝鮮半島の道路網や港湾施設の貧弱さ、現地民のゲリラ的襲撃で、補給の維持にさんざん苦しんだ事を反省し、今回は、手始めに朝鮮半島の南部海岸一帯に城郭群を築く計画である。
その城郭群構築を妨害させないために、日本軍は半島南部に軍事的空白地帯の設置目的で掃討戦を開始した。
陸上の戦線は瞬く間に北上し、朝鮮軍、明軍は漢城に撤退した。明・朝鮮の軍勢を敗走させた日本軍の各将は追撃をやめ、当初の計画通り兵を引き半島南部の海岸域に複数の城郭の構築を開始した。
しかし、半島駐留の明軍はそれらの日本軍の行動を黙って見守るはずもなく幾度も攻勢をかけて来ては撃退される攻防戦は、翌年の秋まで続いた。
慶長三年(1598年)八月十八日、秀吉は死去した。
秀吉の朝鮮半島侵攻の真の意図は家康と官兵衛以外に知る者は無く、政権第一人者の家康は秀吉の生前に受けた密命に従い秘密裏の撤兵を指示した。
しかし、日本軍の一連の撤退行動は秘匿の努力も虚しく、明・朝鮮軍に見破られ幾度も追撃戦を仕掛けられた。
さて、朝鮮半島南岸のほぼ中央に位置する順天城は、虚偽の講和工作が露見し危うく死罪を免れた小西行長が守っていた。
行長はなるべく秘匿に努めて撤退の準備に取り掛かっていたが、秀吉の死を認識した明・朝鮮の水軍は順天城を海上封鎖し行長の脱出を不可能にした。
そこで、日本軍は薩摩の島津義弘、筑後の立花宗茂が主体の水軍およそ五百隻を編成して順天城の行長の救出に向かい明・朝鮮水軍との海戦が始まった。
十一月十八日の夜、月が淡く照らす露梁海峡の西方に現れた明・朝鮮連合水軍は日本軍と互角の隻数であったが、上流に位置するため海戦は連合軍有利に始まった。
朝鮮水軍の李舜臣は、日本軍との過去の戦歴では接近しての矢合戦は鉄砲の前に沈黙させられるし、接舷して船上で白兵戦を展開しても日本刀の斬れ味には歯が立たないことを学んでいる。
彼が今回準備したのは火船と大量の火矢だった。
接近戦を挑んでくる日本船との間合いを測った李舜臣が合図をすると、各船上の銅鑼がけたたましく鳴り響いた。
ビュンビュンと夜の空気を引き裂いて、火の雨が義弘や宗茂の軍船を襲った。また、山と積み上げた薪に火を点けた船を誘導して激突させる火船攻撃が威力を発揮した。
月夜の海面に浮かぶ船は一旦火が付くと、格好の的となる。
「怯むな、怖じ入るな。水が間に合わん時は叩き消せ」
露天甲板で義弘は、次々に突き刺さる火矢に慌てふためく将兵に大声で指示を出した。
「敵船に突っ込め」
さらに、義弘は采配を振るって怒鳴った。
船上のあちらこちらに突き刺さった火矢は、兵士たちが消火に追われ、中には火矢の犠牲になって斃れる者もあった。
「朝鮮の船がえらい儂を狙うてくるな。さては泗川の戦で負けた恨みか」
あちこちで火の手の上がる中、義弘は敵勢の分析をしてにやりと笑った。
やがて、丸に十文字の描かれた巨大帆は燃え落ち、遂には帆柱まで燃え上がった。
それでも、船はみるみる朝鮮船に近づいている。
「こりゃ、危ねな。誰か帆柱を切い倒せ」
燃え盛る帆柱を見上げた義弘は傍らの兵士に声を掛けた。
「はい、ただいま」
その兵士は何処からか斧を探してきて、帆柱の根元にその刃先を打ち付けた。
ミシミシと悲鳴を上げて、どおっと倒れた帆柱は左舷に接舷していた朝鮮船の甲板に激突した。
燃え盛る大木が甲板に倒れこんで、度肝を抜かれた朝鮮船の兵士が息を呑む間もなく、島津兵が乗り込んで来た。
朝鮮船に乗り込んだ義弘は近づく朝鮮兵を躊躇うことなく斬り伏せた。
「それ、おいに続け」
六十二歳の義弘は朝鮮船の甲板で、血に濡れた刀を振って後続を促した。
その時、義弘は左肩に軽い衝撃を受けた。
見ると、朝鮮軍の矢であった。鎧の袖に食い込んではいるが貫通はしていない。
朝鮮船の左舷海上から日本人とは異なる大きな喚声がする。
今、乗り込んだばかりの朝鮮軍船の左舷には仲間の危機を救おうと、もう一隻の朝鮮軍船が近寄っていた。
「こりゃ、数が足らんな」
義弘は自分に後続して乗り込んできた島津兵が十人にも満たない事に焦りを覚えた。
その時、ドカーンッと落雷の直撃のような大音響が轟き振動でよろめいた。
今、味方を救わんと近づいた朝鮮船が左舷から転覆せんばかりに傾いている。
見ると、一隻の日本軍安宅船が燃え上がりながら、味方の救援に駆けつけたその朝鮮船左舷に舳先から激突していた。
船腹を深々と食い破られた朝鮮船があっという間に、沈み始めた。
朝鮮船に衝角攻撃を加えて撃沈したのは、忠真の指揮する船だった。
忠真は、沈めた敵船を乗り越えて義弘の船に接舷している朝鮮船にあっと言う間に接舷した。
最初に乗り込んで来たのは忠真だった。
すかさず襲い掛かる朝鮮兵を袈裟懸けに斬り斃した忠真は、義久に軽く会釈して更なる兵士と刃を交わした。
「忠真どん、礼を言うど」
義弘は、敵兵を斬り伏せて怒鳴った。
「維新様に御礼を言われるちは、勿体なか」
忠真は敵兵の振りかぶった湾刀を掬い上げて斬り斃した。
五年前の春川城での側撃、数か月前の泗川城外での果敢な突撃、たった今実行した船舶の衝角攻撃、どれもが舌を巻く戦術である。
義弘は忠真の武将としての器に感服した。
自分や豊久のような陽気な振舞いはしないが、命の危険を晒す戦場で沈着な態度をとるのは誰もが出来る事では無いことを痛いほど知っている義弘である。
(儂が戦場で明るく振舞うのは内心の怯懦を追い出すためなのに、落ち着き払って戦う忠真は自分とは違い、心底恐れを知らぬ男かもしれない)、と義弘は思った。
海戦の序盤、数に優る明・朝鮮連合水軍は日本軍与し易し、と島津・立花艦隊を押し包むように攻勢に出て火矢の雨を降らせた。
しかし、士気の差はいかんともし難かった。
海戦は数刻に渡って続いた。火災を起こしても前進を続ける日本船に恐怖を感じた明や朝鮮の兵士は、日本兵に乗り込まれると気を呑まれ月光に煌めく日本刀に悲鳴を上げた。
士気は旺盛でも、消火しきれなかった日本船は次々に沈没した。
抵抗の途絶えた朝鮮船の甲板上で、義弘は辺りを見渡した。
波間に月明かりが漂う中を、明・朝鮮水軍の艦隊が西に引き上げて行くのが見えた。
東の海上には、帆柱が倒れて焼け焦げた味方の船が数隻見えた。海中に没した船の周りには鎧を脱いで身を軽くした兵士たちが浮かんでいる。
「では、拙者は戻りもす」
刀を鞘に戻した忠真は、義弘に一礼して船べりに向かった。
「あっ、忠真どん」
義弘は、忠真が立ち去るのが惜しかった。
「はっ、何でごわすか」
立ち止まった忠真はゆっくりと振り返った。
「あ、いや。そげん言えば、おはんな独り身じゃったがな」
「左様でございもす」
「おいが末の娘に『おした』がおる」
「おした殿でございもすか」
「我が兄の許しがあれば、嫁女に貰うちくれんか」
義弘は勢いに任せて言いきった。
忠真は、少し驚いた。
「我が父には」
「京の忠棟殿には兄から伝えて貰おう。異存があるや」
「滅相もごわはん。大殿のお許しがあれば喜んでお受けしもす」
忠真は柔らかな笑顔でお辞儀した。
義弘は爽やかな余韻を残して去って行った忠真を見送った後、暫くぼんやりとした。
「義弘殿―っ、ご無事でありますかー」
声の方を振り向くと、一隻の軍船が近づいている。満帆の帆には特徴的な銀杏と巻物の家紋が描かれている。
舳先に立つのは、豊後の大友氏から独立した武将立花宗茂であった。
宗茂は自船を接舷させると、ひょいと乗り移ってきた。
十一年前、島津氏が九州全域制覇をあと一歩で達成できなかったのは大友氏家臣の宗茂の鬼神のような強さが原因であった。
義弘は直接対峙した事は無いが、いとこの島津忠長や伊集院忠棟など島津方の多くの武将が宗茂に煮え湯を飲まされている。
宗茂は最終的には秀吉の島津征討軍の一角となり功績を上げ、とうとう柳川八万石を拝領した。
島津氏にとって、天敵のような男である。そんなこんなが回想された義弘は、一層明るく振舞おうと思った。
「宗茂殿、寒か晩に朝鮮焚火のもてなしで温もりもした。がははは」
義弘は、鎧の左袖に刺さった矢を引き抜いて豪快に笑った。
「やっぱ、島津勢は強か強か。恐れ入りましたばい」
宗茂は感心しきりである。
「宗茂殿に褒めらるっと皮肉に聞こゆっど」
「いやいや、本心で言うとりますばい」
苦笑いの義弘に、宗茂は真顔で答えた。
「殿、順天城の方角から船が出て来もした」
義弘の近習が北方向の海面を指した。
「あー、あれは行長殿じゃ」
宗茂の説明に、ふむふむと頷く義弘は近づく小西船を見詰めた。
やがて、生気の無い表情の行長が甲板に設えた櫓から出て来た。
「島津殿、立花殿。此度のご加勢忝けのうござった」
義弘の船に乗船した行長は、義弘と宗茂に深々と頭を下げた。
秀吉に激しい叱責を受けて以来、行長は生来の陽気な商人的性格は隠れてしまい、地味な実務家の顔となっていた。
「何の何の。同じ九州の大名仲間じゃ。困った時はお互い様じゃっど」
義弘は行長の肩を軽く叩いた。
「義弘殿の仰る通りたい。我ら一同が何とか国に帰るまで行長殿が頼りばい」
宗茂も朗らかに語り掛けた。
「御両所のお言葉、痛み入ります」
行長は、少し緊張がほぐれた表情になった。
「ところで、義弘殿。御座乗の大船は帆柱を失うておりますばい。これから釜山までどぎゃんしてお帰りなっしゃるな」
宗茂の言葉に、義弘は我が船を改めて見分した。
確かに帆柱は焼け落ち、甲板中央の櫓も屋根が焼け落ちている。甲板や船縁のあちらこちらも焼け焦げがあり、乗り組みの将兵もその多くが火傷を受けていた。
「こりゃ、満身に火傷を負うた鯨じゃな」
義弘は唖然とした。
宗茂の軍船も、義弘の船ほどではないがあちらこちらにある火矢攻撃の焼け焦げが痛々しかった。
「良かれば、我が船にお移りになられては如何でごはしょうか」
行長はそう誘った。
「うーむ、行長殿のお誘いは嬉しかどん、幸い櫓の漕ぎ手は健在でごわす。ぼちぼち漕いで行けば釜山までは帰りがなるやろ」
義弘が丁重に断わると、行長も宗茂も義弘の船を降りた。
そこへ入れ替わるように、丸に十文字帆の軍船が後方からぐいぐいと近づいてきた。
甲板に現れたのは忠恒だった。
「父上、ご無事でごはしたか。おいの船からは父上の船が大火事に見えもした。沈みはせんかち冷や冷やしちょいもしたど」
「おう、一時は危ねかったどん、忠真どんが助けに来っくれてな。敵に体当たりを噛まして転覆させたど。見事な操船じゃった」
「忠真でごわすか。裏切り者の息子が役に立ったち、父上は言われもすか」
忠恒は、唾棄するように父に食って掛かった。
「そげな事を言うな。伊集院家は代々我が島津家を支えてくれた忠臣じゃっど」
「そん忠臣は日向の根白坂で怖気づいて突撃せんかった。その上、太閤殿下に取り入って八万石の大大名でごわんど」
忠恒は憤懣やる方ない口調である。
義弘は、また忠恒の伊集院家への悪口が始まった、とうんざりした。
「じゃねど、忠棟どんが上方で太閤殿下のご家来衆と懇ろにしてくれたお陰で五年前の梅北の謀反騒ぎも大事にならんで済んだとじゃ。唐入りの時期に謀反騒ぎじゃったから、お取り潰しになっても当然じゃった。お取り潰しを無しに纏めてくれたのは忠棟どんじゃ」
「おいは、そげんは思いもはん。梅北ん騒動を大騒ぎせんかったとは、太閤が島津の力を恐れてでごわんそ」
忠恒は、義弘の噛んで含める様な説明をにべもなく否定した。
「お前もくどかな。忠棟どんはさておき、息子の忠真は有能じゃ、春川城での機転の利けた突進、泗川城での猛攻、そしてたった今の船戦、こげな戦巧者は日の本中を探しても中々おらんど」
「父上は、いっつも忠真を褒め過ぎじゃひど」
忠恒は忌々し気に反論をやめない。
「褒め過ぎじゃなか。忠真の実績を申しただけじゃ。そいに、儂は忠真と約束した」
「何をじゃひか」
「おしたをやる」
「えっ」
忠恒はぎょっとした。
「お前の妹のおしたを忠真の嫁にやる」
「はあっ、そいは真でございもすか」
忠恒は、笑うと目じりの下がる妹の顔を思い出した。朝鮮への出陣で五年前に別れた時は、十歳の可憐な少女であった。
幼い頃のおしたは『次の兄様、次の兄様』と自分を呼んでいた。上の兄様が戦陣で病没した久保で、忠恒は次の兄様。
忠恒は、おしたの少し舌足らずで甘えたような声音を思い出していた。
「ああ真じゃ、有能な家来筋と絆を強うする。古来よりの武家の習わしじゃ」
義弘は、父親の威厳で言い切った。
「分かいもした」
父の厳しい口調に懐かしい回想が断ち切られた忠恒は、憤然とした面持ちで踵を返して下船した。
こうして、三名の大名は配下の軍船を連ねて船団を組み釜山を目指した。
釜山沖には、先に帰着していた豊久の船団が待っていた。
「伯父上、良くぞご無事で」
豊久は義弘の船に上がり、帆柱を失い船体全体が焼焦げた義弘の船を見回して驚愕した。
「うむ。おいも一時は海で火葬されるかち思うたど。じゃっどん忠真が果敢に敵船に体当たりしての。お陰で敵船団を追い払うことが出来た」
義弘は忠真の座乗する船を指した。
「忠真殿が、でごわすか。あんお人はいつも戦振りが見事でごわすな」
「うむ。頼もしか武将じゃ。島津家とも絆を深めて欲しかで、娘のおしたを娶うてもらう約束をしたど」
「それは祝着。おめでとうございもす」
豊久はにこりと笑った。
「忠恒は気に入らんようじゃが、おはんに祝いの言葉を貰うと儂は嬉しか」
「忠恒どんも、そのうち気が変わるち思いもすが。ところで、伯父上の船がこれでは玄界灘を超えるのは無理じゃなかひか」
「うむ、おはんが言う通りじゃな。帆柱やら甲板、外板もろもろ修理をせにゃ玄海の荒波を越えて渡りはならんな」
義弘と豊久は無くなった帆柱の根元を見詰めた。
「伯父上、今の情勢でのんびり修理は無理でごわすど。おいは前回の海戦で敵の大船を一艘分捕りもしたが…」
豊久は少し離れた位置に浮かぶ朝鮮船を指した。外見のみでは敵船と区別がつかないので、船首に大きな日の丸の旗が建てられている。
「おお、あれがそうか。おはんもボッケモンじゃな」
義弘は、豊久の剛毅さを笑って褒め称えた。
「実は、あげんふっとか船で玄界灘を越えるには漕ぎ手が足りもはん。伯父上の水夫とご家来衆丸ごとあれに乗って帰やってはどげんでごわすか」
「なるほど、名案じゃな。おはんのせっかくの申し出じゃから、そげんさせて貰おうかの」
「はい、正に渡りに舟でごわす。ははは」
「確かに、船がうっ壊れた儂にも渡りに船じゃ。わははは」
二人は、豪快に笑って互いの両肩を叩きあった。
こうして、朝鮮半島を舞台に日本、朝鮮、明との間で繰り広げられた戦役は慶長三年(1598年)に幕を下ろした。
十一月下旬、玄界灘を日本へ向けて白波を蹴立てて走る島津船団の中には、帰郷の喜びに胸を膨らます次右衛門と平馬の姿もあった。