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6.豊久

 秀吉の九州遠征は自領の拡大が目的ではない。島津氏が徹底抗戦すれば攻め滅ぼすつもりであったが、恭順したからには領地の全てを召し上げることはなく在地の小領主も従来の地所に住んでいる。豊臣政権の沙汰を待つ謹慎である。

 それは、日向を預かる家久も同様であり佐土原城に蟄居していた。

 その日、次右衛門は綾の鍜治場で平馬と槌を振るっていた。

太刀打ちである。鉄砲鍛冶では平馬が主導し、太刀打ちでは国広の技を間近に見ていた次右衛門が主導して平馬は補佐に徹する。

 沸かしを終えた鋼を鍛錬の工程へと進め、次右衛門はテコ棒と小槌を持ち、大槌を持った平馬が相槌を打ち込む作業を黙々とこなした。何度も繰り返してきた作業に、二人は阿吽の呼吸で迷いなく槌を振るい続けた。

 焼き入れを済ませ、灼熱の赤みを帯びた鉄塊は、もう少しで反り浅く匂い出来の刀となる筈だ。

 額の汗をぬぐった次右衛門は、鍜治場の外に人の気配を感じて外を覗った。

栗毛の肥え馬の鞍上で笠を脱いだ家久がにこりと笑っている。

「と、殿」

 次右衛門は慌てて片膝をついた。

 物音に気付いた平馬も慌てて出て来た。

「これこれ、微行じゃ。そげん畏まるな」

 三人は鍜治場の奥の板間に腰を下ろした。

「殿、城を出て良かとでございもすか」

「義兄者、愚問じゃっど」

 平馬は苦笑して次右衛門をたしなめた。

「そうか、おはんらは義兄弟じゃったな」

 家久は微笑して、平馬の妻のなつが出した茶碗の白湯をすすった。

 なつは、背中の赤子をあやしながら会釈をして外へ出て行った。

「実は、儂に一振り打ってもらえんかち思うての」

「殿に…」

 次右衛門と平馬は互いの顔を見合わせた。

「もちろん、礼は弾むぞ」

「おい達んごと田舎鍛冶が打つ刀が殿の佩刀になど望外の名誉でございもす」

「全身全霊を込めて打ち上げてみせもす」

「うむ、頼むぞ」

 家久は口取りから手綱を受け取ると、軽々と馬上に腰を下ろし三人に会釈してもと来た道へと引き返していった。

 野道に消えていく家久を見送った次右衛門は、はっと我に返った。

「こうしちゃおれんど、平馬。なつ」

「念を入れて打ち上げもんそ。義兄者」

 二人は鍜治場へと取って返した。


 家久の悲報を聞いたのは、家久の依頼を受けた刀が打ちあがったその日であった。

 一心不乱に刀の研ぎに取り組んでいる次右衛門と平馬のいる鍜治場に、なつが駆け込んできた。

「旦那様、兄様。大変じゃ」

 肩で息をしながら、なつは声を震わせた。

「どげんした」

 次右衛門と平馬は同時に聞き返した。

「と、殿さまが、家久様が…」

「殿が…どげんしやった」

「亡くなりもした」

「何…」

「何ごて…」

「何ごてかは聞いちょいもはんが。佐土原のお城で急にお亡くなりになったち、お触れが回っちょりもす。士分の者は急ぎ登城せよ、ち言うことで」

 なつの言葉が終わるのを待っていたかのように、背中の赤子が泣き出した。


 佐土原城の表屋敷では参集した侍がごった返している。

 部将クラスの身分の高い者は板敷の大広間に上がり、次右衛門や平馬などの下位の者は庭で控えている。

「どーん」と、太鼓の音が響いた。しわぶきが消え静まり返った大広間の上座に島津豊久が現れた。

「新しきご当主、豊久様である」

 上座の家老が出席者に声をかけた。

「豊久じゃ」

 段上の豊久は仁王立ちで落ち着き払った声で名乗った。

「皆、良う聞いちくれ。父家久は急な病でお隠れになった。皆、今ずい我が父家久によう仕えてくれた。父に代わり篤く礼を言う。これからは儂にしっかり付いて来てくれ。よろしゅう頼む」

「ははー」

 一同が平伏して、対面の儀式は終わった。

 次右衛門と平馬は、連れ立って本丸の門を出ようとしていた。

 次右衛門は門の警護に預けていた白鞘の太刀を受け取っていた。家久が注文した太刀であった。

 家久に注文された太刀であったが渡すきっかけが無いままである。

「そこのお二人、お待ちくいやんせ」

 背後の声に振り返ると、先ほど豊久の脇で太刀持ちをしていた小姓であった。

「拙者は殿のお側に仕える川口佐久兵衛と申す。殿がお呼びでございもす」

「は、そうでごわすか」

 二人は顔を見合わせ、次右衛門は受け取った白鞘を再び門衛に預けようとした。

「その太刀を持っ来てくれ、ち言われもした」

 小姓は、白鞘を見やった。


「沖田畷以来じゃの、次右衛門、平馬」

 奥御殿の縁側で豊久は、にこやかに語りかけた。

「ははっ、殿に置かれましては初陣での華々しか戦ぶり、家来一同鼻が高うございもした」

「次右衛門、愚直者かと思うちょったが戯言も言うとか」

 と、笑った。

「いえ、戯言じゃございもはん。初陣の最初の一槍で兜首を獲るなど、もの凄肝の太か証拠と拙者は思いもすが」

「そうかそうか礼を言う。ところで、おはんが背負うちょる太刀じゃが」

 庭先の次右衛門は、背中の白鞘を結んだタスキを解いた。

「亡き殿に所望されて、打ち上げもした品にございもす」

「やっぱい、そうじゃったか」

「はっ」

「実は、儂が所望しちょった」

「えっ」

「何かの折じゃったが、父に綾には国広の弟子が一人残っちょるち聞いて、一振り打って欲しかなあ、ち父に話したのじゃ」

「左様でございもしたか」

「本来なら儂が赴くところじゃったが、父が『儂は国広の弟子とは顔なじみじゃから』ち言われての。あの日は、夜の明けんうちに口取り一人を連れて行かれた」

「そうでございもしたか。確かに拙者は国広の弟子の端くれではございもすが、恥ずかしながら薪割やら水汲みやらの小使い働きで、太刀打ちは見よう見まねでございもす。この太刀も先代様に直々にお申し付け頂いた手前、取りあえずお持ちした次第で恥ずかしか出来栄えでございもす」

「左様か、見せてみよ」

 次右衛門は、佐久兵衛を経由して豊久に白鞘を渡した。

 豊久は、サラリと太刀を抜き刀身を日にかざした。

「わしは刀の良し悪しの詳しか事は分からんが、地沸や湾れが見事じゃの、反り具合も良か、身幅も太くて頼もしか。何より握りやすかど。見事な出来栄えじゃ。で、儂が所望しても良かか」

「勿論でございもす。殿には過分のお褒めを頂き有難きことでございもす」

「今日は、良か太刀が手に入った。嬉しか」

 笑顔の豊久は太刀の両面を二、三度ほど返して眺めた後ぱちりと鞘に納めて佐久兵衛に渡し、目くばせした。

 佐久兵衛は脇に置いてあった三方を縁側に置いた。

 三方には、小さな包みが二つ置いてあった。

「些少じゃがそれぞれ納めてくれ。これからは戦場では儂の側近くで務めてくれよ。頼んど」

「有難き幸せに存じもす」

「誓って、殿のお役に立ちもす」

 二人は各々に褒美を準備してくれた豊久の細かい心遣いに感激した。

 豊久は縁側から身を乗り出し、次右衛門と平馬の手を交互に両手でがっしりと掴んだ。


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