2.都於郡城
都於郡城は、日向の中心に位置する。
律令時代はすぐ近くに国分寺が置かれた。その地の利を生かすために、三財川を望む小高い丘に伊東氏が築いた本拠地が都於郡城である。
日向を我が物とした島津義久は、日向の抑えに末弟の家久を指名した。腹違いの弟家久の母親は低い身分ではあるが、実直な家久を信頼しての人事である。
家久は義久の命を受けて、その都於郡よりも将来の海運を考慮して海寄りの佐土原に居城を決めた。佐土原城の完成までの家久の仮住まいが都於郡城である。
天正7年(1579年)のある日、都於郡城にはかつて伊東氏に服属していた日向各地の小領主や武士が家久の新規召し抱えの呼びかけに応じて、続々と集まった。
弓、槍、鉄砲、騎馬組など、それぞれが望む兵種の組頭が実地試験を行い採用の適否を決める再仕官試験である。その中には、鉄砲を抱えた次右衛門の姿もあった。
馬場の一角に即席の射撃場が設置され、先の方にひし形の小さな杉板が数本建てられている。
鉄砲を抱えた者十数名が、鉄砲組頭を囲んで話を聞いていた。次右衛門のような若者もいれば白髪交じりの者もいる。
皆、変わりゆく時代の流れの中で生き続けるために緊張と期待の目を輝かせている。
「わしは、家久様より鉄砲組頭を仰せつかっておる牟田神庄佐衛門でごわす。各々方には、鉄砲の腕前をご披露頂き、秀でた腕の者は召し抱えとなりもす。まずは、十五間(二七m)先の的を射抜いていただく。名前を呼ばれた者は、お支度を。では、押川次右衛門殿」
「はっ」
まさか、いきなり呼ばれるとは思わなかった次右衛門だが深呼吸をして、所定の射撃位置についた。膝撃ちの姿勢である。
次右衛門は深く息を吸うとゆっくりと吐き出して、手慣れた手つきで火薬、弾丸をカルカで押し込んだ。膝立ちになると、左の人差し指をなめて風を探った。無風である。
火縄を火挟みに挟み、火蓋を切った。
先目当てと元目当てを視線にそろえ、十五間先の杉板を狙った。手だけで支えると定まらない狙いを補うために、いつものように左肘を左膝に置いた。
父に教えられたとおり、そっと息を吐きながら静かに引き金を引いた。
「ばんっ」と、銃声が上がった。
ひし形の杉板が、二枚の三角板となった。
「お見事っ」
牟田神が宣言するように声を上げた。
「申し遅れたが、的板は一尺四方でごわす」
次右衛門の背後で静かなどよめきが起きた。
火縄銃の射手であれば、十五間先の一尺四方の板をきれいに二つに割ることの困難さは誰もが理解している。
銃腔内部に旋条の刻まれた現代のライフル銃と違い、滑腔状の空洞を丸い弾丸が不規則運動の後銃口を飛び出すのだから弾道は不安定である。
そのことは火縄銃の射手を生業とする者は経験則として知っているから、的板を二つに割った次右衛門に対して、その技量を讃えたのだ。
次右衛門に引き続き、参加者は次々とその射撃の腕前を披露している。的板の端に当てる者もいれば、掠りもしないものもいる。
そして、最後の射手が呼ばれた。
「淵脇平馬殿」
「はっ」
出てきたのは、次右衛門と年恰好の似た若者だった。
その若者は右の額から頬にかけて薄桃色の火傷の跡があった。
平馬はにっこりと笑いながら支度を始めている。これから行うことが、楽しくてたまらないと言う気持ちに満ちている。
(ほう、あの男はおいのように鉄砲が好きでたまらぬのだろうな)
と思う次右衛門や他の参加者が見守る中で、平馬はてきぱきと射撃準備を整えた。
膝立ちとなり銃を構えた平馬の表情から笑みが消えた。
平馬の眼が一瞬輝いた。
「ばんっ」
銃声が響き、その銃口からは小さな炎が上がった。十五間先の的板が二枚に飛んだ。
「おーっ」
参加者全員が驚嘆の歓声を上げた。
「見事じゃ」
歓声がやむと、一同の背後から大きな声が掛かった。
皆が振り返ると、頑健な体つきの武者が笑っていた。
「こ、これは、家久さま」
牟田神が片膝をついて式体をした。
その名を聞いて、一同は鉄砲を前において牟田神に習い片膝をついた。
「升佐衛門、どげんじゃ。皆の腕前は」
「はっ、腕達者の者が多かち存じもす」
「そうか、そいは頼もしか。先ほどの的板を射抜いた者は誰じゃ。名乗るが良か」
「淵脇平馬でございもす」
平馬が顔を上げて答えた。
「淵脇平馬、見事であった。升佐衛門、的板を割った者は他にはおらぬか」
「おりましてございもすが…」
庄佐衛門は、主君のとっさの問いかけに次右衛門の名前を失念していた。
「押川次右衛門殿でごわす」
平馬は次右衛門へ視線を送って、告げた。
次右衛門は、初対面で言葉も交わしていない自分の名を呼ぶ平馬に驚き、俯いていた顔を上げ家久を見つめた。
「押川次右衛門でございもす」
「うむ、淵脇に押川。二人とも良か面構え、その見事な腕前、頼もしか」
家久は笑みを絶やさず、ふと空を見上げた。
「そうじゃ、淵脇平馬に押川次右衛門。わしの頼みを聞いては貰えんか。何、座興じゃ座興」
家久は、いたずらっぽく笑って二人を交互に見つめた。
「宜しゅございもす」
平馬も笑って答えた。
「承りまする」
次右衛門も異存はなかった。
「左様か。じゃれば、二人には腕比べを所望いたす。おっと、言い忘るっ所じゃった。此度の呼びかけに参集の者は、悉く召し抱えちすっど。じゃから、淵脇平馬、押川次右衛門、二人とも安心してその腕前を発揮しちくれよ」
「ははっ」
次右衛門と平馬は、安堵と緊張を交えた顔で答えた。
「殿、腕比べの内容はどのようなもので」
「そうじゃな、二人とも十五間先の的は見事に射抜いたの。では、二十間(三六m)先の的ではどげんじゃろか」
庄佐衛門の問いかけに、顎に手をかけた家久が答えた。
「なるほど、では早速二十間先に…」
「まて、庄佐衛門。ただ二十間先の的を射るのでは面白みに欠くっど。わしに工夫がある」
家久は、準備に取り掛かろうとした庄左衛門を制してほほ笑んだ。
「二十間先に一間離しに二つの的を準備いたせ」
「はっ、畏まりもした」
「その二つの的の真ん中にわしが立つ」
「えっ」
部下に指示を与えようとした庄左衛門の動きが止まった。
「と、殿、そいはお戯れが過ぎもすぞ。万が一、殿に…」
「万一、わしに当たっても構わん。鉄砲の腕比べで弾に当たってけ死ぬくらいなら、戦場においても、いや戦以外のことでもつまらんことで死ぬじゃろ。逆に二発の鉄砲玉が身近に飛んで当たらぬのなら、わしの武運は益々栄えるじゃろうよ。二人の腕比べとわしの運試しを同時にすっど。名案じゃろが。わっはっは」
男子の怯懦を極端に蔑む薩摩人は、逆に冒険的行為を競い合い褒めたたえる風潮があった。
家久は自らを危地に立たせる企てを痛快に思い自然に頬が緩んでいる。
「どうじゃ、次右衛門、平馬。面白かろうが」
二人は、返答に困った。
次右衛門は十五間先の的板を撃ち抜くことは、ある程度自信はあり、そして成功した。
しかし、さらに五間先の的板に命中させることは、火縄銃特有の弾道の不安定さから照準とは別問題であり即答は出来かねた。
「確かに面白か試みと存じもす。喜んで我らが腕前をご披露いたしもす」
平馬は、家久の笑顔が伝播したかのように笑って返答した。
「えっ」
次右衛門は、驚いて平馬を振り向いた。
「のう、押川殿」
平馬のにこやかな表情は自らの技量を誇る素振りはなかった。ましてや、次右衛門を出し抜こうとする狡猾さも見受けられない。
「殿、では我らは支度がございもす」
平馬は、次右衛門を促して腰を上げた。
城内の傍らには、兵士の居住用の板葺きの質素な長屋がある。
「さあ、押川殿。おいと一緒き参られよ」
「淵脇殿、先ほどの…」
次右衛門は、長屋に入るそうそう平馬の発言を問いただそうと口を開いたが、平馬は片手を上げてにこりと笑った。
「おはんが仰りたいことは分かりもす。『二十間先の人が脇に立った的板など、まぐれじゃねと当たらんど』。じゃろう」
「ごわんど」
「それを、わしが自信満々にお受けしたのはどう言う了見じゃ、ち文句を言いたか訳じゃな」
相変わらず平馬は笑っている。
「ごわんど」
平馬の逆質問が的を得ているので、次右衛門は続けて追認するしかなかった。
「ところで、押川殿。せっかく、こうして友垣となったからには互いに名を呼びあおうではござらぬか。わしは、薩摩宮之城郷の鉄砲鍛冶淵脇平馬でござる。以後、お見知りおきを」
「わしは、日向穆佐郷の押川次右衛門でございもす」
「さて、次右衛門殿。おはんは鉄砲の鍛錬は相当積まれておるとお見受けしもすが、どげんじゃひか」
平馬の表情は真顔になっている。
「何故、そげなことを聞かれる」
「おはんの撃ち姿じゃ」
「撃ち姿」
「さよう、撃ち姿が綺麗か。あいは刀の名人が朝な夕なに素振りをするのと同じで、空撃ち実撃ちを何千何万と繰り返した者にしか出来ぬ姿じゃ。見事でごわす」
「平馬殿、それは過分の誉め言葉じゃが有り難く受け止める。ところで、おはんは鉄砲鍛冶の家のお生まれなのか、じゃれば…」
次右衛門は平馬に尋ねたいことがいくつも浮かび、言葉に詰まった。
「じゃひど。子細はのちほどゆるりと語ろうじゃなかな。ついては二十間先の的板に当てる工夫じゃ」
「おお、そうじゃったな」
「次右衛門殿、おはんもこの弾を使いやんせ」
平馬は自分の胴丸から一発の弾丸を取り出して次右衛門に渡した。
「これは」
次右衛門は初めて見る弾だった。
次右衛門は、親指と人差し指でその弾を摘まんで空にかざした。先端は丸いが、後ろ半分は筒状で底が平らになっている。
「どんぐり弾でごわす」
「どんぐり…」
「平たい底が火薬の力を一身に受け止めもす。このどんぐりは普通の丸い弾とは違っせ、ぐるぐる回らずに真っ直ぐに飛びもす」
次右衛門は平馬の説明を聞きながら、どんぐり弾を見つめ続けた。
「平馬殿、しかしこの形は弾込めが難しゅはなかかな」
「左様、そこで弾込めの前に菜種油に浸した綿布で銃腔を拭きもす。すると、するりと弾は入りもす」
「じゃれば、おはんが撃った時に銃口から火が吹いたのはその油が燃えたち言う訳な」
「ごわすど」
平馬はにやりと笑った。
「ところで、次右衛門殿。おはんは撃つ瞬間に銃身をごくわずかに右に振りもすが、あれはわざとでごわすか」
「…わしは右に振っちょいもすかな…。言われてみれば、確かに右に振りもすな。わしの銃はちいっとばっかい左に弾が飛ぶ癖がありもすから」
「やっぱり」
平馬は得心の言った顔で頷いた。
「さて、次右衛門殿。おはんは左の的を受け持たれよ。おいは右じゃ」
「その理由は」
「おいの銃は、二十間先までなら真っすぐ飛びもすから良く狙えば当たりもす。じゃっどん、おはんの銃でこのどんぐり弾を撃てば十五間先なら五寸(15㎝)、二十間先ならおおよそ一尺(30㎝)は左に逸れもす」
「なるほど。ではそれを見越して銃身を大きく右に…」
「右に振る必要はございもはん」
「えっ…」
「二本の的板は殿のお指図で一間の間合いがござる。おあつらえ向きに殿がその真ん中に立たれるのであるから、おはんは殿が腕を伸ばしたその右肘を狙いやんせ。そげんすっと丁度左の的板にそのどんぐり弾が当たりもす。銃身を振る撃ち方では誤差の修正が難しから命中はおぼつきもはん」
「えっ、殿の右肘を狙うとでごわすか…」
「そうでごわす」
「じゃっどん、万一、殿に当たれば」
「そん時は、二人でこれを使えば良かではなかな。それだけの事よ」
平馬は笑いながら、腰に差した脇差を叩いた。
「そうじゃな」
(狙って撃つ。それだけじゃ)
次右衛門は、平馬の言葉に浮足立った心を静めた。
「押川次右衛門、淵脇平馬。馬場へ参られよ」
庄左衛門の部下が長屋の入り口で大声で呼んだ。
「うむ」
二人は互いの顔を見て立ち上がった。
馬場の一角の臨時の射撃場には、射撃位置から二十間の距離に的板が一間の間隔を取って二枚立っている。
(遠かなあ)
次右衛門は的板を改めて見つめて思った。普段の射撃練習では二十間の距離ではあまり撃った経験はない。主に十五間の距離で撃ち込んでいた。父の助言では、戦場では確実に当てるなら十間、せいぜい十五間が有効射程と聞かされていた。
「ふう」
次右衛門は、大きく息を吸ってゆっくりと吐いた。視線を右にやると平馬は火薬袋から銃口へ火薬を注いでいる。
平馬は次右衛門の視線に気づくと、片頬を緩ませて軽くうなずいた。
次右衛門は、平馬に教えられた通り菜種油を染ませた綿布をカルカに巻き付けて銃腔に差して回しながら引き抜いた。あとは、いつもの手順通りである。
「押川、淵脇。支度は出来たな」
二人の準備を見守っていた庄佐衛門が確認を求めてきた。
「よろしゅごわす」
次右衛門と平馬は、銃床に頬を着けて答えた。
「殿―っ。支度が整いもした」
「おお」
升佐衛門の呼びかけに家久が大声で応じて、的板の脇からゆっくりと二枚の的板の真ん中へと歩を進めた。
「さあ、来い」
右手でわが胸をたたいた家久は笑っている。
「わはは、これは面白か、面白かど。わははは」
薩摩人は、いかに自分が強悍かを競い合い、強者ぶりを発揮することを無上の喜びとする。
そんな薩摩人の一人である家久は、自らの狂気に近い豪胆な企てを自ら発揮するという状況に血の沸く思いで心は満たされ、その笑いは狂笑に近かった。
家久は、両腕を左右に引っ張られたかのようにピンと伸ばした。指先は的板に触れんばかりである。
正に薩摩人が誇り憧れるボッケモン〈木強者〉の姿である。
(あっ、両手を伸ばした)
次右衛門は驚きながら、火蓋を開き狙いを定めた。
次右衛門は思わず家久の顔を見詰めた。
(人の顔はこげん小めかったのか)
次右衛門がそう思ったその時、次右衛門の視線に気付いた家久が、目を見開いて次右衛門を睨み返した。
次右衛門の視界の中で家久の顔が急に大きくなった。
次右衛門は静かに家久の右肘を狙った。
「放てっ」
家久が次右衛門を睨みつけたまま叫んだ。
「ばんっ」
銃声は同時に起きた。
二丁の銃口から炎が噴き出した。
「ぱ、ぱーん」
間髪入れずに乾いた音がして、二枚の的板がそれぞれ二つに分かれて落ちた。
「わははは」
家久は、これ以上愉快なことはないと大声で狂ったように笑った。
その時、二人の背後から誰かが駆け寄る足音がした。
「父上っ」
次右衛門と平馬は背後の大声に思はず振り返った。
こざっぱりした袴姿の子供が仁王立ちである。
「おお、豊寿丸。来い来い」
その子供は、家久の声に弾かれたように駆けつけた。
家久は八歳になる嫡男の豊寿丸を、軽々と抱き上げた。三十になる家久は男盛りである。胸板の厚さや眼光の鋭さは幾多の戦場を潜り抜けた武者にしか作れない威圧感に溢れていた。
「豊寿丸、父は良か家来を召し抱えたど」
「父上、それは真でございもすか」
「おお、真じゃ。それもいっぺんに鉄砲名人を二人もじゃっど」
「それは頼もしことじゃ、父上」
父の胸元を降りた豊寿丸は、二人の若者を見つめた。
「押川次右衛門にございもす」
「淵脇平馬にごわす」
「次右衛門、平馬。父を頼むぞ」
背伸びした物言いをする少年は、二人を見上げて笑った。
「ははっ」
二人は、豊寿丸に平伏した。
次右衛門と平馬は、その日は城内の長屋に泊まり城方より提供された雑炊鍋を囲んだ。
「ところで、平馬殿。おはんな何で宮之城から来やったとな」
次右衛門は、芋焼酎の徳利を平馬の木椀に傾けた。
「おいの父は元は刀鍛冶じゃったが、種子島まで渡って鉄砲鍛冶の八坂金兵衛殿の教えを受けて鉄砲作りの技を得もした」
「そげんじゃったとな。然らばおはんは跡取りじゃなかとな」
「おいは、鍛冶仕事は仕込まれもしたが、どげんしてん戦働きがやりとうて、後継ぎは弟に任せて家を出もした」
「そいで、日向まで出てきたとでごわすか」
「ごわすど」
平馬は、照れくさそうに笑った。
「平馬殿、おはんな鉄砲鍛治ならその鉄砲はおはんが打ち上げた鉄砲でごわすか」
「勿論じゃ、こいはおいの使い良かように打ち上げもした」
平馬は、そう言って自分の火縄銃を次右衛門に渡した。
「軽か、軽かな…」
次右衛門は、平馬の銃を壁に向けて構えて驚嘆の声を上げた。
「次右衛門殿、こいは重さ自体は普通の鉄砲と変りもはんど」
「えっ。しかし、こげんして構えれば偉く軽かど」
「おはんの鉄砲と重さを比べてみやれ」
言われた次右衛門は、右手と左手で自分の銃と平馬の銃の真ん中あたりの重心点を持ち比べてみた。
「まこっじゃ…、変わらんな」
次右衛門は、今度は自分の銃を構えてみた。
「うむ、これは…」
「次右衛門、気が付っきゃれたか」
「平馬どん、おはんの鉄砲は筒先よりは引き金辺りのほうが重い。おいの鉄砲はその逆じゃ」
「そう、おいは筒先を自在に動かしやすくする為に、筒先の肉厚をわずかに薄く仕上げ筒元は厚めに仕上げもした」
「なるほど、おはんはそげな工夫をしやったのか」
次右衛門は、改めて平馬の火縄銃を構えてみた。銃の向きを上下左右に変えると右手はしっかりと床尾を捉え、左手は筒先を軽々と動かす。
「確かに狙い易か。おいには及ばん工夫じゃ恐れ入りもした」
次右衛門は、独自に鉄砲の工夫を思いつく平馬に敬意を覚えた。
「そげんお褒めに預かると、げんなか〈恥ずかしい〉。じゃっどんな」
平馬は、照れ笑いを収めると次右衛門をじっと見つめた。
「何な、改めて」
「次右衛門殿、鉄砲の腕前そのものはおはんの方がおいよりずっと上じゃっど」
「じゃろかい…」
次右衛門は、平馬に銃を返した。
平馬は黙ってうなづいた。
「そや、何故そげん思うとな」
「この火縄筒という物は全部が全部、真っすぐは飛びもはん。必ず上下左右に曲がる癖があいもす」
「えっ、待っちゃんせ。平馬、おいが思うに二十間は真っすぐ飛びもすど」
「次右衛門殿、おはんな先ほど家久様の右肘を狙うて左の的を射抜いたのを、もう忘れやったとな」
「あっ、じゃった。確かに二十間先でおいが銃の弾は左に逸れもすな」
「このどんぐり弾で…」
平馬は、銃を構えて虚空を狙った。
「二十間、いや三十間(54m)先でん鎧は確かに打ち抜きもす。じゃが、三十間先の人に当てるのは至難の業じゃ」
「平馬は、三十間先を狙って当てるつもりでごわすか」
「いや、おいの銃でもおはんの銃でもそいは無理じゃ」
平馬は、銃を小脇に置いた。
「そげん言えば、おはんはおいが鉄砲は『十五間では五寸ずれて二十間では一尺ずれる』、ち言うたが、十五間の五間先で一尺もずれるちは何ごてかな。外れ加減が多か気がすいが」
次右衛門は、火箸で囲炉裏の灰に2本の直線を引いて尋ねた。
確かに、弾道が直線的に外れるのなら十五間の五間先ではせいぜい七、八寸のずれのように見えた。
「次右衛門殿、弾の道筋が外れるのは真っすぐじゃなかひど」
平馬が火箸で引く2本の線の1本は放物線を描いていた。
「こげな曲がり方になっとな」
「この線はどんぐり弾をどっさり撃ってみて見付けもした。弾は真っすぐじゃ無っせ、こげな曲がり方で飛びもす」
「…」
次右衛門は平馬の射撃についての造詣の深さに驚愕し、言葉を失った。
「そうじゃ」
ふと我に返った次右衛門は、目を輝かせた。
「どげんしやった」
「平馬殿、鍜治場があっど」
「鍜治場が…」
「そうじゃ、刀鍛冶の堀川国広様が手放された鍜治場をおいは譲り受けたとよ。そこでおはんと鉄砲の工夫をするのは、どげんじゃろかい」
「そや、良かな」
平馬の目が輝いた。
「ところで、あのどんぐり弾を初めっ見た時から気になっとじゃが、あれは誰の知恵でごわすか」
「…野分でごわす」
平馬は一瞬の間をおいて答えた。
「のわき、あの雨風の激しか嵐でごわすか」
「じゃひど、その野分でごわす。うーむ口で言うのは難しかなあ。いつか野分の明けた後の川で見つけがなるかもしれもはん」
「野分の明けた川でごわすか」
やがて、二人はいつの間にか昼間の疲れと酒の酔いに眠り込んでしまった。