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1.綾

 元亀、天正年代、日向の山間に綾という村があり、その村に堀川国広という刀工がいた。

日向を治めていた伊東氏に仕え、打ち上げた数々の刀は後世に銘刀として残した名人である。

 天正五年(1577年)、国広は伊東家の当主義佑が島津氏の圧迫を逃れて豊後へ亡命すると、伊東一族の落ち延びた先の豊後へと後を追って出て行ってしまった。

 国広には妻子もいたのだが、戦乱の世に女子供連れでの旅は諦めて、妻と娘は綾川のほとりの工房兼住居に残された。

 弟子にも残る者がおり、そのひとりに穆佐村の押川次右衛門という若者がいた。

 押川家は代々伊東家に仕えていたが、夜逃げ同然に豊後へ亡命した伊東氏に付いて行く訳にもいかず郷里を離れなかった。当然、跡取りの次右衛門は師匠の出国に同行は出来なかった。

「内方様、これからどうされもすか」

 次右衛門は、火の消えた鍛冶場を見回して国広の妻まきを振り返った。

「幸い、隣に兄がおりもすから、兄の助けに甘えながら田畑を耕していけば何とかなりもす」

 まきは旅立った夫への思いを振り切るように、髪をかき上げて気丈にほほ笑んだ。

「それより、次右衛門もせっかくうちの人に鍛冶を習い始めて間がなかのに、すんもはん」

「いやいや、内方様。おいは父より譲り受けた鉄砲に何か工夫が出来んものかと、国広様に鍛冶仕事を習い始めもしたが、国広様は刀作りの名人、おいは鉄砲の工夫がしたか。国広様にはどちらかと言えば迷惑な弟子でございもしたから」

「鉄砲の工夫ちは、何がしたかとですか」

 まきの娘のあざみが小首をかしげて、次右衛門を見つめた。次右衛門の一つ年下のあざみは、数年前から我が家に通い出した精悍な若者の次右衛門に興味津々だった。

「鉄砲は…」

 次右衛門は、手近にあった棒を取り上げて銃を構える姿勢を取った。

「鉛弾を火薬で飛ばす訳で、名人なら二十間(36m)先の的に当てがなっとじゃ」

 川向こうの大きな岩に狙った目を外して、父に教えられた火縄銃の性能を語り出した。

「そげな遠くまで…」

「いやいや、弓の名人はその倍も遠か的に当つっど」

「じゃれば、弓の方が戦には向いておりますか」

 今度は、まきが興味深そうに小首をかしげた。

「確かに矢は鉄砲の弾より遠くの的に当てがなっどん、力が違いもすな」

「力が…」

「そう、遠矢は当たり所が悪くなければ鎧に何本当てても傷は負いもはん。何ち言うても戦場の武者は鎧兜に身を包んでおれば、遠くから矢傷を負わせるのは容易じゃごわはん。じゃっどん、ちっとぐらい遠いてん鉄砲は当たれば鉄の鎧でも突っ破っせ一発で斃したり、死なんでも腕や足が役せぬようになることもありもす。父の受け売りでごわすが」

 次右衛門は、熱く語る自分を少し照れた。

「じゃれば、やっぱい戦場では弓より鉄砲でございもすな。そげん威力のある鉄砲に何の工夫がいりもすか」

「弓は、腕の良か射手なら狙った的にほぼ当てられもすが、鉄砲はいくら狙うても一発一発が違う所へ当たってしまいもす。それを何とか工夫はないものかち思うた次第で」

次右衛門は、向こう岸の岩を見詰めてそう言った。

「じゃれば、うちの主人がおらんごとなってしまって次右衛門はお困りでごわすなあ」

 まきは、済まなそうに次右衛門を見つめた。

「はい、じゃっどん、お師匠様には刀作りのイロハは一通り学ばせて頂きもした。勿論、お師匠様、いや兄弟子達の足元にも及びもはんが。鉄砲の工夫は先々考えもす」

 次右衛門は俯き加減に言った。

「そげん言えば、主人は次右衛門の事を言うておりもしたど」

 まきは、ふと思い出した素振りで切り出した。

「何をお話ししやったでごわすか」

 恐る恐る尋ねる次右衛門に、まきは笑顔で話した。

「次右衛門は弟子についてほんの数年じゃが、筋が良かし覚えも早か。良か相槌打ちが付けば今でも良か刀が打てる、ち」

 まきは我が事のように嬉しそうに話した。

「ええっ、それはまこっ(本当)じゃひか」

 次右衛門は驚いた。

「勿体なかお言葉でございもす。…実は内方様にお願いがございもす」

次右衛門は、両手を膝についてまきに頭を下げた。

「改まって、何でごわすか」

「実は、お師匠様がご出立間近のある日、おいに『次右衛門、儂がおらんごとなったあとはこの鍛冶場はおはんにやる。この玉鋼も使うて良か。たたらも何もかも使うて良かど』ち言われたとじゃっどん、まこち宜しゅうございもすか」

「畏まってお願いち言われるから何事かち思いもした。てっきり、あざみを嫁にくれち言われるかと思いもしたが違いもしたな」

まきはくすっと笑った。

「えっ」

思はず次右衛門とあざみは顔を見合わせた。確かに、二人とも二十歳手前の婚姻適齢期ではある。

「うふふ、そん事なら主人からここをお出でになる時に聞いておりもす。それに主人が直々に次右衛門にそう言われたのなら、何の遠慮がいりもそか。この鍛冶場は次右衛門が自ままにお使いやんせ」

「有難うございもす」

次右衛門は、安堵と喜びの混じった顔で鍛冶場を見渡した。傍で次右衛門を見上げるあざみと視線の合った二人は思わず顔を赤らめた。

 そんな二人を見つめて微笑むまきは、夫のいなくなった寂しさをしばし忘れた。


 さて、自分専用の工房を手に入れた次右衛門だが、刀作りの知識はあっても鉄砲鍛冶に関しては何も知らない。

刀を打とうにも、相槌を打つ者がいない。また、鉄砲の命中率を上げる工夫を鍛冶に見出したいが、その糸口の鉄砲鍛冶を教えてくれる者が近郷にはいなかった。

 仕方がないので、田畑を耕す合間に家近くの小高い丘に出向いて射撃の練習を重ねた。

的は厚さ二尺ほどの松の厚板である。厚板の中心部分に墨で円を描き、それを十間(18m)と十五間(27m)の距離を置いて狙い撃つ。

 単発先込めの火縄銃は、銃口から火薬、次に丸い鉛弾を詰めてカルカと呼ばれる突き棒で押し固めて弾丸の装填が完了する。

そして、火皿に火薬を入れて火蓋を閉じ、あらかじめ着火していた火縄を火挟みに挟み、火蓋を開けて、ようやく射撃準備完了という手間のかかる手順で射撃する。

 次右衛門は膝撃ちの姿勢を取り元目当てと先端の先目当てを的に見通して、静かに引き金を引く。

「バンッ」

銃口から銃声が響き鉛弾は松板にめり込んだ。

 次右衛門は、元目当てをやすりで三角形に、先目当ては凹型に削っている。一発一発の射撃は細かな手順の繰り返しであり、照準を確かめながらの射撃だから一時に十発撃てれば多い方である。

 そんなある日、次右衛門は射撃訓練を終えて草原に腰を下ろして、的の松板にめり込んだ鉛弾を小刀で抉り出していた。鉛は火薬と同様に貴重品であり、高価な輸入品である。取り出した鉛は持ち帰って、専用の小鍋で火にかけて溶かして鋳型に入れて再利用するのである。

「次右衛門さまー」

 自分を呼ぶ声に、俯き加減の次右衛門は顔を上げて声のする方向を見つめた。

 片袖をもう片方の手で持ちながら手を振るあざみが草原の向こうにいた。

「おう」

次右衛門も応えて右手を上げた。

「どげんでございもすか」

 次右衛門の横にぺたんと座り、あざみは下から覗き込むように次右衛門に話しかけた。その表情は心配しているようであり、どこか茶化しているようにも思えた。

「まあまあ、じゃな」

 次右衛門は苦笑いして、あざみの視線を外し鉛外しの作業に戻った。

「まあまあ、でございもすか」

 あざみは楽しそうにほほ笑んでいる。

 実は、まあまあではなく芳しくなかった。十間先の的には、どれほど慎重に狙いをつけても五寸(15㎝)ほどの範囲に弾着は散ってしまい、十五間先では一尺(30㎝)ほど左寄りに広がっている。

 固定した的の射撃でこれほどばらついてしまうと、次右衛門の理想とする実戦で走り回る兵士や騎馬武者への必中の着弾はおぼつかない。

「そいよっか、おはんは何の用で来やったとな」

「伯父上が干しアユを沢山くいやったから、母上が次右衛門様の屋敷にも届けなさい、ち」

「おはん、一人でな」

 綾から次右衛門の住まいの穆佐までは二里ほどの距離である。

「いいえ、喜作も一緒に。今は次右衛門様のお屋敷でご両親様とお話ししておりもす」

 喜作とは、堀川家の小者である。

「ふーん」

次右衛門は、また作業に戻った。

「きゃっ」

 突然、あざみが次右衛門にしがみついた。

「ん…」

 次右衛門は、あざみが凝視する目線の先を追った。二人のすぐ脇を縦縞の蛇がくねりくねり通り過ぎている。

 次右衛門は無造作に蛇の胴を握って立ち上がると、遠くの草むらへ放り投げた。

「シマヘビじゃ。焼けば食えるが、今日は止めちょこ」

 次右衛門は笑いながらあざみを振り向いた。

「おまんさあは、蛇を食べた事があいやっと」

 あざみが目を丸くした。

「無かど」

 次右衛門は意地悪く笑った。

 再び腰を下ろした次右衛門は、あざみに笑いを誘ったが、あざみはにこりともせずに再び次右衛門にしがみついてきた。

 何かを訴えるようなあざみの瞳を次右衛門は凝視した。

 あざみの着物の裾が少しはだけている。その裾下の白い肌に次右衛門は息をのみ、あざみの濡れた瞳に心を奪われた。

 どちらからともなく、お互いの背に腕を回した。二人が身体を重ねるのは、今日が初めてではない。

 白雲がゆっくりと青空を渡って行く。

 次右衛門とあざみは、乱れた服を夫々背中を向けて直した。

「次右衛門様」

 二人は仰向けに空を見上げている。

「何じゃ」

「戦はまだ続きもすか」

「ん、どういう事じゃ」

「伊東の殿様が日向からお逃げになり、我らの里は島津様のものとなりもした。もう戦は終わったとでごわんそ」

「どげんじゃろか。島津の殿様は日向を我が物として、それで収まれば終わりかも知らんが、豊後や肥後も攻め取るおつもりなら戦は続くじゃろ」

「そうなれば、次右衛門様も戦へ行かれもすか」

「伊東の殿様がおらんごとなっても、おいの家は武家じゃから…」

 二人の見つめる空の先の一片の雲が、すーっとひときわ早く流れて行った。

「おいも行かん訳にはいかんな」

「そげんですか。じゃっどん鉄砲や刀を捨てて百姓になれば戦には行かずとも済みもはんか」

「戦の世が続く限りは、身分を問わず戦には関わらざるを得んじゃろ」

「そげんですか…」

 あざみはさびしそうに俯いた。

「じゃっど。百姓の皆々も壮健な者は刀槍は持たずとも、小荷駄方や諸々の使役に駆り出さるっし。そげな武具を持たぬ者たちは、敵方に見つかれば嬲り殺しじゃ」

「そげな惨い目に」

「おいには、これがある。そげな惨めな死にざまは晒さんど」

 次右衛門は、傍らの鉄砲を握りしめた。

「いずれ、日向を治める島津の殿様がお決まりになるじゃろ。そげんなれば新たに奉公する者をお求めになる筈。そん時が来れば、家督を継いだおいは鉄砲武者としてお仕えするつもりじゃ」

 そう言って、次右衛門は青空に鉄砲を突き上げた。

「今日、こちらへ参る途中、地頭屋敷に高札がありもした」

 しばらくの沈黙の後、あざみは低い声で切り出した。

「ほう、それには何ち」

 次右衛門は、思はず半身を起こした。

「この度、日向の領主となられます島津家久さまが新たな御家来衆を求められるそうでございもす」

声が震えるのを抑えつつ、あざみは話を続けた。

「何、それは真か。あざみ、良か知らせを教えてくいやった。礼を言うぞ」

 次右衛門はあざみの華奢な背中を抱きしめた。

「はい」

 あざみは次右衛門に抱きしめられた腕をゆっくりと外すと、反対向きに寝返りを打って頬を伝う涙をぬぐった。


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