10.庄内の乱
忠棟の死の知らせは、半月ほどで国元に届いた。
「嘘じゃろ」
父の死の状況を伝える母の手紙を握りしめて、忠真は呆然と東の空を見上げた。
伊集院領の中心に位置する都城の館では、義弘の娘のおしたを正室に迎えてひと月しか経っていない。
「どげんかされもしたか」
夫の只ならぬ驚きの表情に、おしたは不安に駆られた。
「父上が、伏見の島津屋敷で忠恒様に斬殺された」
「えーっ、兄上が義父上様を刀で殺めたと申されもしたか」
「うむ。忠恒様のお招きで屋敷を訪ねた父をいきなり…」
「う、嘘ではなかとですか」
「母と、父の側役の二人の手紙じゃ。どちらも同じことが書いてある」
忠真は、握りしめて皺になった手紙をおしたに渡した。
おしたは、その手紙を貪るように読んだ。
「そんな、何ごて。何ごて兄上は…」
おしたは頽れて泣き叫んだ。
「大殿義久様に使いを出せ。事の真偽を質し、もし事実じゃればその真意をお伺いしてくれ」
忠真は新妻のように泣き叫びたい気持ちを抑え、手紙を渡して畏まっている近習に指示を出した。
その日の夕刻、忠真の使いは帰って来た。
「えらい早かったが、何か分かったか」
「殿、鹿児島への街道は閉じられておりもした。使いの用は出来もはんでした」
「何、街道を閉じたとか」
忠真は胸の重苦しさが増して、呻くように呟いた。
翌日、忠真は領内の廣済寺住職、白石栄仙を呼んだ。
栄仙は紀州根来寺の僧侶だったが、廣済寺に流れ着いて住職となっていた。
天正十三年(1585年)、根来寺が秀吉に従わなかったために焼き討ちに遭い、栄仙は命からがら日向まで落ち延びて来た僧侶である。
武装寺院の根来寺で兵法に明るかった栄仙は、上方情勢や兵法など忠真の諮問に的確に答えてくれる軍師的存在である。
「御父上を次期当主がお手打ちにした理由は何にせよ、街道を塞ぎ交わりを拒んだ。これは島津の殿様が伊集院家を敵視しておる。拙僧はそう思いまするが」
「じゃっどん、我が伊集院家は代々に渡り島津家に一心に仕えて来もしたど。朝鮮でも拙者は義父義弘公に付き従い、共に死力を尽くして戦働きを…それらはお互い分かり過ぎた事。それを何ごて…いきなり父を斬り殺すちは」
「街道を閉じて、次は何が始まるかはお分かりにござるな」
栄仙は、忠真の疑問に答えることなく諭すように静かに話した。
「次…でごわすか」
「次でごわす」
栄仙は忠真の口調を真似た。
「拙者の首でごわすか」
「左様、恐らく島津衆は軍勢を整えこの都城へ攻め込むのは必定と読みもうす。拙僧の元居た根来寺もあっという間に関白秀吉公に攻め滅ぼされもうした。一度敵味方に分かれたからには先手必勝。それが兵法でござる」
「確かに…」
忠真は大きく揺れ動いていた心の波が、栄仙の言葉で徐々に凪いで行くのを感じた。
「主な家来を集めもす。栄仙殿もご同席くいやんせ」
「喜んで」
こうして、都城の伊集院館で軍議が始まった。
軍議を主導したのは、栄仙だった。
「まずは我が庄内領の十二の支城に急ぎ兵糧と武具をお備えあれ。腹が減っても、矢玉が無くとも戦は出来もうさん。さらには各支城と都城館に使番を置きまする。常に敵情を探り、敵勢の動きに合わせて我が軍勢を速やかに動かせば不敗でござる」
「なるほど、栄仙どんはさすが天下に名高い根来衆じゃあ」
栄仙の理路整然たる作戦は家来たちを心服させた。
「栄仙殿、籠城も良かちは思うが、いっそ鹿児島まで攻め掛かるのはどげんじゃろか」
家臣の一人が提案した。
「我が勢力は、どれだけかき集めても八千がやっとでござる。それにひきかえ島津勢は三万。攻め込むは無謀でござる。鹿児島へ届く前に摺り潰されましょうな」
「やっぱ、籠城でごわすか」
「さようでござる」
「じゃっどん、籠城は味方の後詰があれば勝算はあるかも知らんが、おい達に後詰は無かど」
「殿の了解を得て、飫肥の伊東、肥後加藤、そして球磨の相良に使者を立ててござる。更には我らの勇戦が続けば五大老の誰かが必ずや仲裁の腰を上げると思いまする」
「そこまで手を打ってあっとな。栄仙どんの話を聞けば負ける気がせん。殿、我ら伊集院衆の強さを見せつけもんそ」
家臣の一人が膝を乗り出した。
「そもそも、いくら家来筋とは言え理由もなく次期当主が筆頭家老を斬り殺す、さらに言えば忠棟様は豊臣家の直臣でござる。非は島津にあり、理は伊集院にござる。勝ち負けを論ずる前に、理は非を責めるが道理でござる。拙僧は殿に道理に立つべきとお勧めいたしまする」
とうとうと自論を述べる栄仙は、上座に端座する忠真の正面に進み出て見つめた。
「承知いたしもした」
忠真は立ち上がった。
「わしは、謂われなく殺された父の無念を晴らすために叛旗を翻す。そげんなると、そち達の中には親兄弟や親しき者とで刃を交える事になる者もあるじゃろ。三日の猶予を与える、去りたか者は去れ。わしはその者たちを決して責めはせん。わしと共に命を懸けて戦う者は残れ」
「やっど、やっど」
一座の者たちも立ち上がり、気勢を上げた。
さて、軍議を終えた忠真は妻のおしたを表の間に呼んだ。
「改まって、何用でございもすか」
艶やかな黒髪、透き通るような白い肌、そして濡れた瞳のおしたは居住まいを正して忠真を下座から見上げた。
「おした、わしは島津に逆らう事に決めた」
「はい」
十七歳の新妻は激しく動揺するだろうと忠真は予想していたが、おしたは顔色一つ変えなかった。
「おはんの兄上、父上、伯父上と刃を交えることになる」
忠真は、新妻が事態を理解していないのかと思い、噛んで含める様に話した。
「そげんなりもすな」
おしたはそれがどうかしましたか、と言わんばかりの落ち着き様である。
「場合によれば、わしはこの館で果てるかもしれん。おはんは嫁女に来て間がなかで、そげな事態に巻き込みたくはなか。じゃっで、おはんとは離縁いたす。実家から付いてきた侍女を連れて実家に戻りやんせ。無論、警護は付くっで」
「お断りいたしもす」
半ば怒りのこもった声で、おしたは即答した。
「おはんは義弘様のむぞか娘子、歳も若か。おいの巻き添えを食ってここで死なすのは申し訳なか」
忠真は宥めるように話しかけた。
「確かに、私は島津義弘にむぞがられた娘でございもした。じゃっどん、今は伊集院忠真の妻でございもす。一度、妻となったからには夫とは一蓮托生、何があっても殿のお側は離れもはん」
おしたは燃えるような眼で忠真を見詰めた。
しばらくの沈黙の後、上座を降りた忠真は、おしたの肩を抱いた。
「分かった。わしは良き妻を持った」
「お心遣い、嬉しゅうございもす」
おしたは涙に震える声で忠真にしがみついた。
数日前、鹿児島の義久は大坂での忠棟斬殺事件を知り頭を抱えた。
しかし、兄の元を訪ねた義弘はすでに腹を括っていた。
「兄上、庄内への街道は全部閉めもんそ」
「えっ、それは戦を招くど」
「次期当主忠恒が忠棟を誅殺しもした。主君筋が家臣の罪を咎めて殺しからには、子の忠真に遠慮は無用でごわすど」
「じゃっどん…」
「忠真は我が島津の際立つ家臣でごわした。代々の伊集院家がそげんじゃったように。じゃっどん、もう事は動いちょりもす。忠真も肚の座った切れ者、今さら我が島津と駆け引きなど考える軟弱者じゃごわはん」
「義弘、忠真と刃を交えるのは致し方なか。じゃっどん、おしたはどげんする。嫁女にくれたばっかいじゃなかか」
義久は、義弘の落ち着き払った口調に不審を抱いた。
「兄上、おいとしても忠真の武者ぶりが頼もしゅうて、おしたを嫁女にくれもした。おしたも島津の血を引く女子でごわす。仮に、おいが戻れち言うて、素直に帰って来る娘ちは思いもはん」
「このまま、戦になっておしたが命を落としても良かとか」
義久は、可愛い姪とその父親の気持ちを慮った。
「おしたは、確かにおいにはむぞか娘でごわすが、おしたの命はおしたの物、何処で散らすかはおした自身が決めることでごわす」
義弘は、涼やかに答えた。
「分かった。都城への街道を全部閉めっせ全力で忠真を攻むっど。天下の情勢が不穏な時期じゃから早めにけりを付くっとが肝要じゃ」
「仰る通りでごわす」
義弘は、兄に別れを告げ居城に向かった。
島津氏は、九州各地での歴戦で、野戦、攻城戦を幾度も経験してきた。
その中で得られた戦争哲学の一つが拠点防御の放棄であった。
縄張りに工夫を凝らし、攻城方より少ない軍勢で防御が可能な城郭も数十日、数か月続く攻城戦を続け、敵を退けるのは至難の業である。
また、城郭に立て籠っている間に領地を好き放題に荒らされてしまえば領民の離反を招く。
これらの実例を幾つも目にしてきた島津氏は、城郭に立て籠る拠点防御ではなく領内全域に支城を置いた領域防御を国防方針とした。
まず、領内に外敵が侵入した場合、支城網が連携して防御戦闘を開始する。
敵の作戦行動は必然的に支城連携網の外線移動となり、防御する側は外線より距離の短い内戦移動で敵の機先を制する迎撃が可能となる。
この支城群活用の防御コンプレックスは、島津氏の一員である伊集院氏も取り入れており、忠真指揮の支城群は島津家の動員した四万の軍勢をしぶとく跳ね除けた。
この頃、豊臣政権二大巨頭の一人である前田利家が没し、対抗馬のいなくなった家康は事実上の豊臣政権運営者となっていた。家康は忠棟斬殺以降の事態を島津氏の家臣誅伐さらに叛乱鎮圧と認め、九州の近隣大名に島津氏への支援を命じた。
また、六月には家康から帰国許可を貰った忠恒も手勢を引き連れて忠真の支城群に攻め込んだ。霧島山麓の東霧島神社近くに本営を構えた忠恒は、手始めに山田城を猛烈に攻め立てた。
「忠真のワロが生意気な。相手は謀反人じゃっど、お前たちは死ぬ気で掛かれ」
自らの行動が招いた叛乱である事を顧みない忠恒は、家臣たちを怒鳴りつけ檄を飛ばした。
家臣たちは重臣を問答無用と一太刀で斬り殺した忠恒を恐れ、主君に殺されるよりは敵の矢弾に飛び込む方がましとばかりに、山田城の土塁にがむしゃらに取り付いていった。
とうとう、山田城を陥落させた忠恒は一族の島津忠長に自前の兵力の殆どを与えて叛乱地域の南端に位置する恒吉城を攻めさせた。
このように戦意旺盛で苛烈な攻城戦を家来に強いた忠恒であったが、島津氏の他の武将たちは忠恒程の激しい攻勢は掛けなかった。
また、島津当主の義久は都城の伊集院館の西の防御拠点である竜虎城を攻め立てたが、守将の栄仙の巧みな采配でこの城も攻めあぐねた。
そもそも、忠棟が島津氏に本当に叛意を持っていたのか、多くの島津家家臣が疑問を抱き、その迷いが積極的な戦意を醸成しなかったのである。
豊久も軍勢を率いていくつかの城に攻め掛かったが、他の武将と同様に受け持った城を厳重に包囲するのみで、土塁に取り付くなどの戦死者が多数出るような攻勢は仕掛けなかった。
さて、家康は天下第一人者として地方の叛乱を捨て置く訳にもいかず、家臣の山口直友をはるばる九州南部へ送り、仲裁に当たらせた。
「太閤殿下の薨去された今日、我が主君家康は天下の静謐が何に変えても肝要と望んでおります。維新殿、和睦の条件は如何に」
律義者の直友は、義弘をじっと見つめた。
「内府様のご心配は尤もでごわす。拙者といたしても娘をくれたばかりの婿を攻め立てねばならんごとなりもして、心苦しかことでごわす」
「ご心中、お察しいたしまする。やはり、忠恒殿の意向をお伺いする必要がありまするか」
「申し訳ごわはんが、我が陣に兄と倅を呼びもすで、その席で談合するち言うのはどげんでごわすか」
「承知仕りました」
直友は快諾し、数日後、義久、義弘、忠恒、直友の四者会談が開催された。
義久、義弘兄弟は忠棟とは幼い頃から親しく交わってきた仲であり、その息子の忠真には朝鮮での戦振りから有能な武将であると期待をしていた。当然、いきなり忠恒に父を斬り殺された忠真の無念と憤りは理解しており、形だけでも謝罪してくれれば鉾を収めたいのが二人の本音であった。
しかし、忠恒は違った。
「忠棟は主君筋を蔑視し、その驕慢な振舞いは許せるものでは無かした。それをおいは罰したまで。その罪人の息子が歯向かうてくるちは父親の罪を認めておらんからでごわす。父親の罪に自分の罪を重ねる不届き者は首を差し出す以外に謝罪は無かち、おいは考えもすが」
忠恒は、三人を睨め回しながらまくし立てた。
「忠恒、おはんが考えはよう分かった。じゃっどん、今は直友殿が内府様の言葉を言われたごと天下の形成は不穏じゃ。いつ、どこで大戦が始まるか油断がならん。今は内輪揉めを続ける場合じゃなかど」
義久は懇々と諭すが、忠恒は首を横に振った。
「天下は天下、島津は島津でごわす」
「わははは、天下は天下、島津は島津…か」
義弘は突然笑い出した。
「父上、何が面白かひか」
忠恒はむっとした。
「おはんが元服前、儂やら兄上、弟たちも同じ調子じゃった。なあ兄上」
義弘は、昔を懐かしむ遠い目をした。
「そうじゃった。豊前の戸次川で関白秀吉公の軍勢を蹴散らして調子に乗ったばっかいに、折角手に入れた豊後、豊前、筑後、肥前、肥後をふいにした。それどころか、おいも義弘も首が胴から離れかかったな。わははは」
普段はあまり感情を表に出さない義久も、大声で笑った。
しかし、その笑顔はどこか寂しげであった。
「忠恒、良かか。一度しか言わんからよう聞け。おはんは十二年前の儂と同じ過ちを犯す積りか。このまま戦を続けて、天下に大乱が起きて大軍が押し寄せてみよ。こん庄内で力を使い切った我らは外敵が来たら迎え撃つどころか、容易く打ち破らるっど。我ら、全員討ち死にじゃ。あの根白坂どころじゃねど。ここには四万の軍勢がおる、その者たちには親兄弟、妻子供、家来衆がその何倍もおっど。忠恒、おはんはその者たちを路頭に迷わせてでも忠真の首が欲しかか」
義久の口調は苦しそうだった。
「…」
忠恒は答えに窮した。
「当時、川内の泰平寺でおいは頭を丸めて関白殿下にどうにか許された。そいは元来、上方に詳しか忠棟が陰で働いてくれたお陰もある。それ以上は言わぬ」
義久は表情を消して淡々と語った。
忠恒の顔から一瞬血の気が引き、真っ青になった。
「わ、分かりもした。伯父上、忠真が降参すれば許しもす」
「うむ、よう言うた」
義久は深く頷いた。
「じゃっどん、降参した忠真の領地はどげんされもすか」
「謀反を起こした場所に置く訳にはいかんな。そいに、謀反を起こしたからには減知もせにゃいかん」
義久は、忠恒の問いに答えた。
島津氏の意向を纏めた直友は、家康の使者として都城の伊集院館を訪れた。
「忠真殿、いきなり御父上を誅せしめられたご貴殿の無念はいかばかりかとは思いまする。主家に叛旗を翻されたのも御尤もと存ずる。しかし、九カ月もの間所領を守り抜いたことでその思いは果たされたと拙者は存ずるが、如何かな」
直友の口振りは落ち着きながらも、熱気を帯びていた。
「此度のご貴殿の仲裁は、内府様のご意向とお伺いいたしもしたが」
忠真も落ち着いた口調で質問を返した。
「これはこれは、拙者としたことが手落ちがござりました」
直友は、懐から家康の朱印状を取り出して広げた。
それには、直友が家康の意向を受けての使者である旨が家康の花押で証してあった。
「これは、義久公よりお預かりいたした書状でござる。
直友は、さらにもう一通の書状を示した。
それには、和睦の条件として薩摩半島南部の頴娃への移封、減知一万石が記されていた。
「拙者としては、島津へは愛想が尽きもした。他家への仕官を望みもすが」
「肥後の加藤家でございますか」
「…」
忠真は自身の意中を言い当てた直友の返答に少し驚いた。
「それは難しゅうござる。他家への奉公、ましてや島津家と加藤家は仲が良いとは申せませぬ故、後々騒動を招きかねませぬ。ここは義久公の条件を呑まれるのが賢明かと」
忠真はしばらく瞑目した。
館の表の間の障子は開け放たれ、床には穏やかな春の日差しが障子の格子模様を描いている。
「直友殿、お見せしたか物がございもす」
眼を開いた忠真は席を立った。
「何でござるかな」
直友は内心の不安を一瞬で打ち消すと、立ち上がった。
忠真が案内した先は厩舎であった。
栗毛や鹿毛に混じって、一頭の白馬が繋いであった。
がっちりした肉置きの大柄な体格で、白い体毛は艶が有り賢そうな瞳である。
「これは、見事な白馬でござるな。このような体格でしかも白馬とは、忠真殿は良き馬をお持ちで正直羨ましゅうござる」
「この白馬が父の知らせを持って来もした」
「えっ、どういう事でござりまするか」
「これは、父忠棟が京の馬市で拙者の祝言祝いの品として求めた馬でございもす」
「では、この馬は御父上の死去の知らせと共に届いた…と」
直友は、この白馬を迎えた時の忠真の心中を慮り暗澹たる思いに駆られた。
「さようでございもす」
忠真は目を細めて白馬の鼻筋を撫でた。
「直友殿。頴娃への旅がこの白竜の初乗りでございもす」
忠真の笑顔は清々しかった。
「では、和睦の条件はご承知頂け申しますか」
「承知いたしもす」
慶長五年(1600年)三月十五日、前年の忠棟誅殺以来の内乱の幕は下りた。
関ヶ原の戦のちょうど半年前であった。