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9.伏見の誅殺

 慶長四年(1599年)正月、次右衛門と平馬は豊久率いる日向勢の一員として日向路を東に進んでいた。

 思えば文禄元年の出陣以来、六年ぶりの帰郷である。

 街道沿いに住まう者は城に向かう途中での帰郷が許され、次右衛門と平馬は高岡天ヶ城の麓で、豊久にお暇の挨拶をして夫々家路に向かった。

 季節は真冬だが、日向の日差しは強い。

「やっぱ、国は温かな」

「うむ、温い温い。では、ここで」

「また、ごわんそ」

 次右衛門は南へ、平馬は北へ、夫々の我が家に向かった。

 次右衛門は、懐かしい故郷の山々を横目に歩みを速めた。やがて、小高い丘陵に拓いた自分の畑が見えてきた。遠くで三人の人影が狭い歩幅で横歩きをしている。

「おお、麦踏みか」

 次右衛門はその三人の作業を愛おしむように眺めた。あいにく逆光で次右衛門からは顔が分からないし、しかも三人とも背中を向けているので誰も次右衛門に気づかない。

 一人は腰が曲がり気味でやや引き摺り加減の歩き方であるから伍作らしい。一人はあざみであることが分かった。もう一人はがっしりとした体格の若者だった。

「おおーい」

 笠を取った次右衛門は気付いたら走り出していた。

 声に反応した三人は振り向き、一瞬動きが止まった。

「おいじゃ、今帰ったど」

 その声に弾かれたように三人が駆け寄った。

「旦那様」

 あざみは、次右衛門の両手を強く握りしめた。

「旦那様」

 伍作は、次右衛門に近づき転がるように膝まづいて袴の裾を握りしめた。

「父上」

 被り物を取った若者は辰之助であった。

 夫々の頬には涙が伝っている。

 次右衛門は三人の姿が涙で歪み、嗚咽で息が苦しくなるのを堪えてあざみの両肩を掴み、抱きしめた。

「約束通り、帰ったど」

「はい」

 あざみは次右衛門の懐で、愛おしい夫の匂いを鼻腔一杯に満たした。

「父上は」

 父の與一郎を探して辺りを見回す次右衛門に、あざみはゆっくりとかぶりを振った。

「旦那様が出陣した翌年に風邪をこじらせもして、すんもはん」

「謝るな。人はいつか死ぬ。父も寿命が来たとよ」

 次右衛門は墓地に足を運び、父の墓石に合掌してあざみを労った。

 ふと、傍らの辰之助を見て改めて驚いた。立派な体格だが前髪を落としていない。

「辰之助、元服はまだか」

「はい、爺様が父上の帰りを待て。もし、父上がお亡くなりになった時は儂が計らう、ち言われもしたが…」

「そうか。待たせたの」

 次右衛門は辰之助の肩をぽんと叩いた。


 その頃、伏見の島津屋敷では忠恒の祝言が執り行われていた。

 忠恒の兄の久保は十六歳の年に、義久の三女つまり従姉の亀寿と婚姻していた。久保より二歳年上の亀寿との婚姻は、男子に恵まれなかった義久と義弘夫々の家臣団の対立を未然に防ぐ意味合いが強かった。

 島津氏の次期当主の正室となった亀寿は他の大名の正室と同じく大坂に移り住み、秀吉政権の監視下に置かれたが、その三年後に始まった朝鮮戦役に夫の久保は出陣し、陣没してしまった。

 当然のこととして、二人が夫婦らしい生活を過ごした日々は余りにも少なかった。

 そして、久保の死後も義久と義弘の二大勢力の融和を維持するためには、二人の子供同士の婚姻は必然であり、当然の帰結として二十三歳の忠恒は五歳年上の兄の後家を正室に迎える運びとなった。

 亀寿は、女とは家と家を繋ぎ結ぶ為に役立つのは当然の事との自覚はある。

 しかし、せっかく嫁いだ夫が病没して悲しみに浸る間もなく夫の弟の妻になることは複雑な思いもあった。忠恒にしても、兄の後家であり五歳上の従姉を妻に迎えると決まってから婚姻への期待や高揚感は覚えない。

 本人同士の意向などお構いなしの婚姻である。忠恒の心は諦観に浸り、この婚姻を自分の屈折した思いの実現に役立てようと決意した。

 祝言の前日、忠恒は義弘に激しく言いつのった。

「父上、おいも次の島津家を切り盛りせにゃならん立場じゃから今度の嫁取りは気張りもす。この嫁取りの意味は十分に分かっちょひで。じゃっどん、嫁を持っていよいよ一家を成すからには、今後はおいはおいの考えで動きもんど。宜しゅごわんな」

 『気張る』とは張り切るという意味ではなく我慢をするという意味である。

「うむ。儂としても次期当主にいちいち掣肘したくはなかどん。何か思うところがあっとか」

 義弘は忠恒の父ではあるが、現当主は義久であり今度の婚姻は正確には忠恒の婿入りである。

「いや。今は特には有いもはん。ただ、念を押したまで」

「ふむ」

「ところで、おしたの嫁入りは決まりもしたか」

 忠恒は不機嫌そうに質問を続けた。

「おお、決まったも何も。国では嫁入りの段取りが始まったど。これで我が島津家と伊集院家はますます絆が強うなる」

 忠恒の不快な表情にお構いなく義弘は嬉しそうである。

「父上、太閤殿下が身罷れてしもうた今となって天下は今まで通りに進みましょうかの」

 忠恒は、話題を変えた。

「え、何を言うか。太閤殿下亡き後は五大老五奉行が差配されちょる。大老筆頭の徳川内府様は切れ者じゃ。何の心配が要るもんか。天下の行く末と、おしたの嫁入りが関係あっとか」

「おいは、信長公が本能寺でご自害召された後の混乱が再び起こるち思いもすが」

「さあ、そいはどげんかな」

「天下騒乱が再発すれば、太閤殿下のお世継ぎ秀頼様がそれを抑えきるとは思いもはん」

「お前の話は仮定が過ぎっど」義弘は困惑した。

「そうでごわすかな。では、内大臣家康殿が奥州の伊達、蜂須賀、福島等々と勝手に婚姻を結ぶのは何故でごわすか」

「そ、それは儂には分からん」

 義弘は、忠恒の畳み掛ける問いに窮した。

「もはや、豊臣の時代は終わりもすど」

「仮にお前が言うようになれば、どげんじゃち言うとか」

「父上、お気づきになりもはんか。島津家にとって豊臣家と繋がりの深い伊集院家はもはや不要、いや無くさんと後々不都合でごわす」

 忠恒の眼が冷たい光を帯びた。

「ば、馬鹿を言うな。今後の天下がどうなろうと伊集院家は我が島津家には必要じゃ」

「とにかく、おいも先ほどご了解を頂いた通り、今後は次期当主としてお家の為にやる時はやりもす」

「『やる時はやる』、ちは何をや」

「それは、おいも分かりもはん。では、失礼しもす」

 息子の熱気に気を呑まれた義弘を残して、忠恒は部屋を後にした。

 翌日、忠恒は亀寿を正室に迎え、義弘夫妻やそれぞれの近習、付き人列席の元で婚姻の宴が開かれた。

 幼い頃に数回顔を合わせた間柄である。幼時の忠恒には五歳年上の亀寿は随分と大人に見えたが、ふと亀寿の横顔を見詰めると目じりに小じわを見つけて軽い失望を覚えた。

「我が殿、どげんかしもしたか」

 亀寿は新郎の表情の変化を見逃さなかった。

 正面を見据えたままの亀寿は微笑みを帯びているが、その微笑みは妙に落ち着いている。

「いや、何でもなか。おはんも大人になったの」

「大人も何も、こげな婆様が花嫁で申し訳なか」

「そげな事を言うな。おはんも難儀な事じゃの。夫を失うて直ぐにその弟に嫁がされて」

 亀寿は、新郎の思い掛けない優しい言葉に寂しそうに笑みを返した。

 やがて、宴は終わった。

 寝屋で二人は床入りを済ませた。

「殿様」

 乱れた着衣を直した亀寿は、仰向けに寝ている忠恒の懐に軽く手を添えた。

「何じゃ」

「こちらに来やれてから、京見物はされもしたか」

「いや、外出は唐入りの後始末や功績の評定で大坂城に行くくらいじゃ。京には行たちょらん」

「一度、京も見物なさると宜しゅごわんど。お寺や神社はどいも立派な構えで、お庭も綺麗でございもす」

「ふーん、じゃっとか」忠恒は、格子の天井を見詰めて答えた。


 数日が立った。その日、特に予定のなかった忠恒は近習を連れて京へ向かった。

 伏見を通る道すがら、地理に詳しい近習が一軒の屋敷を指差した。

「ここが伊集院様のお屋敷でございもす」

「えっ」

 忠恒は息を呑んだ。

 門構えが広壮である。

「こげん立派な構えか」

「太閤様の直臣でございもすから…」

 近習は、つい言い訳みたいな説明をした。

「訪いを告げっくれ」

 主君筋としては家来の屋敷を通りかかって素通りは出来ない。

「これはこれは、忠恒様。前もって教えてくいやれば当地の料理人に腕を振るわせたとでございもすが」

 忠棟は忠恒を表の間の上座に案内し、忠棟は下座に平伏した。

「おはんは豊臣家の直臣じゃから、おいが下座じゃなかか」

 忠恒は、にこりともせずに聞いた。

「滅相もございもはん。忠棟は豊臣家にお仕えはしもすが、島津家の忠臣でございもす。ところで、今日は何かご用がございもしたか」

 忠棟の挙措は卒がなく、本来の品の良さが京都暮らしで益々磨きが掛かった印象である。

「いや、ふと京見物を思い立っての」

「左様でございもすか。此度は亀寿様を嫁に迎えられ、真におめでとうございもす」

「うむ。そげん言えば、おはん方も忠真の嫁取りがあったの」

「はい、忠恒様の妹子のおした様を倅の嫁に賜りもした。今後もお付き合いの程よしなにお願いいたしもす」

 忠棟の郷里の都城で、おしたの嫁入りはすでに済ませていた。

「忠恒様。お茶を一服立てもすが、いかがでごわすか」

 忠恒は忠棟の視線に促されて、庭先の小さな茶室を見やった。

 お茶のもてなしは忠棟としては精いっぱいの好意である。

「いや、折角じゃがおいは茶の行儀を知らん。京の寺を何か所か見たかで、ここでお暇する」

 忠恒は茶の作法は無知ではなかったが、そう言うと腰を上げた。

「左様でございもすか。いつか改めてのお出でをお待ちいたしもす」

 忠棟は屋敷の門の手前で忠恒を見送った。

「見送り、忝けなか」

 広壮な構えの門である。

 忠恒は、屋敷の門構えの広さがどうしても気になった。

「忠棟、こん門の間口は何間か」

「はい、四間でございもす」

「ふーん、広かな」

「亡き太閤殿下のお指図で建てもした。恥ずかしか次第で」

 忠恒は片眉がぴくっと動いたが、悟られぬよう平静を装った。

「良か屋敷を拝見した。ごめん」

 忠恒は馬上の人となり、忠棟は深々と頭を下げた。

「又四郎、我が屋敷門の幅は何間じゃったか」

「三間でごわんど。忠棟どんの方が広か構えでごわしたな」

 近習は無邪気である。

「ふむ」

 忠恒は京の空を見上げて、返事をした。

「どげんかしもしたか」

「いや、何でもなか」

 忠恒は自分の心が迷いから決心へと変わったのを自覚した。

「あん屋敷に行って良かった」

 決心は済ませた。

 後は実行の日取りである。

「はい、見事な屋敷でごわした」

 忠恒の心中など知らない近習は呑気に振り返った。

 さて、義弘は五大老への朝鮮の役の戦闘報告を一通り済ませて薩摩への帰途に着いた。

 大坂の港で、義弘の出立を見送った忠恒は近習を振り返った。

「又四郎、済まんが忠棟に使いをに立ってくれ」

「はい。ご用は何でございもすか」

「先日、立ち寄った際の御礼をしたかで明後日、我が屋敷へ出向いてくれ、ちな」

「畏まりもした」

 又四郎は、ぺこりと頭を下げて足早に駆け去った。

 その日が来た。

 肩衣姿の忠棟は、島津家伏見屋敷の門を潜った。

 早速、表の間に案内され下座に着くと忠恒が上座に現れた。忠棟は平伏したが、入室した忠恒の着座の気配が一向になかった。

 不審に思った忠棟が頭を上げると、抜刀した忠恒がつかつかと近づいてきた。

「えっ」

「問答無用―っ」

 忠恒はそう叫ぶと、忠棟を袈裟懸けに斬りつけた。

 驚愕の表情のまま、忠棟は座敷に突っ伏した。

 即死だった。


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