第9話 追跡(Trace)
確かに、《イムラム》は倒したはずだった。
だが、違和感が拭えない。
──あれは、囮か。
直感が、リタの身体を先に動かした。
* * *
「《フェンサー》より各員。目標は影武者の可能性。地下ルートあり。逃走を試みている」
リタの通信が一斉に全チャンネルに流れる。
「……了解。市街の出口を全て封鎖する。追跡に切り替える」
イーライが冷静に応じた。
「ブルワーク、街の北口に向かう。車両止められるか?」
「任せとけ。走るぞ、でっけえ壁にな」
オーウェンの声が頼もしく響く。
* * *
「リタ、地下の出口は少なくとも三箇所。ARでマーク送る。西の通路が濃厚、外へ出られるトンネルがある」
ノアのハッキングが、逃走ルートを次々に割り出していく。
「通信装置をジャミング、GPSも阻害済み。敵は視覚頼みになる」
「なら、こっちに有利ね」
リタはマップを確認しながら、廊下を走る。
細く、暗く、分岐の多い地下通路。
だが、リタは躊躇しなかった。
敵が通った痕跡──微細な血の飛沫、靴跡の変化、扉の揺れ。
すべてを読み、判断する。
* * *
「北通路封鎖完了。車両も出られねえ。爆破して物理的に塞いどいた」
オーウェンの声が入る。
「東側もスナイパー配置済み。動きはなし。包囲完了」
イーライの照準が街の出入り口を狙っていた。
「オーバーワッチ、赤信号。逃走者あり。北西ルートを抜けようとしてる。識別タグ一致、本人だ」
ノアの声に、リタの目が鋭く細まる。
「捕まえる」
* * *
トンネルの先に、小さな非常扉が見えた。
その前に立っていた男が、背後を振り返る。
肩に血を滲ませた、だがまだ逃げる力を残している。
リタは銃を向けるが、撃たない。
逃げる足を止め、確実に追いつくために、距離を詰める。
「……どこの犬だ、お前」
イムラム──本物は、声を震わせていた。
「《サングレフ》よ」
リタは答え、床を蹴った。
男が引き金を引くが、その弾丸はすでに遅い。
壁を蹴り、角度を変え、跳躍。
《ユリシーズ》が敵の手首を撃ち抜き、男の手から銃が滑り落ちる。
「まだ、やるか?」
男は叫び、ナイフを抜こうとする。
その瞬間、《レメゲトン》が胸元に突き刺さった。
振り払うように引き抜くと、男は崩れるように倒れ込んだ。
* * *
「ターゲット、本物を確認。排除完了」
リタの声が無線に落ちた静寂を破る。
「……ふぅ、よかった。心臓に悪いな」
ノアの安堵の息が入る。
「逃げ足だけは一流だったな。スナイパーの出番はなかった」
イーライが呟き、
「まあ、俺の爆破がなきゃ逃げられてたかもな」
と、オーウェンが自慢げに続ける。
「どちらでもいい。終わったのなら、帰還フェイズ」
リタは淡々と言い、ホルスターに《ユリシーズ》を収めた。
* * *
パラムの空が、明るみを帯びていた。
夜は終わり、戦いも終わった。
《サングレフ》の任務は遂行された。
敵の指導者を排し、市街地を無血で封鎖、破壊を最小限に抑えての殲滅。
理想的な作戦成功だった。
だが、リタはどこかで感じていた。
──これで終わるはずがない、と。
《カラド》は単なるテロ組織ではない。
その背後にいる何者かが、次の標的を用意している気がした。
それでも、今は一言だけ。
「《サングレフ》、作戦完了」
その通信を最後に、無線は静かになった。