第17話 火薬の香り、家族の匂い(Homefront)
玄関のドアを開けた瞬間、ほんのりと焼き菓子の匂いが鼻をくすぐった。
「おかえり、オーウェン」
妻の声が、まるで遠くの国の言葉みたいに、やさしく耳に届いた。
「ただいま」
数週間ぶりの家。重火器を担いでいた筋肉に、生活の香りが沁みる。
戦場で身につけた硝煙の残り香が、少し申し訳なく思えた。
「パパーっ!」
娘が玄関に駆け寄ってきて、オーウェンの脚に飛びついた。
まだ幼いその手が、彼の戦いに意味を与えてくれる。
「元気だったか?」
「うん! お絵かきしたよ!」
娘はリビングへ走っていき、一枚の絵を差し出してくる。
青い空、家、そして自分とママ。そして……
オーウェンがいなかった。
その空白を、彼は何も言わず見つめた。
数秒の沈黙。だが、娘は気にも留めず、また笑って別の絵を描き始めた。
その様子を見ながら、オーウェンは小さく息をつく。
「……なあ、俺、あの子の記憶の中にちゃんといるのかな」
ダイニングでコーヒーを淹れていた妻が、カップを持って戻ってくる。
「いないわけ、ないでしょう」
彼女は微笑むが、その目はまっすぐだった。
「でも、あなたが“どこで何をしているか”を、私たちはいつも聞けない。
それでも信じるのは、けっこう勇気が要るのよ」
「……悪いな」
「謝らないで。戻ってくれるなら、それでいい」
手渡されたカップから、温かい湯気が立つ。
「無理に家にいる必要はない。でも、帰ってくるって約束は、守って」
「……ああ。約束するよ」
カーテンの隙間から夕日が差し込む。娘が描いた絵に、オレンジ色の光が差していた。
戦場で浴びる火花とは違う、あたたかな光。
だがそれも、次の出発でまた遠ざかる。
それでも。
「次は……守れるといいな」
オーウェンは静かに、そう呟いた。




