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ぱっと声の方を見ると、そこには白いモフモフとした尻尾をもつ男性が立っていた。きりりとした切れ長の黒い瞳。がっしりとした体躯。屈強そうな見た目とは裏腹に、白髪の頭には獣耳がついている。濃藍の着物を着ているせいか、どっしりとした落ち着きも感じられるあやかしだった。


「飲みすぎたら翌日お辛くなるのは稚日女尊様ですよ」


表情を変えぬまま厳めしい顔をして、そう言った男。一方の稚日女尊様は、男の顔を見ると眉間にシワを寄せて、みるみる不機嫌になっていく。


「ふん……っ!別に休暇中にわらわがどこで何をしようと勝手じゃろ」

「休暇を取られるのは構いませんが、1週間以上の長期休暇となると、さすがに私や(なぎ)も困ります」


「どうか帰ってきてください」と続ける男に、稚日女尊様はツーンとした態度でそっぽ向いている。


「あ、あの~……こちらの方は」


間に挟まれていた私が気になって尋ねてみると、男は私に向き直ってじっと見つめた後、胸に手を当て自己紹介をしてくれた。


「私は、稚日女尊様の神使……狛犬の(しん)と申します」

「初めまして、この旅館で働いている藤宮あかねです」


慌てて私も挨拶をし返すと、「人間が働いているとは珍しい」とぽつり呟く信さん。「いや、まあ、いろいろありまして」と、ここは苦笑いで通す。さすがにリピーター獲得のため、新メニューを開発するため雇われた、だなんて馬鹿正直にお客さんに話せない。


「とっとと帰れ、堅物者」


その言葉に稚日女尊様の方へと視線を戻す。バーカウンターに頬杖をついて、信さんから目を逸らし、ふいと横を向いている稚日女尊様。信さんは、そんなご機嫌ナナメの女神様の背中を、じっと見つめている。あまり表情が変わらないので、彼が今どんな気持ちで稚日女尊様を見つめているのか、私には分からないけれど──。


「……春とはいえ、朝晩は冷える日もございます。どうかお体にはお気をつけください」


信さんはそう言って私に一礼した後、ラウンジを出ていってしまった。彼の方を見ることなく黙ったままの稚日女尊様の横顔は、どこか憂いを帯びていた。その寂しげな表情が、先ほどまでの女神様の印象とひどくかけ離れていて、私は気になって仕方なかった。

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