2
「あ、ありがとうございます……っ」
が、照れる私をよそに氷雨さんは「料理のときはこちらをお使いください」と、表情を変えぬまま、さらに濃紺の前かけと薄桃色のたすきも手渡してくれた。
無自覚に女の人を引き寄せてそうだな、この人……。
それはさておき、私の仕事服は着物に前掛け、たすきと、どうやらこの仕様になるみたい。旅館らしい制服に何だか背筋もピンと伸びるようだ。
「さて、今日はこの後、本館にある菓子作り用の厨房に案内します。あかね殿には、この2週間の間で、夕食で提供する料理に合うスイーツの開発をしてもらいます。時景様と俺、美鶴殿、そして料理長から許可が出れば正式にお客様にお出しする料理の品に加える、という流れで進められたら」
改めて伝えられた仕事内容に身が引き締まる。「わかりました」と返すと、離れから本館の方へと歩きながら氷雨さんが、いろいろと説明してくれた。
「厨房は自由に使ってもらって構いません。必要な食材は予算の範囲内で買い出しして、経費申請してもらったら代金も支払いますので」
「休日の申請などもろもろの手続きは総務部で行うんですが、これはまたのちほど」
「ちなみに今月、うちの宿の会席料理に出された和菓子は桜餅とすみれ草の上菓子でしたよ」
と、仕事に関することから……。
「有馬温泉の湯本坂にあるコロッケ、めちゃくちゃ美味しいのでぜひ一度食べてみてください」
「あと、念仏寺の本殿に隣接された寺カフェのドライカレーが絶品です」
と、有馬温泉街のグルメ情報まで。どうやら氷雨さんは食べることが大好きらしい。外見からは氷のように冷たい人というイメージがあるも、食べ物の話をしているときは、どこか目の奥がきらりと光っているように見えた。
「詳しいんですね、この辺りのグルメについても」
私がそう返すと、氷雨さんは目をぱちぱちさせた後、「当然です」と笑みを深めた。
「我が縁の坊にしかないものをお客様に提供するためには、まず他の宿や飲食店を知ることから始める。市場調査は基本中の基本ですよ」
さすがは縁の坊の若旦那様。「たまに出張して県外の温泉地に行ったりもしてます」と続けた氷雨さんに、現世を満喫してるなこの人……と苦笑いが零れる。




