序章
その麗しき男と出会ったのは、薄く色づいた桜の花がはらはらと舞う春のこと。
「逃がしませんよ、あかね」
澄み切った空気に包まれた朝の神社へ赴いた私の前に、その男は再び現れた。
肩よりもやや長い金色の髪、翡翠色に煌めく流麗な瞳、筋の通った高い鼻に、にこりと弧を描く唇。白の着物に、水色の羽織を羽織ったその姿は、神々しいほどに光り輝く美しさを放ち、男女問わず、見るものすべてを虜にするようないで立ちだった。
「に、逃がさないぞって言われても──」
私はとっさに逃げ出そうと一歩後ろに下がる。けれど、たおやかそうな見た目とは裏腹に、力強い男の手によって逃亡は失敗に終わった。そのままぐいと腕を引かれると、吐息すら聞こえてしまいそうなほど縮まった距離に、どきりと胸が音を立てる。
「……残念ですが、私はこれまで手に入れたいと思ったものを逃したことはありません。たとえ貴女が逃げようとも、地の果てまで追いかけて捕まえます」
するりと私の頬に手を伸ばして、甘やかな視線を向けてくる男の発言に悪寒が走る。逃がすものか、と訴えかける翡翠色の瞳。その目に捉えられたが最後、身動きがまるで取れなくなった。
「さあ、あかね。さっさと諦めて私の手を取りなさい」
にこやかな微笑みを携え、ぐいぐいと迫ってくるしつこい男。その男から離れようと、私は胸を押して大声で叫ぶ。
「あやかし旅館のパティシエなんて、なんで私がやらなくちゃいけないのよ!」と──。