第8話:法石職人アシュレイと親指トム
プレートの上の朝食を食べ終え、仕事に戻ろうと食べ終えた食器を洗うべく、碗とプレートを流し場にレイが運ぼうとした時、親指程の大きさの小人の子どもが興味深そうに自分の顔を見つめていた。
小さなチョッキと白いシャツ、ツギハギだらけの長ズボンが、小さくもぱっちりとした幼い表情によく似あい、まるで人形の様に整っており、そしてとても可愛らしい。
キョトンと小さく首を傾げる小人の動きにられ、レイもまた同じ様に首を傾げていると、慌ただしく扉が開き、駆け足で痩躯の男が小人の元へと駆け寄った。
「トム!! お前はまた勝手に此処に出かけて!! 踏みつぶされたらどうするつもりだ!!」
「♪」
痩躯の男に叱られても何処吹く風とでもいう様に、小人の子どもはプレートに残ったパン屑へと手を伸ばしている。痩躯の男が手を伸ばし、捕まえようとするが子どもの方は器用に逃げて、碗の後ろに隠れている。
「アシュレイ、トムのおイタを叱るのは後にして、ウチのスタッフに挨拶して。びっくりしてるじゃない」
「ん?」
痩躯の男は、そこで漸くレイの存在に気づいたのか。駆けて乱れた衣服を整えて小さく会釈をした。
「私はアシュレイ・バフォメット。小説家だ。此処に勤めているのなら、私の本は読んだことはあるだろう?」
「ごめんなさい……今日から働く事になったので……」
「つ、勤めてなくても私の書いた本が棚に並んでいる所は見たり、サロンや此処で私の名が語られる所は聞いたことはあるはずだ……だろう?」
末尾の部分は希望的観測がたっぷり込められた口調でアシュレイに問われてレイは記憶の中の本棚を思い出すが、アシュレイ・バフォメットの名前には心当たりはない。それに、食器を片付けている間もまた、アシュレイの名前が聞こえた記憶はない。微妙な表情を浮べているレイに、アシュレイもまた微妙な表情に変わり、椅子に座ってテーブルの上に突っ伏した。
「……く……頑張れ私、この不遇の時を耐え抜いてこそ、作家として花開くのだ」
「~」
小さな小人が碗の後ろから飛び出し、ぼさぼさの黒髪を慰めるようによしよしと撫でている。二人の様子にジュリーは肩を竦めると、コーヒーをアシュレイの前に置き、レイへと向き直った。
「彼はウチの常連のアシュレイ。そっちのオチビは親指トム。見てのとおりの、泣かず飛ばずの作家とその相棒よ」
「えっと、アシュレイさん。僕はレイです。今日から此処でお世話になっています」
レイの挨拶にアシュレイは身を起こしてコーヒーを啜り飲み、ジュリーへと顔を向けた。
「マダム、トムにいつものモノを」
「よく冷えたミルクね。ちょっと待って……あら?」
棚からミルクを取り出すと、ジュリーの表情が不思議そうに歪み、そして棚の奥から掌に包まれる程の大きさの薄水色の石を取り出した。
「あら、切れちゃったみたい。アシュレイ、悪いけどお願いできる?」
「夜通し働きづめで搾り尽くされた所だ。もう何も出せないぞ」
仏頂面で疲れ切った溜息を吐いたアシュレイに、残念そうにジュリーは肩を竦めると、石をカウンターの上に置く。ミルクが貰えるとウキウキしているトムに、申し訳なさそうに顔を近づけた。
「あらぁ……ごめんねトムちゃん。冷えてないミルクでも良い?」
「……」
「あの、待ってください」
しょんぼりと俯くトムのが可哀想に思え、カウンターの石をレイは手に包み込むと、小さく目を閉じた。暖かな湯を注ぐ感覚をイメージしながら、レイが数度呼吸をすると、手の隙間から薄水色の光が漏れ始めた。
レイの動きに、アシュレイが小さく目を見開き、次いで周囲を確認した。ジュリーもまたレイの手の中の開きに僅かに驚きつつ、明滅していた薄水色の光が安定した輝きを取り戻す様を眺めていると、レイがゆっくりと瞳を開いた。
「補充しました。二、三日は持つと思います」
ジュリーへ石を渡しレイの対応に、アシュレイは身を乗り出して石の様子を確かめると、グイと顔を近づけた。
「うむ……きちんと補充はされている。レイ。お前、魔力持ちなのか?」
アシュレイの詰問と気迫に、レイは思わず一歩後退った。開いた分の距離をアシュレイは再び詰め、レイを見定めるように細い黒目を更に尖らせて口を開く。
「魔力持ちなら、給仕などしなくても法石の補充や加工をした方が稼ぎが良いだろう? かく言う私も、兼業でこうした魔力が切れた法石に魔力を補充したり、石を加工して法石にするなどして生計を立てている。君が職人組合への伝手を持っていないのであれば、紹介状くらいは書くぞ?」
「えと……そ、その」
言葉を詰まらせ、レイの視線が不安定に揺れる様子に気づくと、ジュリーの手が伸びコツリとアシュレイの頭を小突いた。
「あのねアシュレイ、アンタの場合その兼業でウチのコーヒーとトムのミルク代を稼いでいるんじゃないの?」
「ぐ……マダム。法石職人は、あくまで繋ぎだ。いずれは小説で此処のコーヒー代は払う」
「というか店主のアタシの前でスタッフを引き抜こうだないでちょうだいな。この子はアタシのお城の、大事な大事なメンバーなんですから。そこまでレイを引き抜こうって言うんなら、今まで溜め込んだスコア、此処で請求してもいいんだからね」
「!!」
腰に手を当て睨みつけるジュリーとトムに諫められ、アシュレイはレイへ近づけていた顔を離しながらも、尚も引き下がらないようにレイへと顔を向けて耳元へ顔を近づけた。
「レイ」
周囲に聞こえないように音量を落としているが、アシュレイの言葉には切迫さと用心深さが込められている。その気迫に圧されるようレイの喉が静かに鳴ると、耳元で静かに警告が囁かれる。
「君が此処で働く事に、ケチをつけているのではない。私や君のような魔力持ちは希少であるが故に、兎に角人買いやら何やらに狙われ、生きる限り鎖に繋がれ延々魔力を搾り取られる様な所に売り払われる危険を有している。だから、私達魔力持ちは組合を作り加入して、身の安全と自由を互いに守りあっている。君をこうして此処で組合に誘っているのは、君の『価値』に気づいた悪漢共を、牽制するつもりで言った」
「……」
「だから君は、今は『考えておく』と言っておけ。マダムからは、後で私が説明する」
「……『考えておきます』」
暫くレイは黙っていたが、アシュレイの忠告に従う事にした。周囲がレイの言葉を聞いた事を静かに確認すると、アシュレイは立ち上がりジュリーの方へ顔を向けた。
「マダム、私はこれから食事を摂った後に組合に戻るつもりだ。他にも魔力が切れそうな法石があるなら、言ってくれ。職人を派遣させるように伝えておく」
「ふふ、貴方のその気遣いに免じて、さっきの無礼は許してあげる。アシュレイ、じゃあちょっとこっち側に来てくれる? 他にも切れそうなものが、いくつかあるの」
二人の様子に気づいたジュリーが、不自然で無いように手招きをし、アシュレイと共にキッチンの方へと連れていく。一人きりになったレイは、改めて周囲を見回した。
この周りにいる人達が、自分を狙う追っ手のように思えてジュリーやリアが居ない事が、心細くて堪らない。この周りの人達は、優しい声をかけてくれたのに。その優しさを疑う事が申し訳ないけれど、信じる事が怖くって。指摘されるまで危機さえ分からなかった自分の底の浅さが歯がゆくて。何も信じない強さも、信じる強さも。その両方を持ちえない自分の弱さが情けなくて。涙が出そうになる。
「!! 、!!」
レイを元気づけるように、テーブルに置かれた手に、トムの小さな小さな手が乗せられる。何度も何度も、励ますように撫で続けるトムの手に、心を刺していた自分への嫌悪が少しだけ和らいだ。
自分の周りが、冷たい悪意だけで囲まれていた時とは違う。悪意はあるかもしれないけれど、優しさだって自分の近くにある。だったら、彼らが優しくしてくれる自分を嫌うのは、彼らが向けてくれる優しさを足蹴にすることに他ならない。
いきなり全部は変えられない。でも、少しずつでも良いけど、嫌いな自分から変わりたい。その一歩を踏むように、自分を見つめる小さな瞳を見つめ返した。
「トム。ありがとう」
「!!、!!」
小さく呟き笑みを見せると、トムもまた弾けるような笑みを見せた。
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