第6話:隠遁者の初仕事
扉を開くと、夜に来た時とはまた異なる賑やかさがレイとリアを包んだ。テキパキとした動きでコーヒーやパン、そしてスープを盛り付けていたジュリーが、リアとレイに気づくとブンブンと手を降った。
「リア! レイ! 来てくれて良かったわぁ、早くこれお客さんに運んでぇ!!」
「は、はい!!」
ジュリーの言葉にレイが小走りに近づくと、豆のスープとパンが乗せられたトレイを渡した。
「レイはこっちのセットはあそこののっぽのお客に渡して。その後は食べ終わったお客様の食器を乗せて、洗う方に意識を回して。リア、アンタは配膳よろしく」
「へいへい」
「返事ははい!!」
リアの態度を叱るジュリーの声は大きく鋭いが、相手への親しみと愛情が込められおり、聞いていても怖くない。リアも声を聞いてジュリーの思いが伝わっているのか、全く怖がらずに飄々とした態度でトレイを受取り座った客へと配膳を続けている。『レイ』にとって『大きな声』とは、心を削る言葉を投げかける為か、どうにもできない事を責められる時に使われるもので。声の主の溜飲が下がるまで、ただひたすら俯き耐え、心を凍らせるモノでしかなかった。
そんな風に『大きな声』を使う事があるだなんて、思うことさえ無かった。そうした声を貰えるリアを羨ましいだとか、そうしたモノを与えられなかった自分を憐れむ事さえも忘れて、ただ当たり前のように繰り返している眩しさに惹きつけられる。気づけばレイは、与えられた仕事を成し遂げようとする体が止まり、ジュリーとリアの二人を見つめ続けてる事しかできなくなっていた。
トレイを持ったまま動きを止めているレイに気づくと、ジュリーが近づき、レイは与えられた仕事を思い出した。
「ご、ごめんなさい。すぐ運びますから」
謝罪するレイの目が伏せられ、口元だけは笑顔の形を作りつつも、好奇を見せていた瞳が曇り出す。静かな表情の変化にジュリーは気づくと、片目を閉じて笑いかけた。
「初めてだもの。あぁんな大男のリアが叱られる所を見るのは、ちょっとインパクトが強かったわね。ま、此処で働いていればそんなのしょっちゅうの事だから、慣れるわよ。もちろん、此処で働くんだから、貴方もビシバシ鍛えるけどね」
「僕、も?」
「そりゃあそうよ。貴方はウチのスタッフですもの。まずは『お客様には笑顔を忘れずに』よ」
「……はい!! 僕、頑張ります!!」
嬉しげに表情を綻ばせると、レイは覚束ない足取りでトレイを運んだ。食事を受け取った客から何かを言われたのか。レイの表情から緊張が解け、子どものような無邪気な笑顔が浮かびでる。生き生きと目を輝かせ、食べ終わった食器をトレイに乗せ、食器を落とさないように慎重な足取りで流し場へと向かうと、周囲の客から冷やかし混じりに声がかけられた。
「張り切り過ぎて気負いすぎんなよ! 坊主!」
「は、はい!」
「おーい、こっち食い終わったから片付け頼むわ」
「はい、只今参ります!!」
「はは。こういう時は『片付けるからそこに置いとけ』って言っときゃいいんだよ。そんなの抱えてウロウロしてねぇで、早く流し場に行けって」
「分かりました!」
一通りの客に配膳を終えたリアがジュリーの元へと近づくと、呆れたように肩を竦めながらレイの仕事ぶりを眺めた。
「発破かけられた上にあれこれ口出しされて喜ぶなんざ、奇特なbebeだぜ」
「そんな事でも嬉しく思える事情があるって事でしょうね。見てよ、とっても楽しそう……あの子、一体今までどんな生活を送ってたのかしら」
「少なくとも、マトモな暮らしじゃねえだろ」
「訳ありみたいだしね。ま、話したくなったらおいおい話すでしょ」
それ以上を踏み込む事なく、ジュリーは流し場に居るレイに食器の洗い方を教え始めた。過去を聞くことなく相手に自然と手を伸ばす。そんな逞しきマダムの懐の広さと優しさは、リアを助けたあの頃のまま変わらない。
ジュリーからの言葉を一つ一つを隣で真剣に聞き、おっかなびっくりとした慎重な動きで食器を洗い始めたレイの姿に。此処に来たばかりの自分が、ジュリーにあれこれと世話を焼かれていた頃の姿が重なってくる。
最も、リアの方はジュリーの小言の一つ一つに反論したり歯向かったりと、レイに比べて遥かに可愛げは無かったが。
「リーア! 手を休めないで!!コーヒーのオーダーが出てるでしょ!!」
ジュリーの言葉に、リアは思い出を浸る事を止めて再び動き始めた。
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