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第5話:隠遁者の初出勤

「んぅ……」


 窓から差す光に小さく声を上げると、レイは起き上がり、頭を抱えた。


「ぐっすり寝ちゃった……」


 まがりなりにも初めて出会った他人の家で、しかもベッドを使わせて貰って。ものすごく恐縮して、自分の方がソファで寝ると言ったのに。『貴重品がある場所に、お前を寝させられる程不用心じゃない』と言われて、それ以上反論できずに押し切られてベッドを使わせて貰った時。申し訳なくて堪らなくなっていたのに。


「図太すぎでしょ私……」


 あの屋敷から逃げ出して、雇い先やら住処やらを融通してくれて。いくらそれが安心したかと言っても、マナー違反も甚だしい。自分の図太さを嘆きながら着替えていると、首に確かに指輪が下げられている事を確かめ、そうして確かめてしまった自分に対して、嫌悪を感じた。


(リアさんは……何も無い『レイ』に、優しくしてくれた人、なのに)


 着替え終わりボタンを留める手を止めると、頭が段々と小さく俯き始める。誰かを――リアを、心から信じたい。でも信じる事が出来ない事が、苦しい。苦しさを覚えるのは、懐かしい薄水色の記憶を、彼の瞳に感じているからだろうか? でも、あの記憶はとうに壊れてしまっている。思い出に浸るなんて余裕は、今の自分には無いはずなのだ。

 俯いた髪を払おうと手をかけ、もう自分には払う程の髪の長さは無い事に気づき、小さく胸が傷んだ。すべて納得ずくでそうしたのにまだ未練がある事が、自分の未熟を突きつけられるようで、歯がゆくてならない。


(期限は、多分半年。その間私はこのシグネットリングと一緒に、身を潜めて生き残る事だけ考えなくちゃいけないのに)


 自分をbebeと呼んでからかう時の、少し茶目っ気っぽくくしゃりと歪む顔。何だかんだと理由はつけられたけど、寝室を使わせてくれた優しさ。あの人の後ろを追いかける時、少しだけゆっくりと速度を落としてくれた事。そして、あの軽やかな口笛のメロディ。

 そうした細々としたリアの振る舞いが、張り詰めた自分の心をそっと包み込むように安心させてくれて。気づけば自分の胸は動揺や恐怖とは違うリズムで胸が鼓動を打ち始める。

 頬に両手を当て、クールダウンを図っているレイに、無遠慮なノック音が響いた。


「おい、起きろ。今日からマダムの所で働くんだろうが」


「はうわ!! あ、あの!! 準備はできてますので!!」


 急いで返事をすると、レイは指輪を服の下に隠して扉を開いた。


「行くぞ」


「は、はい」

 リアに連れられアパルトメントの外へと出ると、日がようやく登った所であった。真っ暗な夜では周囲を見回す余裕なんて無かったが、こうした日の当たる所で見ると此処は随分と雑多で物々しい。壁にもたれかかる赤ら顔の中年の男や、どこか疲れた表情を見せる胸元を強調されたドレスを纏っている若い女。服も体も煤だらけに真っ黒になった子ども。

 道路の真ん中を牛耳るように走る馬車や、それに轢かれないよう脇を通る、仕事に行くであろう人々。皆綺麗な格好をしていないけれど、自由で活き活きと生命力に溢れてレイには彼らがとても眩しく見えた。


「レイ、人間じゃなくて道の方に意識を向けろ」


 コツンと小さく頭をこづかれレイが横を向くと、いつの間にかリアが隣に並んでいる。


「道?」


「ああ。此処は色々入り組んで、慣れた奴じゃねぇと曲がる先を間違えただけで迷っちまう。お前もbebeじゃなぇって言うんなら、一人でカーラーンまで行けるようにはなってもらわねぇとな」


「道……といってもどの建物も同じような作りだし、覚えられるかな……」


「宿や酒場には看板が下がってる。最初はそれを目印にして覚えてなきゃいけねぇが。上にだけ気を取られてたら、いつの間にか懐が寒くなっちまう」


「えっと……つまり?」


 『懐が寒くなる』が何を意味するのか。暫く考えても思い浮かばず、そろそろとレイは顔を上げてリアへと視線を向けた。レイの視線を受けると、ガリガリと乱暴に髪を片手で掻き毟ると、深々としたため息を図れた。


「スリだとかひったくりに気を付けろって事だよ」


「!!」


「今警戒しても遅ぇ」


「あうう……あのう、リアさん」


「あ?」


「リアさんのご迷惑でなければ、暫くカーラーンまで送り迎えして欲しいです……だめ、ですか?」


 どうか断らないで欲しい。思いを込めてリアを見上げると、呆れていた顔が段々と苦笑に変わっていった。


「bebeにしちゃあ賢明な判断だ」


「ううう〜」


 送り迎えを頼んだ手前。癪に触る赤ちゃん呼びを止めろとも言いづらい。リアの方もそれがわかっているのか、ニマニマとおちょくりを全面に出した笑いを隠していないのが、また小憎たらしい。せめて、早く道を覚えてちょっとは見返したいと、両手を握りしめてレイは周囲の道を覚える事に意識を向けた。

 

お読みいただきありがとうございます。

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