第4話:Baby Rey
密集した住宅の中の一つに入り、リアが階段を上り、鍵を開けた。
「シャワールームはこっち、寝室は向こう。トイレはあっちだ」
「は、はい」
キョロキョロと落ち着きなく周囲を見回しながら、レイはリアの後ろについている。雛鳥に必死について来られている親鳥のような心地になりながら、キッチンの火を付けて水を湧かした。飲むための茶葉を選んでいると、後ろからキュウと小さく腹が鳴る音がした。
「ご、ごめんなさい」
顔を赤くして腹を手で抑える礼に対し、リアは小さくため息を吐くと、手に持っていた包をテーブルに置いた。
「マダムから、お前への前払いだとよ。明日から働くんだ。腹に入れてさっさと寝ろ」
マグカップにティーパックと湯を入れ、ビスケットをゴソゴソと棚から探していると、レイが近づき、裾を引いた。
「あ、あの! ジュリーさんから、サンドイッチを頂いたので……一緒に、食べませんか?」
「お前に施し請ける程、落ちぶれちゃいない。とっとと喰え」
「じゃあ、夕食のお誘いなら。請けてくれますか?」
小さく睨みを効かせてやれば、すぐに怯えて目を伏せる。そう思ってリアは視線を尖らせたが、レイの手は益々強まり唇を噛みしめている。てっきり泣くか諦めるかと思っていただけに、レイの反抗はリアにとっては意外で、眼光を弱まらせると、それに勢いづいたのか、噛みしめていた唇が段々と弱まった。
「二人で居るのに、別々のモノを食べるなんて。そんなの寂しいです。寂しいのは、嫌だから。だから一緒に食べましょう」
「……」
一度何かを言えば、頑として譲らない。リアが知っているこの顔の主は、そういうヒトだった。 そして、自分は何だかんだと理由をつけつつ、いつも根負けして、折れてしまうのだ。
「一緒じゃなきゃ嫌だとか、とんだ大きなbebeもいたもんだ」
「……ベベって……僕、赤ちゃんじゃないんですけど」
「俺から見れば立派なbebeだ。お望みどおり、一緒に食ってやるから、泣きやみな」
「泣いてないです」
「紅茶に砂糖は必要かい? bebe」
「……ストレートでお願いします」
赤子扱いが不服なのか、噛みしめて歯の跡が残る唇が緩み、不貞腐れたように微かに尖る。むくれるレイ背中を向けて、リアはもう一つのマグカップを用意した。
「おい、レイ」
マグカップを渡そうとリアが振り返ると、椅子に座り小さく手を組み祈りを捧げるレイの姿があった。
「……」
金色の髪がハラリと下がり、伏せられた瞼の間から、睫毛が照明を反射しキラキラと輝く。年季の入ったアパルトメントなのに、レイの周りだけはそこが教会のように厳かで神々しい。レイの空気に流されるように、リアもまたマグカップをレイの前に置いた後、真向かいに座って手を組むと、静かに目を閉じた。
食事の前に祈りを捧げるのを止めたのは、いつからであったからだろうか。右も左も分からない頃は、腹に何かを入れるだけで精一杯で。腹を満たせる程に強くなった頃には、食事はただの作業に成り下がって。それを嘆く余分なんて持ち合わせてもいなかった。
「いただきます」
レイの言葉に目を開き、リアもまた日々の糧への感謝の言葉を口にした。
「……美味しい」
目の前のサンドイッチを暫く見つめた後、小さく口を開くと、ほっとした表情で口にするレイに、リアもまたサンドイッチに食らいつきながら肩を竦めた。
「水を出すだとか火を熾すだとか、魔法石で事足りるっつうのに、マダム・ジュリーはそれだと微妙な調整や柔らかさや香りが出せないって言って、今時薪と竈を使うクラシカルな手法でパンでも何でも作るからな。美味くて当たりまえだ」
「薪と竈……見た事ない」
食べる手を止め、不安そうにレイは目を伏せた。明日からの仕事に支障をきたされても、面倒だ。リアは食事を食べ終え紅茶を喉に流し込むと視線を向けた。
「マダムも馬鹿じゃない。いきなりbebeにそんな危なっかしいモン使わせやしない。大事な店が焼け落とされちゃ、堪ったもんじゃないしな」
「……だから僕。赤ちゃんじゃありません」
釈然とせず反論するその口ぶりが、益々子どもらしく見えると思われるのに、レイは全く気付いていなかった。
深夜、ふと目が覚めたリアがソファから起きると、足音を殺して寝室へと静かに歩いた。ドアを開き、寝室のベッドで眠るレイの様子を確かめると、随分と腑抜けた表情でスヤスヤと眠っている。楽しい夢でも見ているように、顔を緩ませて小さく寝息を立てる姿は、落ちぶれても尚輝く黄金色の思い出をチクチクと刺激する。
「……」
リアは手を伸ばそうとして、そっと降ろした。この少年が『誰』なのか、確かめようと思えば確かめる事は出来る。だが、それを確かめて、真実を知った所で、それが何になるだろう。ただのゴロツキ崩れの『リア』に出来る事など、精々寝床を提供して、火の粉を追い払ってやる事しか出来やしない。『レイ』の問題を解決する事など、『リア』には出来はしないのだから。
食事前の祈り、サンドイッチを食べる時の行儀の良さ。どう考えてもこの少年の生まれは高等教育を受ける事が出来る身分か、それを受ける事が出来る環境に置かれていた事を示唆しており、その恵まれた状況を捨ててでも、逃げてきた。だが、その事情をレイは語ってはいない。この『少年』は、何かを隠している。
(――そんなの、どうでも良い)
全てを明らかにした所で、満たされるのは腹ではなくただの好奇心。目の前で無防備に似ている子が『レイ』という少年なのだと言うのであれば、ただの好奇を満たすためにあれこれ詮索するよりも、『レイ』として扱い接する方が余程に気楽だ。そうする事が、今も尚ジクジクと胸を痛ませる未練と後悔に対する、効率的な付き合い方だろう。
静かに自分を納得させると、リアは再びソファに戻った。
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